情熱の本箱
生物進化の歴史は、繰り返されるのか、それとも一回きりのものか:情熱の本箱(282)

生物進化の歴史は、繰り返されるのか、それとも一回きりのものか


情熱的読書人間・榎戸 誠

我々ホモ・サピエンスは、数々の幸運に恵まれた結果、奇跡的な進化を遂げ、今ここに存在している稀有な例であるという、スティーヴン・ジェイ・グールドの説を信じてきた私にとって、『生命の歴史は繰り返すのか?――進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む』(ジョナサン・B・ロソス著、的場知之訳、化学同人)は看過できない一冊である。

グールドは、『ワンダフル・ライフ――バージェス頁岩と生物進化の物語』の中で、進化の道筋は曲がりくねっていて予測不能だ、時間を巻き戻して生命進化のテープをリプレイすれば、全く異なった結果になるはずだと主張した。すなわち、生物進化は偶然に支配される、進化は同じことを繰り返さないというのだ。

その後、予測不可能性と非反復性に重きを置くグールドの見解に対する異論が噴出する。サイモン・コンウェイ・モリスの『進化の運命――孤独な宇宙の必然としての人間』に代表されるその説は、遍く存在する適応的な収斂進化を重視する。似たような環境に棲息する種は、その中で経験する共通の淘汰圧に対する適応として、似たような特徴を進化させる、そして、収斂という現象は、進化は曲がりくねって予測不能どころか、実際にはかなり予測可能であることを示しているのだと主張する。自然界を生き抜く方法は限られていて、だからこそ自然淘汰により、同じ特徴が何度も繰り返し進化してきた、すなわち、進化は必然的なものだというのである。

グールドとモリスの主張のどちらが正しいのか。この問いに答えを出すには、進化は予測できるのか否かを調べる進化実験を行うよりないと、著者は自ら野外での進化実験に踏み出す。著者と同じように実験で答えを出そうとする国内外の研究者が、フィールド(野外)で、そしてラボ(実験室)で、さまざまな進化実験を展開している。本書は、これらの研究者たちの奮闘物語でもある。

著者を含めた研究者たちの実験結果は、自然界は収斂進化の実例で溢れていることを明らかにしつつある。これは、モリスの進化は繰り返すという説を強力に補強するものだ。

しかし、著者は立ち止まって考える。「収斂の普遍性。反復する適応拡散。進化の一般則。これらの証拠は、(モリスの)進化的決定論に圧倒的に有利に思える。コンウェイ・モリスたちが正しいのかもしれない。進化は繰り返す。それも予測可能な形で。だが、ひとつ問題がある。これまでに見てきた証拠の大部分、とくに収斂進化と反復適応拡散の長いリストは、後づけで収集されたものだ。進化がどれだけ予測可能かを検証する実験に基づいていないどころか、偏りのないサンプルですらない。進化が繰り返された事例があるのはわかった。では、進化が繰り返されなかった事例はどのくらいあるだろう?」。「収斂は普遍的で、自然界の本質であり、すべての生物は予測可能な自然淘汰のはたらきによって、環境があらかじめ定めた結果に向かうのだろうか? それとも、数かずの収斂進化は例外にすぎず、行きあたりばったりの自然のなかから予測可能性を示すかに思える例を都合よく集めただけで、結局のところほとんどの生物には進化的な分身など存在しないのだろうか?」。この立ち止まりは、著者がありふれた研究者ではないこと、そして、本書が一筋縄ではいかない書物であることを如実に示している。

さまざまな実験研究結果が指し示すのは、こういうものだ。「同一の状態からスタートすると、どの個体群も概して淘汰に同じような反応を示す。最初にばらつきがあると、進化的反応は大きく異なるものになりやすい。グールドに1ポイント。初期条件を変更すると、異なる進化の道筋をたどることは、実際にあるのだ」。「グールドの主張に照らせば、これは意義深い結果だ。複数の個体群が平行進化している場合でも、新たな環境条件にさらされれば、蓄積された隠れた差異が原因で、それぞれの個体群は異なる方向に舵を切るかもしれない」。

思考上の紆余曲折を経て、著者はじりじりと結論に迫っていく。「リプレイは、決してオリジナルと同一にはならない。ひとつの種子、ひとつの嵐、ひとつの小惑星。できごとや条件の変化は必ず起こる。微生物の進化実験の強みを、自然界で起こる偶然のできごとと結びつけられれば、時間的・空間的偶発性の役割を、本当の意味で検証できるはずだ」。「これらの研究において、収斂は普遍的とは程遠かった。もっとも極端な収斂の事例でさえ、せいぜい半数の株にみられる程度で、ほとんどの遺伝子については、変異の収斂が起こったといっても、ごく少数の株で確認されたにすぎなかった。結局のところ、ほとんどの遺伝子は、たったひとつの株で変異が生じただけなのだ。収斂vs偶発性の論争との関連でいえば、これらのデータは明らかにグールドに有利にはたらくだろう」。「オランダの研究は、偶然のできごとがのちの進化の結果に劇的な影響を与えるという、歴史的偶発性の完璧な実例だ」。「収斂進化を概観し、進化実験の結果を学んできたわたしたちはすでに。近縁でない種は同じ条件に直面したとき、しばしば異なる方向に進化すると知っている」。「異なる環境条件を経験した個体群は、大まかにいえば、たとえ同じ淘汰圧にさらされていたとしても、異なる方向に進化する傾向がある。そして、それを裏づけるのは、ほんの少し異なる環境で生きてきた、大腸菌、イトヨ、ショウジョウバエの個体群の研究だ。多種多様な惑星の、劇的に異なる環境ともなれば、進化がばらばらの方向に向かうのは、ほとんど自明といっていい」。「事実、ヒトは進化の特異点なのだ。わたしたちのような生物は、地球上のどの場所、どの時代をみても、ほかにいない。全体として収斂進化が普遍的であることは、ヒトの進化の不可避性の証拠としては、説得力に欠ける」。

生物進化を比較的短いスパンの歴史時間で考えるか、長いスパンで考えるかという時間的な問題。限定された地域で考えるか、ずっと広範な地域で考えるかという空間的な問題。初期条件を揃えて実験するか、異なる初期条件下で実験するか、また、与えた環境条件は厳密にコントロールされているかといった実験設計の問題。進化実験はエキサイティングだが、いろいろと考えさせられた。

本書の出現によって、グールドの仮説が葬り去られてしまうのではとハラハラし通しだったが、そういう結末にはならず、ホッとしている私がいる。