情熱の本箱
『赤目四十八瀧心中未遂』の車谷長吉48歳が、高橋順子49歳と結婚した理由:情熱の本箱(203)

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情熱的読書人間・榎戸 誠

私にとって、車屋長吉(くるまたに・ちょうきつ)と言えば、『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉著、文春文庫)である。男が女を好きになるということ、女が男を好きになるということを、これほど激しく、血が迸るほど鮮烈に描いた小説に出会ったことがないからだ。そして、この作品は、人間が生き延びようとする喘ぎ、呻きに満ちている。

夫を見送った妻の手になる『夫・車谷長吉』(高橋順子著、文藝春秋)を読んでよかったことが、3つある。第1は、車谷という風変わりな人物の内面を知ることができたこと。第2は、車屋と高橋順子という異質な二人が結婚するに至った過程と、その後の夫婦関係をつぶさに知ることができたこと。第3は、『赤目四十八瀧心中未遂』執筆の裏話を知ることができたこと。本書のおかげで、好奇心の塊である私は、知ることの喜びを存分に味わうことができたのである。

「車谷嘉彦と署名のある絵手紙をもらったのが、最初だった。1988年9月12日、東京本郷の消印がある。私は44歳、長吉は43歳だった。・・・或るとき(秋山晃男が)私に電話を寄越し、『小説家の人から、高橋さんの宛のファンレターを預かっている。事務所に持っていくから取りに来てください』と、おっしゃった。私のそれまでの知り合いといえば、編集者仲間はもちろんだが、青土社で担当した詩人や、友達になった詩人たちばかりで、小説家とはそれまで誰とも面識がなかった。秋山さんに冷笑されそうな気がしたが、いそいそと取りに行った」。

「(秋山から手渡された絵手紙には)文京区白山の自宅住所が記されていたが、返事を書けるような内容ではなかった。独り言だった。この孤独な人は(高橋順子詩集の)私の中にも孤独を認めたのだ、ということだけが分かった。友人たちに囲まれていたとはいえ、独り者の私にはさみしい詩が多かったのだ」。

「長吉はこの(高橋の)詩の中の『殉教者風の恋人』になんというか感電したらしかった。そのためにこの詩の作者である私に11枚の絵手紙をよこし、藍色の布を贈り、転居通知を送った。長吉が感電したのは、自分は殉教者風の恋の人であると任じていたからだと、いまは思える。『修行僧のようだ』とはまだ言われていなかったが、自分を探している女がここにいると思ったのではないか」。

「おかしなことになった、と私は思った。毎年、(大晦日には)その年にいちばん大切だと思う男友達に最後に会うことにしているのに、へんな人(車谷)に割り込まれてしまった。まさかその人がこののち生涯かけて大切な人になるとは夢にも思わなかった」。

「長吉は手書きの目次を見せた。末尾の2行には『鹽壺の匙』『赤目四十八瀧心中未遂』の文字があった。のちに長吉の代表作になる作品である。そのときは長吉でさえ代表作になるとは、予想すらできずにいたのだった。『<鹽壺の匙>はいま書いています。<赤目四十八瀧心中未遂>は30枚くらいの予定です』と言うので、じゃあ書き上がったらご連絡ください、と言って別れた。翌々日、長吉から緑色の卵に手足が生えたような、小さな雨蛙がはねている絵手紙が届いた」。

「明けて93年2月、長吉から、『私は芸術選奨文部大臣新人賞を受けることになりました。・・・赤目四十八瀧心中未遂は、やっと100枚ほどが出来ました。本当に蝸牛の歩みです』と書いた葉書が来た。私はすぐにおめでとうの葉書を書いた」。

「(車谷が『鹽壺の匙』で三島由紀夫賞を受賞し、『新潮』に載せた)『受賞の言葉』の中の『ある人』とは、高橋順子であるかもしれないし、他の人かもしれなかった。しかし詩の補註に高橋順子の名があるので、それと知らせているようにも思えた。冷静ではいられなかった。これで長吉と私の関係は変わらないわけにはいかなくなった。長吉としては、私への(決断を迫る)最後のメッセージのつもりだったろう」。

「30年前のように、私から離れていく人を、引き止めたかった。(高校3年の時、愛を告白されると同時に別れることになった男子生徒との)遠い記憶の重力が働いて、私は長吉に手紙を書いた。『この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました』と。長吉のふところに飛び込むのは怖かった」。

車谷から来た長い手紙の一節。「さて、いまはたて続けに2つも賞をいただきまして、この恐ろしい出来事に、心の芯が疲れ切ったような気持でおりましたところ、高橋さんからお手紙をいただき、私の言葉が順子さんのお心に届いたことに、深い驚きを感じております。こなな愚か者の男に、思いを寄せて下さるなど、こればかりはまぼろしにも思い描くことが出来ないことでした。もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され。お願いいたします。私はいま、このように記し了えて、慄えております」。

「長吉が夏休みがとれたというので、私は『どこかへ連れて行ってください』と頼んだ。『どこへ』と聞かれたので『恐山』と答えた。後に長吉の代表作となった<赤目四十八瀧心中未遂>にこんな場面がある。――『生島さん。うちを連れて逃げて』。『えッ』。アヤちゃんは下唇を噛んで、私を見ていた。『どこへ』。『この世の外へ』。――二人はそれから赤目四十八瀧へ心中未遂行に出発するのだが、私が『恐山』と言ったことがこの場面を呼んできたようにも思える。アヤちゃんと私に当然ながら共通項はなく、アヤちゃんは想像の女で、女優の松坂慶子をイメージしたと長吉は言っていたが、関西で料理場の下働きをしていた8年の間に、あるいは逢ったことのある女性がモデルかもしれない。長吉の小説のヒロインの中でいちばんいい女がアヤちゃんであろう。この小説は私小説ではなく、90パーセント作り物だと言っていたが、書き終えるまでにあと4年かかることになる」。『赤目四十八瀧心中未遂』の強烈な吸引力は、ヒロインのアヤちゃんの魅力に負うところが大きいが、実は、この作品を読みながら、私はアヤちゃんはきっと若き日の松坂慶子のような女性だろうと想像を逞しゅうしていたのである。

「結婚したのが長吉が48歳、私が49歳で、ともに初婚とはいえ、もう生活の流儀が出来上がっている二人だった。相手のすること、なすこと、期待どおりには動いてくれず、お互いに戸惑うばかりで、なにか息苦しかった」。

「11月15日、大安、区役所に行って入籍した。これから何年いっしょに暮らせるか分からないが、私は長吉を見届けるつもりだった」。

「長吉は小岩の『弁慶』という居酒屋に連れて行ってくれた。ここの女将が名物女将で、東北弁まるだしで威勢のいいことを言うので、感動的ですらあった。・・・『赤目四十八瀧心中未遂』の伊賀屋のセイ子ねえさんはこの人がモデルだと言っていた。モデルといっても、環境は違いすぎている。見た目や性格をふくらませてセイ子ねえさんが仕上がったようだ。長吉は最初この小説は30枚の予定だと言っていた。それが長編小説にまでなったのは、セイ子ねえさんが自分の過去を語りはじめたからだった。『セイ子ねえさんがしゃべりはじめたからでしょ』と私が訊ねると、長吉はそうだと頷いた」。

「1996年1月21日、長吉は中断していた長編小説『赤目四十八瀧心中未遂』に久しぶりにとりかかる」。

「居間の寒暖計が摂氏1度だった日、長編が心中行の道行きにかかった、と言う。夏に赤目四十八滝に取材に行きたい、と希望を語った」。

「(2月)26日午後6時ころ、『原稿できた!』と言って、私が休んでいた寝室に入ってきた。32歳のとき想を得た小説なので、形にするまでに18年かかったという。ふぐちりをつくってお祝いする」。

この後間もなく、車谷は強度の強迫神経症を発症する。そして、後年、脳梗塞も発症する。

「長吉は二度に分けて、文藝春秋で5迫、缶詰になったという。加筆して470枚になったそうで、頬がげっそりしていた。・・・『もう懲りた。順子ちゃんよりさきに死ぬことにする』と言う。私よりさきに死にたいと思うようになったのは、このときからだったようだ。神経症のためだと思うが、けっきょくこの病気は根治しなかった。『文學界』11月号から『赤目四十八瀧心中未遂』の連載が1年の予定で始まる。編集部の話によると、社内でも好評で、続きのゲラを読みに来る人がいるそうだ」。

「『赤目』の連載が終わり、文藝春秋で単行本として出版することが決まった。差別表現の問題で担当の村上和宏さんと何度も話し合いをもったようだ。アヤちゃんの台詞『うちはドブ川部落の蓮の花や』も問題になったが、長吉はこれだけは譲れないと言い張り、呑んでもらった、と言っていた」。

車谷と高橋は、夫婦として幸せだったのだろうか。「長吉は2階の書斎で原稿を書き上げると、それを両手にもって階段を降りてきた。『順子さん、原稿読んでください』とうれしそうな声をだして私の書斎をのぞく。私は何をしていても手をやすめて、立ち上がる。食卓に新聞紙を敷き、その上にワープロのインキの匂いのする原稿を載せて、読ませてもらう」。「作品を見せあうことは別に約束したことではない。でもそれは私たちのいちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、20年来変わらなかった。相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。緊張して、うれしく、怖いよう生の時間だった。いまは至福の時間だったといえる」。車谷と高橋、いや長吉と順子の愛は、『赤目四十八瀧心中未遂』の主人公とアヤちゃんの愛のあり方とは異なり、幸せのうちに完全燃焼したことを知り、ホッとした。

読み終わった時、本書は『赤目四十八瀧心中未遂』に匹敵する魅惑的な恋愛小説、いや恋愛記録だと思い至った。

 

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