情熱の本箱
辻邦生とマルセル・プルーストの切っても切れない関係:情熱の本箱(279)

情熱的読書人間・榎戸 誠

辻邦生 永遠のアルカディアへ』(学習院大学史料館編、中央公論新社)は、辻邦生へのオマージュ集である。

とりわけ興味深いのは、下記の3篇だ。

第1は、保苅瑞穂の「辻邦生の読んだプルースト」である。「辻さんが(プルーストの『失われた時を求めて』に)『兄弟的共感』を感じた個所はどんな場面なのでしょうか。それは小説の最終巻にあるゲルマント邸の中庭の場面に出てきます。辻さんは、パリで、まるで隠者か、求道者のように、文学創造の根拠を探し求めてきましたが、プルーストをこの個所まで読んできて、ついにその根拠を発見します。・・・彼は帰国すると、本格的に創作を開始します。そのなかでもっともプルースト的といっていいのは、最初の長編小説の『夏の砦』です。辻さんはこの作品に、プルーストから教えられたすべてを注ぎ込んでいるといってもいいもので、その意味から記念すべき作品だと思います。非常に緻密な、重層的な構成をもった作品で、読み応えのある小説です」。

私の最も好きな文学作品は『失われた時を求めて』であり、しかも、一番強く心に刻まれたのは、最終巻のゲルマント邸の中庭で、主人公が時の流れの冷酷さを思い知らされる場面なのである。私の好きな現代作家である辻が、まさに、その同じ場面に「兄弟的共感」を覚えたとは、嬉しい限りだ。そして、早速、『夏の砦』を私の「読むべき本」リストに書き加えた。

保苅の一文には、こういうことも書かれている。「プルーストの場合は子供の頃、母に読んでもらったジョルジュ・サンドの『棄て子のフランソワ』という本があります。彼には題名を見るだけで、そこに子供だった頃の自分がすっと現れるのです」。プルーストが、これまた私の好きなジョルジュ・サンドの影響を受けていたとは、これまた嬉しい話である。

第2は、水村美苗の「想像力の優位」である。「辻邦生は、日本の小説家にしては希有なほど、現実に対する想像力の優位というものを、意識的に、そして固く、信じて書いた。・・・辻邦生に、想像力の優位に確信をもてるようになる契機が、何度か訪れる。一つが、『文学のなかの現実』に描かれている、イリエというフランスの田舎町を訪ねたときのことである。イリエは『失われた時を求めて』ではコンブレという名を与えられ、『プルーストの幼年期が繊細に、豊かに、ほとんど壮大な規模で、織りなされている』舞台となった町である。ゆえに、イリエは世界の『プルースト愛好者』の『聖地』となっている。辻邦生を驚かせたのは、想像していた世界と現実の落差である。彼がイリエで見いだしたのは、『ほとんど醜悪といてもいい教会・・・おぞましいほど単調で平凡な町・・・幻滅以外のなにものでもない庭園』である。彼は深く感銘を受ける。その感銘は、『この現実の笑うべき卑小さ、貧しさと、プルーストの世界の言語を絶する豊かさとの対比からうまれていた』。辻邦生は『イリエを見ることによってプルーストの厖大な世界を逆にはっきりと見いだした』。現実の貧しさは、想像力の優位の証しとなったのである。それは、もし日本の小説が貧しいとしたら、それを日本の現実の貧しさのせいにするわけにはいかないということでもある。辻邦生はそう確信し、さらに30年書き続けたのであった」。

おかげで、辻が、日本では珍しく想像力に溢れた作品群を生み出した謎が解けた。

第3は、柴田光滋の「芭蕉、西行、そして実朝――辻邦生さんとの取材旅行」である。「『距離をおく』感覚、正確に言えば『必要な距離はおく』感覚こそ、今にして辻さんの真骨頂だったように思う。ユリアヌスにしても西行にしても。もちろん対象には熱い。しかし、溺れてはいない。これは知的な姿勢と言ってもいいもので、そこに辻文学の急所があったと私は思っている」。

本書は、間違いなく素晴らしい本だが、一つだけ不満がある。それは、辻の作品の中で私が一番好きな『雲の宴』についての記述が、年譜と著作リスト以外では見当たらないということだ。

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