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サマセット・モームの自伝的小説『人間の絆』を読んで、分かった3つのこと:情熱の本箱(294)

サマセット・モームの自伝的小説『人間の絆』を読んで、分かった3つのこと


情熱的読書人間・榎戸 誠

サマセット・モームが41歳の時、出版された自伝的小説『人間の絆』(サマセット・モーム著、中野好夫訳、新潮文庫、上・下)を読んで、分かったことが3つある。

第1は、モームがこの作品を書いた理由。

モーム自身が、彼の中にあったある種の精神的しこりみたいなものを浄化するための一つの記念碑だったと語っている。

第2は、モームが吃音というコンプレックスを初め、多くの悩みを抱えていたこと。これらの苦悩を通じて、人生に対する考察を深め得たこと。なお、吃音は、主人公のフィリップ・ケアリの場合は先天性内反足に置き換えられている。

「いったい人生とは、なんのためにあるのだ? フィリップは、絶望にも似た気持ちで、自問してみた。まったくむなしい、夢のような気がする。・・・努力に比して、なんという、それは、あわれな結果なのだ。青春の美しい希望の数々にむくいられるものは、ただかくも苦い幻滅、それだけなのだ。それにしても、苦痛と病と不幸との重錘(おもし)が、あまりにも重すぎる。いったい、どういうことなのだ? フィリップは、彼自身の一生を振り返ってみた。人生へ乗り出したころの輝かしい希望、彼の肉体が強いたさまざまの制限、友だちのない孤独、彼の青春を包んだ愛情の涸渇。彼にしてみれば、いつもつねに、ただ最上と思えることだけをしてきたつもりだ。しかも、このみじめな失敗ぶりは、どうだ! 彼と同じように、いっこう取り柄もなさそうな人間で、りっぱに成功しているのもあれば、彼よりは、はるかに有利な条件をそろえていて、それでいて失敗した人間もいる。すべては、まったくの運らしい。雨は、正しい人間にも、悪い人間にも、一様に降る。人生いっさいのこと、なぜだの、なにゆえにだのという、そんなものは、いっさいないのだ」。

(尊敬する年長の友で、急死した)クロンショーのことを考えながら、フィリップは、ふと彼がくれたペルシャじゅうたんのことを思い出した。人生の意味とはなにか、ときいたフィリップの質問に対して、彼は、これが答えだと言った。・・・答えは、あまりにも明白だった。人生に意味などあるものか。空間を驀進している一つの太陽の衛星としてのこの地球上に、それもこの遊星の歴史の一部分である一定条件の結果として、たまたま生物なるものが生まれ出た。したがって、そうしてはじまった生命は、いつまた別の条件の下で、終りを告げてしまうかもわからない。人間もまた、その意義において、他のいっさいの生物と少しも変りない以上、それは、創造の頂点として生まれたものなどというのでは、もちろんなく、ただ単に環境に対する一つの物理的反応として、生じたものにすぎない」。

「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ。彼が、生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、いっさいなんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」。

「幸福への願いを捨てることによって、彼は、いわば最後の迷妄を脱ぎ捨てていたのだった。幸福という尺度で計られていたかぎり、彼の一生は、思ってもたまらないものだった。だが、いまや人の一生は、もっとほかのものによって計られてもいい、ということがわかってからは、彼は、自然勇気のわくのをおぼえた。幸福とか、苦痛とか、そんなものは、ほとんど問題でない。それらは、彼の一生における、いろいろほかの事柄と一緒に、ただ(じゅうたんの)意匠を複雑、精妙にするだけに、はいって来るものであり、彼自身は、一瞬間、彼の生活のあらゆる偶然の上に、はるかに高く立ったような気持ちがして、もはやいままでのように、それらによって動かされることは、完全にあるまいと思えた。たとえどんなことが起ころうと、それは、ただ模様の複雑さを加える動機が一つ、新しく加わったということにすぎない。・・・フィリップは幸福だった」。

「彼は、未来にばかり生きていて、かんじんの現在は、いつも、いつも、指のあいだから、こぼれ落ちていたのだった。彼の理想とは、なんだ? 彼は、無数の無意味な人生の事実から、できるだけ複雑な、できるだけ美しい意匠を、織りあげようという彼の願いを、反省してみた。だが、考えてみると、世にも単純な模様、つまり人が、生まれ、働き、結婚し、子供を持ち、そして死んで行くというのも、また同様に、もっとも完璧な図柄なのではあるまいか? 幸福に身をゆだねるということは、たしかにある意味で、敗北の承認かもしれぬ。だが、それは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ」。

第3は、モームが女性関係で大変苦労したこと。作品で描かれた主人公の恋愛の一つひとつがモームの実体験そのものかは分からないが、執筆理由から考えて、同じような恋をしたことは間違いないだろう。

医学生のフィリップは、カフェの給仕女、ミルドレッド・ロジャーズという性悪女に翻弄され続けます。一方、ノラ・ネズビットという年上の大衆小説家の女は、美人ではないが、頭も人間性も良く、フィリップを心から愛しているのに、フィリップはノラを捨ててしまいます。やがて、フィリップは、彼が担当した患者と親しくなり、その長女、サリー・アセルニーに惹かれていきます。

「彼女(サリー)も、もう成人になりかけていた。ドレスメーカー(裁縫師)の見習いにかよっていたが、毎朝7時には、ちゃんと家を出て。終日、リージェント街の店で働いていた。素直そうな青い目、広い前額、そして豊かな髪は、輝くばかりだった。大きなしり、大きな乳房、いかにも丈夫そうな女だった。・・・動物のように健康で、しかも女らしいところが、彼女の魅力だった。だいぶ賛美者もあるようだったが、彼女は、いっこうケロリとしていた」。

「彼女は、足を止めて、(待ち合わせ場所の)木戸の方へ来た。彼女と一緒に、ほのかな、甘い田園のかおりが、漂って来た、刈りたてのほし草のかおり、熟したホップの味、若草の新鮮さ、なにかそういったもののすべてを、一緒に身につけて歩いているような女だった。彼は、彼のくちびるに、ふくらみのある、やわらかい彼女のくちびるを感じた。美しい、健康そうな肉体が、しっかり彼の腕の中に、抱かれていた」。

「はじめは、実際彼女のすることがわからなかった。だが、知りあうにしたがって、だんだん好きになった。しっかりしていて、自制心があり、ことにその正直さが、よかった、この女ならは、どんなときでも、安心して信頼できるという、そんな気がした」。ここまで読み進めてきて、私の好みの女性のタイプとモームのそれが一致していることが判明し、ホッとした。

30歳になろうとする医師のフィリップが19歳のサリーに結婚を申し込み、サリーが快く受け容れたところで、物語は終わっている。