情熱の本箱
若山牧水の名歌の数々を誕生させた、園田小枝子との実らぬ恋:情熱の本箱(255)

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情熱的読書人間・榎戸 誠

私は恋愛至上主義者を自任しているが、『牧水の恋』(俵万智著、文藝春秋)を読んで、若山牧水にはとても敵わないなと溜め息が出た。

牧水は、友人のために、彼の恋人の家族を説得すべく、その家に乗り込んでいく。「神戸の家は赤坂家といい、その親戚にあたる広島県出身の小枝子(さえこ)という女性と、このとき牧水は出会った。『若山牧水新研究』によると、彼女は肺結核のため、須磨の療養所に滞在していた」。

早稲田大学生の牧水は、帰省の途中、中国地方を旅行する。この時、詠んだ歌。「幾山河(いくやまかわ)越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」。

牧水より1歳年上の小枝子は牧水の熱愛を、なかなか受け容れない。「なぜ小枝子は、ここまで拒むのであろうか。実は彼女には、ためらうだけの重大な理由があった。いきなり種明かしをしてしまうと、小枝子はすでに人妻で、広島には2人の子どもまでいたのである。そう聞けば腑に落ちるというものだが、牧水は知らずにつきあっているのだから、まったくもうわけがわからない」。姦通罪が存在していた時代である。

「小枝子も、ただ牧水を弄んでいたというわけではないだろう。秘密を打ち明けられない苦しさは、彼女から笑顔を奪った。だから何かの拍子にふとした笑みがもれるのを、牧水は見逃さない。まるで夜に開く花のようだと、珍しいものを見る目で愛でるのである」。

小枝子との心の距離が近くなってからは、歌に「悲し(哀し)」が目立つようになる。「白鳥(しらとり)は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ」。「同情すべきは、『牧水自身にも、この悲しみの出どころ(小枝子の拒絶)の意味がわからない』ことだろう。わからないものを、わからないままに、純粋な『悲しみ』として詠んだとも受け取れる」。

「明治41年の正月を、牧水は愛する小枝子とともに房総半島の根本海岸で迎えた。惹かれあい、何度も逢瀬を重ねながら、なぜか最後の一線を越えさせてくれない彼女。煮えきらない態度に振り回され、『僕は近来殆ど狂人である』とまで思い詰めていた牧水。その小枝子が、ついに泊まりがけの旅行を承諾してくれたのだ」。

「天地に一の花咲くくちびるを君を吸うなりわだつみのうへ」。「恋の成就がひしひしと伝わってくる。夏の日の偶然の出会いから、およそ1年半。ようやく小枝子と牧水は結ばれたと考えていいだろう」。

「くちづけは永かりしかなあめつちにかへり来てまた黒髪を見る  口づけの間は、幽体離脱のように、魂が体から離れているような気分なのだろう、長い長い口づけのあと、我に返る。そしてどうするかというと、大好きな黒髪を愛でているというのだから、これはもう小枝子一色である」。もう一首。「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君」。

「一連には、接吻だけでなく、性的なつながりを暗示する作品も多い。私が一番艶っぽいと思ったのは、次の一首だ。 こよひまた死ぬべきわれかぬれ髪のかげなる眸(まみ)の満干る海に」。遂に、遂に、牧水は小枝子と結ばれたのである。

ところが、1カ月後、牧水の一連の歌に、「疑」と「獲」という字が目立ってくる。「2つの漢字を並べてみると、もう一人の登場人物がいるのではないかと思われる。つまり、三角関係。大悟法利雄によると、それは小枝子の従弟の庸三だったようだ」。「同じ(下宿の)屋根の下にいる庸三と小枝子の仲を疑いながらも、彼女に惚れていることに変わりはない。互いの下宿を行ったり来たりの日常の中では、毒々しい疑惑の歌や不安の歌が多く生まれた」。

「誰もが口をそろえるように、彼女(小枝子)は抜群に美しい人であった」。実際、園田小枝子の写真を見ると、確かに美形である。牧水よりも背が高かったと伝えられている。

「わが妻はつひにうるはし夏たてば白き衣(きぬ)きてやや痩せてけり  とうどう小枝子のことを『妻』と呼んでいる。この時期二人が結婚していたという事実は、もちろんない。が、それにしても幸福感に満ちた歌だ」。歌の中では、完全に結婚しているのだ。「『わが妻は』なんて歌を詠んでいるくらいだから、当然牧水は、一緒になろうと迫ったことだろう。人妻である小枝子は承諾できるはずもなく、なんだかんだと言い訳をして、先延ばしにしていたのだと思われる。・・・牧水にとって結婚は、庸三から小枝子を切り離したいという、恋愛上の打開策だった。・・・世慣れていないところが牧水にはある。複雑な人生を背負っていたであろう小枝子と、そのあたりの齟齬は埋まるはずがなかった」。片や、恋愛の延長に結婚を夢見ていた牧水、片や、結婚は生活そのものであると知っていた小枝子という構図である。

明治41年に至り、「牧水は、彼女が人妻であり、子どももいるということを知ったのではないだろうか。充分すぎる『思ひの外の異変』である。ショックではあろうが、小枝子の煮えきらない態度について、腑に落ちたかもしれない。深酒にしても神戸との往復にしても、直接間接、あらゆる面で恋愛に振り回されている牧水の姿が思い浮かぶ」。

「歌人としての名声を一気に高めた(第三歌集)『別離』。だが、その内容の大半を占める小枝子との恋愛は、一段落どころか、いよいよ泥沼化の様相を呈していた。・・・牧水を更に大きな苦悶に陥れたのは、小枝子の妊娠という思いがけない事態であった」。その後、その女児は千葉県の稲毛あたりに里子に出されている。

「言葉も心もかみ合わないまま、ずるずると関係は続いていた」。

「牧水は、晩年(といっても40代)アルコール依存症となり、肝硬変で命を落とす。この恋愛がらみの酷い飲み方が、酒なしではいられない体を作ったことは明らかだ。小枝子はその意味でも、牧水の一生を左右した女性と言えるだろう」。

「白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり  こんなふうに静かに楽しんでこその酒だ、という思いがあふれている。そうでない飲み方をしてきたからこそ、の感慨でもあるだろう」。

明治44年には、「明治39年の夏の出会いから、およそ5年。初めての恋愛にしては複雑すぎた小枝子との関係が、ようやく終わろうとしていた」。

その後、小枝子は赤坂庸三と再婚する。「牧水にもう少し生活力があったら。そして小枝子にもう少し牧水への執着があれば。展開は違っていたかもしれない。小枝子が文学に関心のある女性だったら、とも思う。・・・後に牧水の妻となる喜志子(きしこ)は、幼いころからの文学少女で、出会う前に歌人としての名声を知っていた。経済的な窮状は相変わらずだったが、『歌人若山牧水』を理解し、支えようという意志が喜志子には芽生える。そこが小枝子との大きな違いだった」。

お互い、恋愛至上主義を貫くのは、全く以て大変ですね、牧水さん。

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