情熱の本箱
中米のジャングルで「猿神王国」を築いたのは、どういう人たちだったのか:情熱の本箱(199)

猿神

中米のジャングルで「猿神王国」を築いたのは、どういう人たちだったのか


情熱的読書人間・榎戸 誠

子供の頃、探検記を読むとワクワクしたものだが、この年になっても、この性向は変わらない。探検は過去のものと思いがちだが、『猿神のロスト・シティ――地上最後の秘境に眠る謎の文明を探せ』(ダグラス・プレストン著、鍛原多恵子訳、NHK出版)によって、この21世紀にも本格的な探検が行われていることを知り、感激の極致を彷徨った。

2015年、中米・ホンジュラスのモスキティア東部で500年に亘りジャングルの奥地に埋もれていた遺跡が発見された。現地で長く語り継がれてきた「猿神王国」とも「白い都市」とも呼ばれる伝説の遺構・遺物――多数の広場、防壁、土塁、土造りのピラミッド、埋納された石像群――に、遂に著者らの調査隊が辿り着いたのである。1000年前に栄え500年後に消滅した文明を築いたのは、どういう人たちだったのか。そして、彼らはなぜ、忽然と姿を消してしまったのか。

この探検は、従来の探検とは異なり、最新テクノロジーを駆使することによって、短期間で大きな成果を上げることができたのである。「GPSやライダー(最新のレーザー調査技術)が発明されていなかったら、この谷や遺跡の調査は不可能ではなくとも、とても難しかっただろうと私たちは話した。ライダー地図がなければ、T1(山間の1番目の峡谷)遺跡の中を通っても、その存在にすら気づかないかもしれない。ライダー地図とGPSがあったからこそ、どこを探せば植生に隠された遺構にたどり着けるかを知ることができたのだ。対岸の湿原の先にある森を見たが、土塁や広場の存在を示すような手がかりは何もなかった」。

「フィッシャーが仲間になったことを喜び、エルキンスはライダーが描いた地図を彼に送った。フィッシャーはその解析に6か月かけた。12月、サンフランシスコで調査隊と合流し、解析結果をみなに報告した。T1もなかなかなものだが、T3(山間の3番目の峡谷)がより驚異的だと彼は考えていた。この2か所の遺跡がマヤ文明のものでないのは間違いなかった。それは、何世紀も何世紀も前にモスキティア地方を支配していた古代文明なのだ。儀式用の構造物、巨大な防壁、多数の広場の存在は、T1もT3も考古学で言うところの古代『都市』であることを示唆しているという」。

「これほど原始的で人の手に汚されていない谷が、21世紀になってもまだ残っていることに驚嘆する思いだった。ここは真の意味で失われた世界なのだ。この地は私たちが入ってくるのを望んではいないし、私たちのものというわけでもなかった。明日、私たちは遺跡に入る予定になっている。何が見つかるだろうか? 想像もできなかった」。

「私たちは、ピラミッドの側面から都市の最初の広場に下りた。ライダー画像では、広場の3つの側面が幾何的な土塁やテラスに囲まれていた。フィッシャーがふたたびトリンプル製のGPSで位置を調べ、地上マッピングを始めようとしたときだった。ネイルが叫び声を上げた。彼はひざまずき、植物にほぼ完全に埋もれた大きな石板を覆う土と蔓を取り除いた。石板には加工面があった。辺りの植物を引き抜いたり切ったりすると、同じような石板がさらにある。たくさんの石板が長く一列に並び、そのどれもが3個の白い玉石の上に置かれている。どうやら祭壇らしい。フィッシャーが口を開いた。『石板をきれいにして線刻されているかどうか確認し、GSPでこの位置を知る必要がある』。彼が無線機を放り出し、キャンプにいるエルキンスを呼び出してこのことを伝えた。二人が興奮した会話を交わし、無線機のスピーカーを通して全員がその会話を聞くことができた。エルキンスは感きわまっていた。『これで、切り出した石が建造物に使われたと証明できる。つもり、ここは重要な遺跡だ』」。

「朝5時、叩きつける雨の音を消し去るほどのホエザルの声で目覚めた。・・・朝食時、何人かが真夜中にジャガーがキャンプのすぐ外側を歩き、ゴロゴロ鳴いたと報告した」。

「列の後方にいた撮影監督のルシアン・リードが、叫んだ。『おい、変な石があるぞ!』。私たちはそれを見に戻って、大騒ぎになった。地面がくぼんだ広い場所に、何十体もの見事な石像の上部が見えた。植物の葉や蔓のあいだから見える苔むしたそれらの像が、森の薄暗がりの中ではっきりとかたちを見せはじめた。私の目に最初に飛びこんできたのは、地面から突き出ている、吼えるジャガーの頭部だった。次に見えたのが、コンドルの頭部の彫像が口縁についた石の器、さらにヘビの彫刻が施された大きな石の器。その隣に玉座かテーブルらしきものがいくつかあって、外縁や脚部に碑文か象形文字が刻まれているものもある。すべてがほぼ土中に埋まって、上部だけが氷山のように突き出ていた。私は言葉も出なかった。これらの石像はすばらしい状態にあり、何世紀も前にここに納められてから私たちが今日見つけるまで、誰にも手を触れられていないようだった」。

「埋納物は大量に発見され、500点をはるかに超えた。だが、これらの埋納物の量よりさらに興味深い点は、そもそもその存在にあった。この種の儀礼目的に使われた遺物は、古代モスキティアの失われた都市の特色を表しているようだった。こうした遺物はマヤ文明などでは見られない。つまり、これらの遺物はモスキティアの人びとを隣人と区別するカギであり、彼らが歴史に占める位置を特定するものだ。これらの埋納物の目的は何だったのだろう? なぜ彼らはここにこうした品々を残したのか?」。

「スペイン人による征服がなかったのなら、なぜモスキティアの都市や残りの土地は放棄されたのだろう?」。いよいよ、謎解きは佳境に入る。

「(新世界の人々がほとんど耐性を持たない)病気はすさまじい勢いで流行したのだから、(ジャングルの奥に立地していたにも拘わらず)T1の谷が病原体の脅威を逃れたとは考えにくい。ヨーロッパからもちこまれた流行病が、1520〜50年のあいだのどこかで、モスキティアのT1やT3などの地域に到達したのはほぼ確実と思われる」。

「1500年代初頭に(ヨーロッパ発の天然痘、はしか、腸チフス、インフルエンザ、ペストなどの)流行病が波のようにT1を何度か襲ったと理解できる。致死率がホンジュラスのほかの地域や中米一般と同じと考えると、住民の約90パーセントが病死しただろう。絶望しトラウマを抱えた生存者は都市を去り、神々への最後の供物として神聖な品々を埋蔵した。その際、これらの品々の多くを破壊して、その魂を解放した。これは人に対する副葬品とは意味合いが異なる。それは都市に対する副葬品であり、文明の記念碑なのである。この地域のいたる場所で、人びとは神聖な品を破壊して神々に捧げた上で都市を去った」。「猿神王国」・「白い都市」の伝説は、人々が病気を恐れて都市を放棄したという単純な物語だったというのだ。この著者の仮説は、自らの探検・調査を踏まえているだけに、圧倒的な説得力を有している。