学魔の本函
『シェイクスピアはわれらの同時代人』と『ヤン・コット 私の物語』を読む!

シェイクスピア

『シェイクスピアはわれらの同時代人』


学魔がこのサイトを読んでいるということが分かってしまい、おいそれと書けなくなってしまったが、勇気を振り絞り、がんばるのだ。

実は昔々、読んでいたのだが、私に教養がなく、何がどうすばらしくて、何がどう革新的なのか全然わからなかったのである。長らく学魔高山師の講義を聞かせてもらい、かなりの知識を得て、勇躍再度挑戦したのである。そして、そうかと分かったのであるが、理解を更に確信できたのは、関連する本を同時に読んだからなのである。

そうです。かの有名な『シェイクスピアはわれらの同時代人』と『ヤン・コット 私の物語』。を読む。

『シェイクスピアはわれらの同時代人』ヤン・コット著 蜂谷昭雄+喜志哲雄訳
『ヤン・コット 私の物語』ヤン・コット著 関口時正訳

なぜ、ヤン・コットがシェイクスピアに歴史を読み得たのか、その歴史とはシェイクスピアが設定したそれぞれの時代が実はシェイクスピアが見た過去であるだけではなく、その時代は今(その前提となるヤン・コットの生きた時代、歴史)なのだという衝撃的なシェイクスピアの読みである。特に史劇論が彼のすさまじい生の歴史から読み解かれている時、私たちにそれへ口を挟む余地がないほど強烈に、圧倒的に迫って来るものがある。その事がはっきり理解できるのは、『私の物語』を読むことで相乗作用になった。

ヤン・コットは1914年ワルシャワに生まれる。ポーランドという国のその後の戦乱とナチスの侵略、ソ連の裏切り、新たなソ連の侵略、その時々に兵士として、また抵抗運動として地下運動、共産主義者としての活動とスターリンの下での想像を絶する数々の出来事。『私の物語』を読むと、ポーランドに起こった歴史のすべてにヤン・コットは関わっているのだと思えるようである。この時、ポーランドの人々はすべてが歴史に翻弄されていたのであり、善も悪もなく、生の瀬戸際を綱渡りしていたことが鮮明に読みとれるのである。彼が知識人であったからというような点はむしろ意味をなさない。彼自身が地べたを這いつくばりながら、光のある方向すら分からず右往左往していた。書かれた自伝を読めば、彼が生き延びたことはほぼ奇跡としか言いようがない。危機一髪ナチスの手を逃れただけではなく、死者を乗り越えて逃れたり、誰ともわからない偶然の援助者からの手を握ったことで生の側へ引き寄せられたりする。戦乱とは間違いなくこのような暗黒の世界に人々は偶然に生き、死にするのだ。ヤン・コットは自分の歴史をもっと勇敢に、抵抗する文化人として書くだけのものを持っていたはずである。しかし、彼が書いたのは偶然に生き延びる生身の人間のユーモラスとも言える歴史の残酷さであった。書かれたエピソードの一つ一つが劇的である。ゴヤの絵画、ボッシュの絵画に見られるような気がした。

この彼の実経験がシェイクスピア、特に史劇を普遍的な歴史という枠組みで読み解くことを可能にした。『シェイクスピアはわれらの同時代人』は最初は『シェイクスピア論集』という題で1961年にポーランドで出版されたものが1962年にフランス語に訳された時に付けられた題名だそうだが、絶妙の題名となったと思う。それまでシェイクスピア論はイギリス、アメリカで嫌と言うほど出ていた。英語圏であれば当然であろう。しかしヤン・コットのポーランドからのシェイクスピアの史劇論は劇的に新しいものであった。ヤン・コットはシェイクスピアの史劇に歴史の巨大なメカニズムの働きを見てとった。それは世界は論理で動いていると考えるのは錯覚であり、この世界は不条理なのだというものである。彼の生きてきた軌跡がその根底にあるのは明らかである。この見方はフランスで取り上げられた際の編者がサルトルであった点からもみてとれるが、実存主義的だと言える。それまでのシェイクスピア批評家の多くが抱いていたシェイクスピア像の合理主義的、進歩主義的あるいはロマンティツクな見方とは相反するものであった。

こうして、史劇の中にナチスに対するレジスタンスの栄光と挫折を読み込み、戦後のスターリン主義の圧迫を批判し主体性を維持するための苦闘を読み込む。それによって、ヤン・コットのシェイクスピアの史劇を論じた文章は、ポーランドでは政治批判として理解される。この社会的な雰囲気と『シェイクスピアはわれらの同時代人』の内容はシンクロしていて、そう読まれるべきなのである。この点に関してイギリス版の序文を書いた演出家のピーター・ブルックは「彼はシェイクスピアの対人生態度について、直接の体験からものをいっている。読者の誰もが真夜中に警官に起こされた経験があるということを、はっきり前提にして、エリザベス朝の問題を論じるような批評家は、コットただ一人である」と書いた。

学魔高山師によって、教えられた書物が各所に出て来るのは当然だ。勿論ホッケの『迷宮としての世界』、マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』。「シェイクスピアはスウィフトの先駆者なのだ」なんて言う語もある。あるいは絵画との関連性なんかも。そして、がーーん、マニエリスムも。シェイクスピアを良く知らない私でも、そうなんだと改めてシェイクスピアの凄さを知らされたのである。私には今読む必然があった。世はまさに平和な時は終わった。戦争前夜だと言う意識が日々湧きあがって来る。だからこそ、2冊の本は再び読むべき書籍となったと言えると思う。古い名作ではなく、今を理解するための書籍として。

一点だけ残念な翻訳があった。『私の物語』に彼の政治的覚醒のきっかけを作り、人生最初の政治的選択となったと書いているのが、スペイン内乱についてである。その有名なスローガンNo pasaran ! (後ろから2番目のaにアクセント)を訳者は「彼らを通しはない!」と訳している。通しはないは通しはしないのミスかもしれないが、これは「奴らを通すな」という風に日本では早くに訳されていて、有名なスローガンである。残念。

魔女:加藤恵子