情熱の本箱
ナポレオンの妹は、奔放かつ官能的な美女だった:情熱の本箱(100)

ナポレオン妹

ナポレオンの妹は、奔放かつ官能的な美女だった


情熱的読書人間・榎戸 誠

ナポレオン・ボナパルトとその周辺の人物についてはかなり詳しいつもりだったが、ナポレオンの妹が奔放かつ官能的な美女だったことは知らなかった。『ナポレオンの妹』(フローラ・フレイザー著、中山ゆかり訳、白水社)には、多くのことを教えられた。

第1は、ナポレオンより11歳年下の2番目の妹、ポーリーヌ・ボナパルトが、当時、ヨーロッパ一の美女と謳われ、本人もそのことを強く意識していたこと。第2は、奔放というか、性的に放縦というか、夫がいようがお構いなく、好みの男性と次から次へと浮名を流したこと。しかも、そのことを隠そうとしなかったこと。第3は、兄・ナポレオンが失脚してからは、一族の誰よりも兄のことを気遣い、その復活に努めたこと。それまでは、兄の忠告を無視し、勝手気ままな行動を繰り返していたというのに。

本書の魅力は、まだある。私にとって興味深い同時代の人物、例えばジョゼフ・フーシェやシャルル・モーリス・ド・タレイラン・ペリゴール、アレックス・デュマなどが脇役として登場すること。例えば、「このような自由気ままな生活を皇帝(ナポレオン)が許すものだろうか。ポーリーヌは自身の随員たちには目隠しをつけおおせたかもしれないが、(愛人の)フォルバンの行動は、兄の警察大臣フーシェと彼の一群のスパイたちの注意深い目を逃れることはできなかった」というように。

さらに、本書のカヴァーと扉に掲載されている、彼女がモデルとなったご自慢の彫刻(現在、ローマのボルゲーゼ宮に飾られている、ほぼ等身大のウェストまでセミヌードでソファに横たわる「勝利のヴィーナス」)によって、往時のポーリーヌの容姿の美しさを目にすることができること。巻末の「ボナパルト家の家系図」と「本書の主な登場人物」が充実していること。

ところで、実物のポーリーヌは、本当に美しかったのだろうか。「『ポーリーヌ・ボナパルトは、このうえなく最高に美しかった』。オーストリア大使メッテルニヒはこのように追憶している」。

「ポーリーヌは、歴史的人物としては必ずしも主流ではなく、また傍流として見ても一筋縄ではいかない女性だ。だが、この激動の時代の中心人物、すなわち兄のナポレオンから常に深く愛された女性だった」。「(本書では)ナポレオンは妹とともに表舞台の主役を務めている。妹の庇護者として、そして同時におそらくは、妹の幸福の破壊者として――それはナポレオンとフランスの関係と同様なのだ」。

「ポーリーヌは兄の出世と没落を反映して波乱に富んだ人生を送る・・・。兄の権力が増大するにつれ、彼女はさまざまな噂に取り巻かれることになった。白人にも黒人にも多くの愛人をもっており、同性愛にふけり、色情狂で、淋病を患い、さらには兄ナポレオンと近親相姦の関係にある、といった話まであった。噂のある部分は本当だったろうが、真実でないものもあった。・・・だが、自身のスキャンダルが話題となることに、ポーリーヌはまったく無関心だった。ナポレオンは宮廷でのモラルを重視していたが、彼女はそんな兄の考えを尊重することもなく、また彼女の二人目の夫カミッロ・ボルゲーゼ大公の感情もまったく斟酌せず、多くの愛人をつくった。そして、『ヨーロッパ一の美女』という評判を大切にしていた彼女は、宝石類をアクセサリーにしつらえては、またそのデザインを変えるといった贅沢を繰り返し、多くの時間を衣裳選びに費やした。しかしその一方で、彼女にはドライに割り切ったところもあり、しばしばメディチ家のヴィーナス像にたとえられる自身の容姿を、『たまたま自然が自分にくれた長所』といったふうに考えていた。自分の好き勝手に振る舞う彼女はローマでは『社会不適合者』と見られており、またパリでは『誘惑する女』と呼ばれることが多かったが、どこにいても彼女はいつも現実的であり、また兄と同様に直感的だった――もちろんそれは、彼女なりのやり方ではあったけれど。その結果、皇室の一員でありながら、彼女の皇族生活に対する観察眼はしばしば的を射て機知に富んでいた」。

ナポレオンが、一番目の夫と海外に赴任中のポーリーヌに宛てた手紙の一節。「夫のことをちゃんと気にかけてやりなさい。・・・彼が嫉妬にかられるようなことをするのはやめなさい。真面目な男にとって、うわついた振る舞いはすべて耐え難いものだ。妻たるもの、常に善良であり、夫の楽しみのために努めるべきであって、彼に強要してはならない。おまえの夫は今や栄誉を蓄え、私の(義)弟と呼べるだけの真に価値ある男だ。・・・愛情と思いやりに満ちた友情をもって、彼とともにありなさい」。

最初の夫が病死してから間もない頃、22歳の未亡人・ポーリーヌが友人に語った言葉。「もう本当に退屈で、死んでしまいそうよ。私がお友達と会うのを永遠に禁じたいと兄が考えているとしたら、私、自殺するわ」。

「兄の軍事行動の詳細は、ポーリーヌの関心事ではなかった。皇帝が無事で元気であり、夫が遠く離れたところにいてさえくれればそれでよかったのだ。夫が遠くポーランドに派遣されたと聞いた彼女は、『皇帝がカミッロのために取りはからってくださったことに、私は喜んでいます。たった今、夫から手紙を受け取ったところです』と、書いている」。

皇帝ナポレオンとポーリーヌとのやり取り。「ポーリーヌは泣き出した。『カロリーヌ(妹)は大公国をもらったわ。しかもあの娘は私より年下なのよ。なぜこの私が妹に負けなくてはいけないの? あの娘は政権をもち、大臣だっているわ。ナポレオン、いいこと、もっとちゃんと私のことを扱ってくださらないなら、あなたの両の目をえぐり出すわよ。それに可哀想な私のカミッロ。大事な義弟に、どうしてそんな意地悪ができるの?』。『あいつは馬鹿者だよ』と兄は答えた。『ええ、そうよ。でもそれが何だというの?』」。

「ポーリーヌは称号や領地には執着はなかったが、金銭の力はいつも相当に尊重していた」。

これは、ポーリーヌの傲慢さを示す恰好のエピソードと言えるだろう。「訪問したエスカール公爵夫人は、大公妃(ポーリーヌ)が『非常にエレガントにドレスをお召しになっている』ことに目をとめた。だが、ドレスよりも、ポーリーヌがそのときとっていたポーズのほうがさらに驚くべきものだった。彼女の侍女ド・シャンボードワン夫人が床に両腕を広げて仰向けに横になり、その善良な夫人の喉の上には大公妃の両方の足が載せられていたのだ。公爵夫人によれば、ド・シャンボードワン夫人は『まさにこの屈辱的な状況のために生まれてきかのごとく、その姿勢を恥ずかしくも何とも感じていないように』見えたという。・・・エスカール公爵夫人は、その『犠牲者』がさらしている喉笛の上でポーリーヌが絶え間なく足を動かす様子に、唖然としながらも目が離せないでいた」。

「姉エリザの夫バッチョーキによれば、ポーリーヌは頑固な女性だった。『私は、これまでいつも、そうすべきほどには皇帝を愛してきませんでした。ですが今、皇帝は兄として私の忠誠を求めています。皇帝は、ここからエルバ島へといらっしゃいます。私は彼に私の慰めの言葉を捧げ、もし彼が望むのであれば、必ずやエルバ島へ彼を追いかけていくつもりです』」。

もう一つ、私にとって意外だったのは、兄・ナポレオンの失脚後も、自らの死に至るまで、ポーリーヌが莫大な財産を所有し続けていたことだ。彼女が、自分の死後の手配をてきぱきとこなしてから病死したのは、44歳のことであった。