学魔の本函
『北京をつくりなおす 政治空間としての天安門広場』を読む!

北京を作り直す

『北京をつくりなおす 政治空間としての天安門広場』


学魔高山師がいたくお褒めの本だったので、読んでみた。褒めた理由がわかったのは、解説を読んだからで、我ながら非力を恥じた。

今や中国で最も有名であろう天安門広場。その意味が政治的であるということはほぼ理解されているだろう。その天安門広場についての重大な象徴性について、歴史・美術・建築・社会学・人類学等の見識を駆使して提示されたなかなか鋭い著書なのである。そしてこの本のユニークなところは、一つの本の中に論文として客観的に著された箇所の真ん中に、自己の自伝的経験が差し挟まれていて、これが中華人民共和国の歴史の中でも私たちにも忘れられない歴史の生き証人の言説が事実を見よと示されているという点で、天安門に象徴された権力者の姿とともに、権力闘争に翻弄された著者の世代の苦闘が見えると言う、後に述べることになる、ダブル・スクリーンにもなっていると言う事になる。学魔高山師はよく私たちに言っていたが紋中紋(ミザナビーム)の意味する象徴性をよく見ろと言うわけであるが、文章であればメタフィクションという事になる。西洋の紋章は紋の中に同じデザインの絵柄が描かれている。そのことの象徴性をいっているのであるが、中野美代子氏の解説によると、ウー・ホンの前著作が『屏風のなかの壺中天―中国重屏図(ダブル・スクリーン)のたくらみ』というのだそうで、本書も実は視線がテーマのダブル・スクリーンを使って、天安門の政治性とかの有名な毛沢東の肖像画の政治的存在とそれを無化しようとする人民の激しい闘争を底に秘めて描き出そうとしている著作なのだと言う指摘である。さらに、学魔が喜んだと思われる点は訳者が「represento」が「表象」・「表現」・「代表」といった意味の広がりを持ち、かつ「present」として「立ち合い」を意味し、更には「re-present」として「表現し直す」と展開する概念がまさに本書が表象をめぐって天安門広場を描きながら、自らが立ち会い、そして天安門を描き直している現代アートの意味を見事に分析していると言うことではないかと思えるのだ。

著者は現在シカゴ大学美術史学科および東アジア言語・文明学科の教授であり、同大学の美術館のキュレーターでもある。専門は中国古代美術と現代美術双方にわたる研究者で、世界的な権威であるそうだ。しかし中に書かれた自伝的部分を読めば、両親が著名な学者であったために、文化大革命時に知識人の子弟として弾圧され、投獄されている経験を持っている。四人組の逮捕後、北京の故宮博物館の仕事に就いている。その後どのようにしてアメリカに渡ることができたのかについては本書には述べられていない。

さて、天安門広場を私の経験から述べれば、著者が投獄されたその時期、今になれば毛沢東のクーデターであったのだろうとは思うが、紅衛兵という若者が広場を埋め尽くし、手に手に小さな赤い本「毛語録」を持ち、知識人に三角帽をかぶせて自己批判と言うリンチを加えていた。そのブレーキが利かない大衆反乱がどこへ向かうのか理解不能であった。日本の文化人も多くは無批判に受け入れていた記憶がある。その文化大革命の十年の後、1976年の周恩来の死の際におおくの人が集まったのも見ている。更に1989年の胡耀邦の死とその追悼のための群衆。民主化要求の運動となり、戒厳令がしかれた。今でも思い出すのは天安門広場に入って来た戦車の列をただ一人の袋を提げた男性がその前に立ちふさがり止めている写真である。あれからづっとづっと私は、あの男性の生死を思い続けていたのである。

そんな天安門広場について、実は私は歴史的なことを全く知らなかった。天安門は清代の城壁の一部だろうなくらいにしか思っていなかった。本書を読むと、中華民国建国後、清代の建物を次々とぶち壊して、天安門を境界として作り直した中国共産党のための建築物群の一つであるということである。細かいことは本書を読んで確認していただくとして、何と言っても驚くべきことは、あの毛沢東のでかい肖像画である。あの肖像画は計算しつくされ、毎年書き換えられているのだそうである。そしてあの肖像画に向かって重要な建築物が配置されるという経緯が書かれていて、たんなる肖像画と言うわけではない訳が良く理解できる。

次に意外であったのが音の政治学である。日本同様、西洋の時計が入って来る以前は時を刻む観念はなく、鐘の音が大まかな時間を公的に示していた。北京の場合も鼓楼と鐘楼があり宮殿よりもはるかに高く、明・清代のモニュメントとしての位置があったようなのであるが、書かれている事の意外性は、この建物の高さや壮麗さに触れたものは公的な文献だけであり、おおくの歴史的文献は音響に触れているのだそうである。生活者にとっては響き渡る音への反応の方が自然と言う事であろうが建築物のシンボリズムを考える時、考えさせられる。著者はこの音の歴史的な在り様を、事細かに書いていて、その意図が判然としなかった。しかしこの音の問題と時計とが表象する時点が引き出されてくる。それが香港返還をめぐって、天安門に取り付けられた「香港時計」なるものである。つまり、香港返還までのカウントダウンを示すデジタル時計であった。このデジタル時計は音が出ない。そして時間の集積を示すのではなく、その日までの時間が減じて行くと言う表象である。香港時計は政治的タイマーである。そして香港にとっては「外国植民地」から「内的植民地」へ向かって流れる時として提示された香港の人びとの意識について、私は初めてこの「香港時計」というものが書かたことの重さを感じた。

次に、共産国にはしばしば出て来る珍妙な表象についてである。政治闘争が激化すると必ず突然大物が失脚する、すると写真からその人物が消えるということを経験してきている。歴史をなかったことにするという、不思議な作業であるが、中国においては絵画にまでその操作がされているのだそうである。つまり人物を、特に政治権力者を描く際には忠実であることが優先されるあまり、肖像画はまず英雄的な人物の姿を誇示することが目的である。絵画は何が何でもリアリズム。しかしそれは充分に、巧みに政治的な細工がされている。1952〜53年にとう希文の描いた有名な絵画「開国大典」というのがあるそうで、やたらに巨大な物だそうだ。絵柄は毛沢東が天安門のバルコニーに立ち、建国を宣言した瞬間を表現している。毛沢東の後ろに、新国家のリーダーを立たせていているが、毛沢東の優位性を表象する工夫がされている。かつ本来の構図では下の広場全体をいれ込めるはずがないにもかかわらず、人工的に遠近法をねじ曲げて広場と民衆を描き込み、さらに晴れ上がった空まで描いたが、当日は現実にはうっとおしい曇天であったのだそうだ。いわばリアリズムの合成である。そして極め付きは、失脚していった人物を何度も消しながら書きなおさなければならなかったのである。また劉少奇などは失脚し消され、復権されてまた書き込まれたそうだ。

絵画、後には写真にとって、この天安門を入れ込んで作品が描かれることが社会的集合体を表現することになった。これがいわゆる中野氏のいうダブル・スクリーンである。本来であれば背景であるべき天安門と毛沢東の肖像画が大きくかぶさって描かれる。描かれる人物は毛沢東に見事に見降ろされていることになる。国家が認めた優れた作品はすべからくこの毛沢東の視線のさきにおかれるというアートが成り立っていた。

この芸術的な圧力に抗した作家たちの挑戦が色々紹介されている。そしてそのどれもが、天安門と毛沢東の肖像画を存在を存在させながら無化すると言う曲芸的な抵抗を行なってきている。アバンギャルドのアートグループが存在すると言う事にも驚きであったが、芸術に何の制約もないかにみえる日本のような国の芸術家には彼らの戦いとしての芸術は一見泥臭くも見えるが、聖像破壊として政府公認のイコンとしての毛沢東と天安門をつかっての対抗芸術(カウンター・カルチャー)についての著述は新鮮な驚きであった。

中国はどこへ向かって進んでいるのか依然なぞである共産党幹部の子弟はアメリカに逃れているという話も聞く。しかし、あの文化大革命の中から逃れた人物による天安門の象徴性とその変遷についての著作が書かれたことはどこかで、ほっとするものがある。文化大革命で殺害された膨大な人びとを思い起こすことができた。そしてまた影がよぎったのは、戦車の前に一人で立った人物の姿である。

魔女:加藤恵子