血脈の本函
天原とマコンドに流れる…

血脈1

日本という国は世界でも珍しい、血脈に高い価値をおく国ではなかろうか。天皇制は実は断絶があったといわれるが、ともかく万世一系をうたっている。あるいは、現代日本社会は、養子制がほとんど機能していない国でもある。これほどまでに血にうるさい観念は何処から来ているのか?現実には血を確認できるのはせいぜい3代ぐらいであろう。その先はどこの馬の骨やらわからないはずだ。戸籍制度自体は古代にもあるが、これは徴税の台帳であり、血脈がたどれるものではない。戸籍制度ができた明治5年以後は近代の家族制度を確立するための国家事業による詳細なもので、敗戦時、家父長制の解体に伴い、記載事項が変化したものの、大筋、血脈を記載したものとして、公的に強く機能している。明治以前は寺請制度のもとに、寺院が血脈を管理していて、過去帳として先祖をたどれる公文書であった。これとは別に、貴族や武家は遥かな先祖をねつ造し、天皇家の末裔を名のることも平然と行われていた。江戸時代大名、御家人の最も重要な書物はその系図本である『武鑑』であった。この点、西欧諸国、とくにキリスト教国では、教会の洗礼証明が残るのみで、現在では国家発行のIDカードがその証明書類となる点で、アイデンティティの確立という点から見ると、かなりの差が見られるかもしれない。

天皇家の継続性が危機的あったのがいわゆる南北朝期である。政権が北朝に渡って以後、南朝を正統とする論が唱えられる。『神皇正統記』北畠親房は強力にこれを論じた。時代が下り北畠親房を再び押し上げたのが徳川光圀『大日本史』、いわゆる水戸学であり、幕末の倒幕のイデオロギーとなる。頼山陽『日本外史』が続く。いずれも、天皇家の血脈がまずもって前提となる。このような文化の基層からわれわれはどう変わったのか、いや変わっていないのか?

先ずは、血脈以前の神様誕生記から!

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古事記自体江戸時代、本居宣長に再発見されるまで、読み説かれていなかった。現在でも、原文で読める代物ではない。これを絵解きした、こうの史代は現代版本居宣長か?おとぎ話で知る話も、すべて関連があることがわかる。個性的な神々に、ちょっと親近感がわく。

突然飛んでラテンアメリカへ。

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血脈と言えばこれでしょう。すでに45年前の作品で、マルケスの名を世界に知らしめた魔術的リアリズムと言われる小説である。「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後をおもいだしたにちがいない」という印象的な冒頭に始まり、マコンドという土地の初めから砂嵐の中に消えて行くまでの、何代にもわたる複雑な血族関係が描かれた作品。

連関する本として、

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マルケスと親交厚い、田村さと子が「からだ」をはって、百年の孤独の足跡をたどって、ジャングルを這いまわり、カリブ海の沿岸の奥深くに作品の背景を確認して回ったドキュメント。

つづく…

魔女:加藤恵子