情熱の本箱
アウシュヴィッツ強制収容所の図書係の少女が実際に体験したこと:情熱の本箱(151)

アウシュヴィッツ

アウシュヴィッツ強制収容所の図書係の少女が実際に体験したこと


情熱的読書人間・榎戸 誠

『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社)からは、悲惨なホロコーストの非人間性と、本や読書がもたらす力がヴィヴィッドに伝わってくる。そして、人が勇敢であるとはどういうことかを考えさせてくれる。

本書の主人公、当時14歳のエディタ・アドレロヴァ(愛称・ディタ)を初め、登場人物は全て実在の人物である。本書では仮名が用いられているが、ディタの本名はディタ・ポラホヴァである。

収容所の図書係とは、どういうものなのだろうか。「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所、1944年1月――。すべてを飲み込む暗いぬかるみの上に、アルフレート・ヒルシュ(愛称・フレディ)は学校を建てた。黒い制服に身を包み、人間の死を冷酷に眺めるナチスの将校たちは、そのことを知らないし、それを彼らに知られてはならない。アウシュヴィッツでは、人の命は虫けらほどの価値もない。鉄砲の弾の方が貴重だから、もはや誰も銃殺されもしない。チクロンガスを使うガス室があるのは、ドラム缶1本で何百人も殺せば、その方がずっと安上がりだからだ。まとめて始末しないと不経済というわけだ」。

「木造のバラックの中、教室とはいっても名ばかりで、椅子と子どもたちの寄せ集めにすぎない。仕切りも黒板もない。教師は二等辺三角形やアクセント記号、ヨーロッパの川の流れに至るまで、空中にさっさっと描く。子どもたちの小さなグループは20近くあり、それぞれに教師が1人。グループ同士の間はいくらもあいていない」。

「ここで学校を開いた当初、何人かの先生がどんなに反対したか、聞いたことがある。アウシュヴィッツから生きて出られるかどうかもわからない子どもたちに勉強をさせて何になる? 目と鼻の先で死体が焼かれ、黒い煙を吐き出している煙突のことを話す代わりに、ホッキョクグマの話をしたり、掛け算の九九を教えたりすることに何の意味があるのか? そう反対する先生たちを、ヒルシュは熱意とその権限で説き伏せた。31号棟は子どもたちのオアシスになるのだと」。

「自分は31号棟の図書係だ。信じて任せてくれと、無理やり頼みこんだのは自分だ。フレディ・ヒルシュを裏切ることはできない。彼は自分を信じて任せてくれた。ヒルシュは彼女に8冊の禁じられた本を見せて言った。『これが君の図書館だよ』と」。

「(ヒルシュは)バラックで彼女(ディタ)に言った。『君は図書係だ』と。ただし、こうも付け加えた。『しかしこれは非常に危険なことだ。本を手にするのは、ここでは遊びじゃない。本を持っているところをSS(ナチス親衛隊)に見つかれば処刑される』」。

「隠し場所はまず安全だろう。板張りの床の隅っこの板の1枚が取り外しできるようになっている。その下の地面を掘った穴に、小さな図書館のわずかな蔵書が保管してある。本はぴっちり隙間なくおさめてあるから、床の上を歩いても、コンコンと指で叩いても、空洞のような音はしないし、下に隠し場所があると疑わせるものは何もない」。

ディタが心から尊敬しているヒルシェの言葉は、ディタを勇気づける。「『勇気がある人間と恐れを知らない人間は違う。恐れを知らない人間は軽率だ。結果を考えず危険に飛び込む。危険を自覚しない人間は周りを危ない目に遭わせる可能性がある。そういう人間は僕のチームにはいらない。僕が必要とするのは、震えても一歩も引かない人間だ。何を危険にさらしているか自覚しながら、それでも前に進む人間だ』」。

「『最強のアスリートは最初にゴールを切る選手ではない。倒れるたびに立ち上がる選手だ。腹が痛くても走り続ける選手。ゴールが果てしなく遠くても、あきらめない。ビリになっても、彼こそが勝者だ。一着になりたくても、かなわないことだってある。しかし君はいつでも最強の選手にはなれる。それは君次第だ。気の意志、君の努力次第だ。僕は君たちに最速の選手になれとは言わないが、最強の選手を目指してほしい』」。

ところが、ヒルシュは秘密を抱えており、やがて、収容所で睡眠薬を呑み過ぎて死んでしまう。

収容所の実態が生々しく暴かれる。「(収容所には)医者がいて、一人ひとりを診て、左右にふり分ける。労働力として使える健康な者とそうでない者。老人や子ども、妊婦、病人は収容所の土を踏むことすらない。収容所の奥、昼夜稼働する焼却炉へ直行だ。そこで、ガス室に送られる」。

「『俺たちがタンクのふたをあけ、親衛隊がチクロンガスの容器を投げ込む。その後、15分待たなくちゃいけない。いや、もう少し短いかな。その後は静かになる。神様、お許しください・・・。あれは、想像もできないだろうな。中に入ると、絡み合った死体の山なんだ。押しつぶされ窒息して死ぬ人もたくさんいる。反応は激烈なんだろう。毒を吸うと息ができなくなって、痙攣が起きる。死体は糞尿まみれだ。飛び出さんばかりに目をひんむいて、内臓が破裂したみたいに体から血が噴き出している。ひきつった腕を、絶望するように他人の体に絡ませている。空気を吸おうとしたんだろう、体からちぎれそうなほど首が伸びている』」。

「1944年3月8日の夜、BⅡb家族収容所にいた3792人の収容者がガス室に送られ、アウシュヴィッツ・ビルケナウの第3焼却炉で焼かれた」。

本の持つ力、読書がもたらす力が熱く語られる。「(独裁者たちは)誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ」。

「あの小説を思い出してディタは微笑んだ。あれ以来、本によって人生が何倍にも豊かになることを知った」。

「ディタはそれらの本を見つめ、優しく撫でた。縁がこすれ、ひっかき傷があり、読み古されてくたびれ、赤っぽい湿気によるシミがあり、ページに欠けているものもあるが、何ものにも代えがたい宝物だった。困難を乗り越えたお年寄りたちのように大切にしなければ。本がなければ、何世紀にもわたる人類の知恵が失われてしまう。本はとても貴重なものなのだ。私たちに世界がどんなものかを教えてくれる地理学。読む者の人生を何十倍にも広げてくれる文学。数学に見る科学の進歩。私たちがどこから来たのか、そしておそらくどこに向かって行くべきなのかを教えてくれる歴史学。人間同士のコミュニケーションの糸をときほぐしてくれる文法・・・。その日ディタは、図書係というだけでなく、傷んだ本の世話係にもなった」。

ディタが預かっている本の中の一冊で、ディタが大きな励ましを得た『兵士シュヴェイクの冒険』を無性に読みたくなってしまった。