情熱の本箱
もし、批評・評論がこの世になかったら:情熱の本箱(316)

情熱的読書人間・榎戸 誠

加藤典洋という批評家は、自分の頭で、物事をとことん突き詰めて考えないと気が済まない人のようだ。その癖が、『僕が批評家になったわけ』(加藤典洋著、岩波現代文庫)にも濃厚に滲んでいる。

とりわけ興味深いのは、「もし批評・評論がこの世になかったら」というテーマを巡る考察である。

「もし批評・評論というものがなかったとしたら、明治時代に、福沢諭吉はいなかった。『学問のすすめ』『福翁自伝』『文明論之概略』はいうに及ばず。『丁丑公論』も『痩我慢の説』、も存在しなかった。北村透谷という人の半分がいなかった。彼と山路愛山とのあいだに交わされた『人生に相渉るとは何の謂ぞ』という論争もなかった。坪内逍遥という人がいなかった。彼と森鴎外とのあいだで交わされた『没理想論争』というものもなかった。夏目漱石という人が留学先のロンドンで『文学とは何か』という問題に衝突して『文学評論』というものを書こうとしたあげく、ノイローゼになって小説と出会った、そういういきさつを考えるなら、夏目漱石も。まあ半分くらい。『私の個人主義』『現代日本の開化』、そういう講演はきけなかった。歌人石川啄木も三分の一くらい。『時代閉塞の現状』は存在しなかった。岡倉天心、内村鑑三、そういう人も半分くらいは、いなかった』。

「大正時代に、正宗白鳥という人がいなかった。石橋湛山という人がいなかった。柳田国男、折口信夫、そういう独創的な学者も、半分くらいは、いなかったかもしれない。その他もろもろの――といっては失礼だが――文芸評論家の方々も当然ながらいらっしゃらなかった」。

「昭和時代に、小林秀雄という人がいなかった。河上徹太郎、中村光夫も同じ。林達夫という人がいなかった。中野重治という人も半分くらいはいなかった。その他、多くのプロレタリア文学、マルクス主義の文学理論の担い手たちも。坂口安吾という人も三分の一くらいはいなかった。保田與重郎、花田清輝という人もいなかった。唐木順三、竹内好という人たちもいなかった」。

「戦後、『近代文学』という主導的なグループの担い手は、批評家だった。平野謙、本多秋五、荒正人、そして小説家埴谷雄高。戦後の小説家や劇作家はまた批評家でもあった。武田泰淳、堀田善衞、伊藤整、木下順二。批評家がまた劇作、小節をも手がけた。福田恆存。詩人も批評家だった。鮎川信夫、吉本隆明、谷川雁、石原吉郎。学者も批評家だった。橋川文三、丸山眞男、桑原武夫、寺田透。哲学者も批評家だった。鶴見俊輔。またちゃきちゃきの批評家という人々もいた。桶谷秀昭、村上一郎、加藤周一、山本健吉、江藤淳。さらに新しい、若い、若かった、批評家たち。磯田光一、秋山駿、上田三四二、高橋英夫、川村二郎。美術批評あるいは音楽批評の、宮川淳、遠山一行、吉田秀和。そしてポストモダンの批評家、柄谷行人、蓮實重彦。そういう人たちが、ごそっと、あるいは半身ずつ、いなかったかもしれない」。さらに、江戸時代にまで遡る念の入れようだ。

ここで、著者は問いを投げかける。「全部、なくともかまわなかったのか。そもそも、この人たちは、なぜ学者の仕事とは違うことをやったのだろう。また。小説家。劇作家、物語作者、詩人、歌人らとは、異なる仕事を、ことばでやろうとしたのだろうか。そこで彼らがやろうとしたことに、何々でないこと、何々以外のこと、といった受動的以外の、なにか能動的な意味は、あったのだろうか。あったとすれば、それは何か」と。

著者の答えは、こうである。「少なくとも近代以降、公衆というか、一般読者というか、世間のみなさんというか、大きな公共的、世間的なスクリーンができたのだ。誰もが室内の小さな幻灯機に自分の書いたものを写して、それを人にみてもらう、というあり方から、誰もが空の上に大きく広がったスクリーンに、自分の書いたものを写しだし、それは見ようと思えば誰にも見てもらうことができるので、気持としてはすべての人に見てもらおう、と思って書く、というあり方に変わった」。

「ここに新しく生まれた公衆、一般社会、世間には、誰にも指導もできないし、誰もコントロールできないという特色がある。しかしまったくのアナーキー(無統制状態)かというとそうでもない。世の中が変わる。その基礎構造の変化がしっかりとそこでの人々の気分の変化として現れてくる。たとえば、産業革命が起こり、市民階級の経済的基盤が強化される。そうなってくると、社会の大きな部分を占める彼らに、ひとしく中世以来の身分制度の桎梏が日々の生活のなかでいちいち気に障る、いやだなー、と束縛となって感じられるようになる、などというのはその一例である。むろんここに述べるぐあいに絵で描いたように変化が起こってきたのではない。しかし、大きくいえば、こんなふうに、世の中は変わってきた、そうは考えておいてよいと思う」。

「だから、このスクリーンは日々、その映し出す白色の質を微妙に変えつつ維持される、空に広がる薄い雲と同じ、精妙な存在なのである。そのため、世間から隔離された学者世界、あるいは狭い文学世界、そういった閉ざされた世界のなかで、これまで権威だと思われていた考え方、常識だと考えられていた考え方が。どうも違うのではないか、間違っているのではないか、もう古くて実情に合わないのではないか、という場合、この外部存在としてのスクリーンは、そこに新しく出てくる考え方が妥当かどうかの中立的な、部外者的審判者となりうる。実際に、なるほどこの考え方のほうが妥当だと、一般読者が判断する場合もあるだろうし、たとえすぐにはそんな判定が下らないにしても、将来そういうことが起こりうる場合もある。また、そういうことが判定できない場合でも、そういうことがいつか、どこかでは起こりうる、と思える。そういうことが、すべて合わせて、そこで異議申し立てする人間に勇気と希望を与え、そこで異議申し立てされる側を緊張させ、謙虚にさせる。そういう働きをもち、そういう効果を及ぼし、そういう風通しのよさを保障することが、このスクリーンの意味であることが、わかってきた」。加藤が批評家になったわけは、異議申し立てする人間に勇気と希望を与え、異議申し立てされる側を緊張させ、謙虚にさせたかったからなのだ。

ここで終わらないのが、加藤らしいところである。このスクリーンを巡って、ベンヤミン、アインシュタイン、デカルト、ニーチェにまで筆が及んでいる。

自分の頭で、物事を突き詰めて考えることの重要性を再認識させられた。

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