情熱の本箱
レオナルド・ダ・ヴィンチは、ミラノ宮廷の権力者の陰謀に加担していた:情熱の本箱(308)

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ミラノ宮廷の権力者の陰謀に加担していた


情熱的読書人間・榎戸 誠

レオナルド・ダ・ヴィンチ ミラノ宮廷のエンターテイナー』(斎藤泰弘著、集英社新書)は、ミラノ時代のレオナルド・ダ・ヴィンチは宮廷お抱えのイヴェント・プロデューサーとして、時の権力者の陰謀に加担していたと告発している。

「彼が30歳から47歳までを過ごした、20年近くにわたるミラノ時代は、心からの情熱と喜びをもって自分の責務(自分の名を世界に轟かせること)からの逸脱行為に熱中できた、レオナルドの人生の中で最も幸せな時代であったと言えるのである。本書では、このミラノ時代について、彼の手稿や当時の史料によって、彼の宮廷人としての活躍の跡も再現してみたい。彼の華やかな宮廷人像の裏側には、実は暗い闇の部分も潜んでいた。これまで研究者たちは、彼の輝かしい姿に目がくらんで、その暗部が見えていなかったようなので、この本ではこれまで人の立ち入ることのなかったその舞台裏にも踏み込んで検証してみたいと思っている」。

「当時のイタリアは五大国家――ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ教皇領、ナポリ王国――の勢力均衡で平和が保たれていたが、それはちょっとした変化ですべてが崩れ去る、危うい均衡の上に成り立つ平和であった。・・・イタリアの勢力均衡の要であった(フィレンツェの)ロレンツォが亡くなると(1492年)、それまでの平和共存体制が危うくなる。この新たなイタリアの指導者として名乗りを上げたのが、(ミラノの)ロドヴィーコ・スフォルツァであった。・・・(ヴェネツィアに)対抗するために、ロドヴィーコはナポリ王国と同盟を結ぶが(若いミラノ公ジャン・ガレアッツォとナポリ王国の公女イザベラの結婚)、叔父は甥のミラノ公夫妻をないがしろにして、権力を譲ろうとしない」。

「1483年のロドヴィーコは、甥のミラノ公ジャン・ガレアッツォの摂政として、公国の権力を握ったばかりだった。・・・ミラノ宮廷では、やさしい叔父のロドヴィーコが公国の舵取りをしてくれるから、若いミラノ公はすべてを任せて安心していられるのだという宣伝と説得が繰り返され、ジャン・ガレアッツォを政治から遠ざける陰謀が密かに進行していた。大嵐が襲ってくる前の風の凪いだ穏やかな時期、平和と繁栄を謳歌するミラノ社会、若いミラノ公をたんなる飾り物にして、政治権力から排除する陰謀が着々と進められるミラノ宮廷――このような舞台装置が作り上げられつつあったときに、レオナルドはミラノ宮廷に登場するのである」。

このロドヴィーコの野心に添って、若いミラノ公の政治への関心を逸らすために、華やかなイヴェントを次々と企画・演出し続けたのがレオナルドだったのである。

「彼(レオナルド)がこの種の(ロドヴィーコの)背徳行為の共犯者であったことを示す証拠は数多くある」として、著者はレオナルドの手稿の演出メモに関する部分を呈示している。

「(レオナルドは)本当に楽しげに、奇抜な衣装をデザインしたり、驚異的な舞台作りに没頭したり、ロドヴィーコの愛妾たち(チェチリア・ガレラーニや、ルクレツィア・クリヴェッリ)の肖像を描いてやったりしている」。

とりわけ私が興味をそそられるのは、レオナルド作の「白貂を抱く貴婦人」と、レオナルド作と思われる「ビアンカ・サンセヴェリーノの肖像(美しき姫君)」を巡るエピソードだ。

「現在、ポーランドの古都クラクフの美術館にある『白貂を抱く貴婦人』の場合も、長い間、その(モデルの)正体が不明だった。ロドヴィーコの愛妾チェチリア・ガレラーニも、その候補者のひとりにすぎなかった。しかし、世の中には博学な人もいるもので、『バーリントン・マガジン』のホームズ編集長が1907年、『彼女の抱く貂は、ギリシア語で<ガレー>(イタチ、白貂もその仲間)であるから、ガレラーニの掛け言葉だ』と喝破した。すると、『なるほど、それはお見事!』と、すべての研究者が賛同して、すっかりそう決まってしまった」。

「1491年1月16日、ロドヴィーコ(38歳)とベアトリーチェ・デステ(15歳)の結婚式が挙行される。だが、新妻のベアトリーチェが輿入れしたのちも、ロドヴィーコは、身重のチェチリアを(スフォルツァ)城内に住まわせ続けた」。遂に、誇りを傷付けられた本妻・ベアトリーチェが怒りを爆発させたため、ロドヴィーコは男児出産後のチェチリアを臣下のベルガミーニ伯爵と結婚させ、豪壮な邸を与える。著者は、「チェチリアがいかに知性に富み、賢明で、奥ゆかしい女性であったかがよく分かる」と絶賛しているが、チェチリアが15歳から17歳の頃に描かれたと思われる「白貂を抱く貴婦人」からも、彼女の魅力が伝わってくる。

「『美しき姫君』の方は、ごく最近(2010年)、マーティン・ケンプとパスカル・コットの同名書によってレオナルド作として紹介され、世界を賑わした絵である。子牛の上質皮紙に描かれた若い女性の肖像で、これが本当にレオナルド作なのか、それとも後代の偽作なのかで大騒ぎになった。いつもなら慎重で用心深いレオナルドの世界的権威たちの間で、これほどはっきりと賛否の意見が分かれた作品も珍しい。では、本当はどちらが正しいのだろうか?」。著者は躊躇なくレオナルド作説に軍配を上げている。

「この若い女性の名前と、経歴と、レオナルドが彼女を描いた理由については、ケンプとコットの著書に詳しい。彼女の名前はビアンカ・スフォルツァ。ロドヴィーコと愛人ベルナルディーナ・コラーディスの間に生まれた婚外子である。そして、ロドヴィーコは彼女を自分の娘として認知すると当時に、自分の腹心の部下で、ミラノ公国の軍司令官ガレアッツォ・サンセヴェリーノと結婚させる」。その後の調査・研究により、この肖像画は、当時14歳の幼な妻・ビアンカであることが明らかにされている。ところが、ビアンカは新婚5カ月で、原因不明の病気で急死してしまうのである。

ビアンカの急死、その僅か1カ月半後のベアトリーチェの産褥死を境に、ロドヴィーコの権力の急激な凋落が始まる。そして、レオナルドもミラノから脱出せざるを得なくなるのである。

レオナルドの意外な一面に光を当てた本書は、私たちの知的好奇心を激しく掻き立てる。