情熱の本箱
「原稿は焼いてくれ」という親友ブロートへの遺書は、カフカの賭けだった:情熱の本箱(329)

情熱的読書人間・榎戸 誠

敬愛する松岡正剛が高く評価している明星聖子の『新しいカフカ――「編集」が変えるテクスト』(明星聖子著、慶應義塾大学出版会)を手にした。

とりわけ強く印象に残ったことが、3つある。

第1は、フランツ・カフカの「日記、原稿、手紙は残らず焼いてくれ」という遺書を託された親友のマックス・ブロートの功と罪が明快に示されていること。

「カフカは生前自作をほとんど出版していない。殻が自らの手で公にしたのは、『判決』や『変身』を含む単行本7冊と、本というかたちにはしなかったが新聞や雑誌で発表した『断食芸人』などの短編小説及びエッセイ10編。それらは、カフカが生涯に文学的創作として書いていた原稿全体の6分の1ほどにしかあたらない。『城』や『審判』といった長編小説や『万里の長城』などの中編小説、またその他の多くの短編小説は、どれもカフカの死後遺されていた草稿から、彼の親友ブロートによって世に出された。つまり、ブロートは親友の願いを『裏切った』のである」。

「そもそもカフカのもっとも身近にいて、自分自身著名な作家であったブロートが、(カフカの)遺稿の文学的価値を認めて、当時まだ無名の作家の全集を出すという労を引き受けなければ、現在カフカはこれほど世に知られていなかったのである。つまり、ブロートが20世紀の世界文学にはたした功績は非常に大きいといえる」。

明星は、ブロートの罪を2つに分けて考えている。1つはカフカ解釈に関するもの、もう1つは草稿に恣意的かつ粗雑な編集を施したことである。

「戦後世界中で熱狂的なカフカブームが起こったが、そのとき多くの人々によってたくさんのカフカ論が生み出された。しかし、当時(1940年代後半から50年代初め)のカフカ解釈は全体的にみて非常に偏った傾向のもとにあったのであり、一言でいってそれは神学的あるいは哲学的=実存主義的解釈に支配されていた、そしてその原因はブロートにあったといえるのである」。すなわち、こういう偏ったカフカ解釈は、ブロートから始まっているというのだ。因みに、私も、カフカが実存主義的な考え方の持ち主だったとは、どうしても思えない。

「ブロートがめざしていたのは、受け入れられやすい、普及しやすいテクストづくりであり、したがって、彼にとっては、マルティーニによって批判された手入れ――句読法や正書法、あるいは文法を一般的なものに変えたり、書き損じを訂正したり、省略記号を書き直したり――の多くは、そのためのいわば必要悪だったのである」。

第2は、ブロートの編集に拠らないカフカの草稿の真の姿に迫ろうという学術的研究が進められているが、これにも限界があると、明星は考えていること。

気鋭の学者チームによって学術的に編集された「批判版カフカ全集」が出版され、さらに、その後、「史的批判版カフカ全集」というプロジェクトが進められている。しかし、明星は、このような研究の意義は認めつつも、カフカがどういう気持ちで草稿を書き溜めていったのかを突き止めるには限界があると考えている。「史的批判版の編集では、カフカの草稿のもつダイナミックさ、アナーキーさは十分には伝えられていないのではないかと考えられるのである」。

第3は、カフカ自身は完成された作品を目指すことよりも、自分が書きたいことをあれこれ書き進めていくことを優先させた、それが遺された厖大な草稿であり、そして、ブロートへの遺書はカフカの賭けだった――と、明星は考えていること。

「カフカがそもそも『審判』を書き始めたときの状況はどのようなものだったのか。なぜ、彼はこの物語の執筆を開始したのか。カフカが最初の2つの章(=「逮捕」の章と「処刑」の章)を書いたのは、1914年8月の初め頃と推定されている。1914年の夏といえば、カフカが、フェリーツェ(・バウアー)と最初の婚約(6月1日)を結び、すぐにその婚約を破棄した(7月12日)時期である。この頃の彼の日記には、これら一連の出来事をめぐって印象的な言葉が並んでいる。例えば、婚約した当日のことを記した日記には、次のような一文がある。『罪人のように縛られていた』。また、約1カ月後に、ホテルの一室でおこなわれた婚約解消の話し合いについては、一言こう記されている。『ホテル内の法廷』。さらに、数日後の日記には、次のような言葉も書き留められている。『刑場からの挨拶』。エリアス・カネッティが1969年に発表したエッセイのなかですでに詳細に論じているように、この婚約と婚約解消は、明らかに『審判』の物語の内容に非常に濃い影を落としている。カネッティはいみじくもこう指摘している、<婚約は第1章の逮捕となり、『法廷』は処刑として最後の章に現われる>。さらにカネッティは、カフカがこれらの出来事で味わった屈辱感とヨーゼフ・Kが死の瞬間に感じた恥辱感を結びつけ、次のように語っている(カフカの婚約式、及び婚約解消の話し合いは、両家の両親や親戚、友人たちが列席する『衆人環視のもとで』おこなわれた)。<それによる恥辱感が彼の内部に鬱積したまま、『審判』に耐えてそっくり最後の章に流れている>。・・・実は、カフカの激しい感情は、執筆を始めた彼のペン先からほとばしり、湧き出るように『逮捕』と『処刑』の2つの章を一気に成立させていたのである。そのときのカフカには、ペィスリーのいうような前回の失敗に学ぼうという気持ちよりも、もっと切羽詰まった欲求、書かずにはいられないという衝動のほうがはるかに強かったにちがいない。そして、このように彼が自らの心情とペンがおもむくままに書いたからこそ、『審判』の物語は、ある大きな矛盾を孕むことになるのである」。明星は、このことが、『審判』が未完に終わらざるを得なかった理由と考えているのだ。

「カフカの草稿の様子から、カフカがこの小説をきわめて自由な方法で書いたことを導き出した。カフカは、感情のおもむくままに『逮捕』の章と『処刑』の章を書き、それからその他の章をランダムに書き進めていった。そのとき、必ずしもその他の章は、『逮捕』と『処刑』の2つの章のあいだをつなごうとして書かれたのではなかった。・・・カフカはおそらくこの小説を書いているとき、章の『順序』を整えて、いわゆる一般的な小説として『完成』させることにはあまり注意を払っていなかったにちがいない。彼にとって一番重要なのは、ただ書きたいように書くことだったのではないか。カフカが書こうとしたのは、したがって、『完成』や『整合性』の要求される『作品』ではなく、『書字』としてしか表わすことのできないものではないか」。明星は、『審判』を「『草稿』でしかありえない小説」とまで言い切っている。

本書では、『城』についても、『審判』同様、精密な考察が展開されている。

いったい、カフカは何を望んでいたのだろうか。「おそらく、あの『遺書』をめぐる状況から、カフカ自身による『賭け』を読み取る人は少なくないだろう。ブロートが、彼の指示に――表向きにせよ、裏に秘められたものにせよ――従うという保証は何もない。しかし、カフカはそれに賭けた。実は、その種の『賭け』こそが、カフカの『書字』全体を支える動機ではないだろうか。いわば、カフカにはその『賭け』しか方法がなかったのではないだろうか。それを解く鍵は、『プロセス』にある。カフカの『プロセス』は、書きうるぎりぎりのところまで書き切った膨大な量の未完の草稿と、その結晶のようなわずかな小さな『作品』を生み出していた。カフカが書きのこしたものの大半は、いくら内的必然としてそれ以上書きえないものであるとしても、一般的な見方からすれば未完である。未完ということは、すなわち、社会規範からすれば、たとえいかに公表したくとも公表できないものである。常識的な了解においては、創作物は、未完であるかぎりは『公的なもの』となりうる資格をもたず、それらはあくまで『私的なもの』であり続ける。しかし、未完であれば、永遠に『私的なもの』にとどまり続けるのか、といえばそうではない。それらを『公的なもの』に押し上げる方策は唯一残されている。おそらく、カフカ自身は、それをよく知っていたのだと思う。自らの未完の『私的』な書き物を公にする唯一の方法――つまり、『作者』の地位を獲得すること、そのうえで、彼自身が死ぬことである。・・・近代における『作者』への関心は、とりもなおさず、『作者』の『私的』な領域への関心である。そのことは、小説の草稿のみならず、本来もっとも『私的なもの』であるはずの日記や手紙までもが、『文学』としてもてはやされていることからも明らかである。近代以降の『文学』においては、『作者』という権威の裏付けさえあれば、もはや彼の手によって書かれたものはすべて読むに値するものとみなされ、それが『公的なもの』か「私的なもの』かは一切問われないという事態に至っているのである。カフカは、この事態を逆手にとった。彼は、地下の大鉱脈のありかを示す露頭として結晶のような『作品』をいくつか発表し、『作者』の地位に就き、その大鉱脈、深奥に隠したプライベートなものを人々の目にさらす特権を獲得したうえで、死んでいった。彼の死後に遺された膨大な『私的』な書き物を公にしたのは、ブロートというよりも、『文学』という制度そのものだったのである。『文学』とは、摩訶不思議な制度である。カフカの小説を読む者たちは、みな一様に、謎だ、難解だ、と感想を述べるが、その人たちの誰も、『審判』が完結していないのはたいへん惜しむべきだとか、『城』が完結されていれば、作品としての価値は上がっただろうなどとはいわない。こういうかたちの小説もありうるのだということを示されれば、人々は、たとえそれが彼らの常識に反していたとしても素直に受け入れる。逆に、その際立った特異性によって、常識を覆されればされるほど一掃魅了される」。カフカの人気の高さの理由を、実に的確に言い当てている。

あの世のカフカが本書を読んだなら、明星聖子というのは恐るべき洞察者だと一驚するに違いない。

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