情熱の本箱
目から鱗が24回も落ちた――日本史を包摂した世界史の本:情熱の本箱(115)

教養世界史

目から鱗が24回も落ちた――日本史を包摂した世界史の本


情熱的読書人間・榎戸 誠

『仕事に効く 教養としての「世界史」』(出口治明著、祥伝社)を読んだら、目から鱗が24回も落ちた。歴史好きを自任している私の目から鱗が何回もボロボロと落ちたということからも、本書の面白さが窺えるだろう。

いわゆるトリヴィア的な知識に感心したわけではなく、本質的に歴史を洞察する目を開かれたのだ。「ヘロドトスは『先人に学べ、そして歴史を自分の武器とせよ』と、言いたかったのだと思います。そしてそれは僕の思いでもあります」。鱗が落ちた理由・内容を全て書き出していると、それだけで一冊の本になってしまいかねないので、特に大きな鱗がポロッと落ちた部分に絞って話を進めていく。

先ず、「世界史から日本史だけを切り出せるだろうか」という設問が登場する。「世界史の中で日本を見る、そのことは関係する他国のことも同時に見ることになります。国と国との関係から生じてくるダイナミズムを通して、日本を見ることになるので、歴史がより具体的にわかってくるし、相手の国の事情もわかってくると思うのです。すなわち、極論すれば、世界史から独立した日本史はあるのかと思うのです」。このことを証明する例がいくつか挙げられているが、一番説得力があるのが、奈良時代に持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇・称徳天皇(同一人物)と相次いだ女帝の登場理由である。「もし日本史だけを勉強していたら、(中国の)武則天のことや新羅の2人の女王のことは学ばない。日本史だけを見て、『この時代は女帝が多いな、男の子が病弱だったのかな』ということになって、そこで思考が止まります。けれども、そうではなくて、奈良時代に女帝があのように頑張れたのは、周辺世界にロールモデルがあったからだと僕は思うのです。いったん讃良(持統)が道を開けば、安宿媛(光明子)を含めて、後に続くことは容易だったに違いありません。ちなみに、日本のスタートアップにかかわるキーパーソンは、讃良、藤原不比等、光明子の3人だったと僕は思っています」。世界史から日本史だけを切り出すことはできないというのである。

「歴史は、なぜ中国で発達したのか」という設問に対する解答として、始皇帝が完成させた文書行政と孟子の革命思想の2つが挙げられている。この流れの中で、歴史がきちんと残るのなら、自分の名前を後世に残したいと考える人間が登場してくると喝破している。「歴史がきちんと書かれるようになると、この世の中ではどうでもいいけれど、後世の歴史に名を残したいと思う人が出てきます。中村愿さんが『三國志逍遥』に次のようなことを書いています。三国志で有名な蜀の諸葛孔明(諸葛亮)は、亡くなった先帝の劉備玄徳に殉じようとして、曹操がつくった魏に戦争を仕掛けます。亡き皇帝に大恩があるから、中国を統一するのが自分の使命だと考えて、死ぬまで何度も四川省の成都から北のほうに攻めていきます。これは忠義そのもので、孔明は歴史に名が残ったのですが、中村さんが指摘しているのは、こういうことです。三国関係でいえば、蜀は呉の半分です。そして呉は魏の半分。つまり蜀を1としたら、呉が2で、魏が4。そういう大小関係にありました。1の力しかない国が毎年のように4の力のある国に戦争を仕掛けるということは、1に住んでいる人々、蜀の人々にとっては税金が増えて、戦争で兵士が次々に死んでいくことを意味します。国力に圧倒的な差があるわけですから。しかしなぜこういうタイプの人間が生まれてくるかと言えば、それは後世で高く評価されるから、こういう行動に出る。歴史が大事にされるという条件があって初めて、こういう人々が生まれてくる」。

「神は、なぜ生まれたのか。なぜ宗教はできたのか」では、直截な解説がなされている。「宗教が貧者の阿片であると言われる所以は、この世は地獄だけれど、あの世は天国だと考えるからです。セム的一神教やザラスシュトラ(ゾロアスター。ツァラトゥストラ)の考え方の基本は、最後の審判のときに、この教えを信じていれば、天国に行って幸福になれる、そうではない者は地獄に落ちるぞ、だから苦しくても神様を信じて真面目に生きよ、ということです。だから、最後の審判のときに復活できるように土葬となるのです(火葬では、復活できる肉体が残りません)」。当時の人間の寿命は30歳ぐらいだったから、最後の審判までとても待てないと思う人も出てくる。「宗教としては、このことをどう説明すればいいでしょうか。『この世の中では、君らは貧乏に生まれて申し訳ないね。でも善行を積んだら来世は王様に生まれ変わるよ。悪いことをしたらカエルになっちゃうよ』と、脅かすのが一番わかりやすい。最後の審判、永遠の地獄も相当効きますが、こちらも結構効くことがわかるでしょう。最後の審判より来世のほうが早く来ますしね。これが、インドで生まれた輪廻転生という考え方です。そうすると、みんな考えます。そうか、カエルやヘビになるのはいやだな。牛になってこき使われるのもつらいな。いまは苦しいけれど真面目に生きて、来世こそ王様に生まれ変わりたいな」。

「中国を理解する4つの鍵」の中に、興味深い見解が記されている。「諸子百家は必ずしも対立していたのではなく、棲み分けていたのではないか。老子と孔子が対立していたのではなく、それぞれのポジションをきちんと取っていた。法家は霞ヶ関、儒家はアジテーション、墨家は平和デモ、それを冷ややかに見ている知識人は道家というように、棲み分けていたのではないか。そのように見ることもできます」。

隋や唐(双方とも北魏の後身)を建国した人々は中国人ではないという指摘には、思わず目を剥いてしまった。「五胡十六国時代を制して、遊牧民として初めて華北を統一した北魏の人々は、何を考えたでしょうか。自分たちは中国人ではないということは、わかっているわけです。でも現実には中国を征服してしまった。そうすると、なぜ俺たちは中国の皇帝になれたのだろうか、という自分たちの正統性について疑義が生じます。中国人であったら、自分が皇帝になったのは、前の皇帝が悪政を行なったので、天が怒って風水害を起こし人民を蜂起させて、自分を皇帝に任命してくれたのである。それ故に皇帝の姓が変わったのである。すなわち、易姓革命であるという、大義名分が成立します。けれども(自分たち)拓跋部は、中国人ではないので、中国を治める正統性の根拠について、悩みました。・・・『そうだ、中国人になりきってしまえばいいんだ。そうしたら易姓革命で天が命じて皇帝になったと、言えるじゃないか』。そう考えた代表的な皇帝が7代孝文帝でした。彼は先祖伝来の鮮卑、拓跋部の姓を全部中国風に変えてしまう。都も大同か洛陽に移します。鮮卑語を使ったら死刑。中国人になりきれば易姓革命が使えるじゃないか。こういうゆらぎの中で、遊牧民が中国化していったのです」。

「キリスト教とローマ教会、ローマ教皇について」では、「キリスト教の系譜」のチャートがぐちゃぐちゃになっていた私の頭の中をすっきりと整理してくれた。「僕らが学校教育で教えられたキリスト教は、ローマ教会を前提にしていますが、『キリスト教の系譜』を仮につくってみると、表のように何回も分派しています」。

「ドイツ、フランス、イングランド――3国は一緒に考えるとよくわかる」。「(明の)永楽帝は海路陸路を問わず、世界中に宦官を送り出しました。世界中から朝貢させ、可能ならばモンゴルのような大きな国にしようと思ったのです。(元の)クビライ(フビライ)に負けるものか、という気概があったのでしょう。一方で永楽帝には、自分が簒奪者であるという負い目があったと思います。本来の皇帝は建文帝です。彼が甥を殺して王朝を乗っ取ったことは、未来永劫歴史に残ります。それを消そうと思ったら、立派な政治そして、後世に認めてもらうしかありません。『悪いこともしたけれど、いいこともした。まあ、ちゃらやな』。そう評価されたいからこそ簒奪者たちは立派な政治をする。その例は、世界中いたるところに見られます」。「東西交易という視点で考えると、シルクロードの果たした役割は、残念ながらそれほど大きくはなかったと思います。・・・シルクロードでおもに運ばれた商品は、おそらく人間でした。馬とかラクダの背に乗せて運ぶものの中では、人間が一番運びやすくかつ価値があったのです。たとえば中央アジアの白人の女性を、中国に連れていって、酒場や豪族に売ったのです。長安には、異国情緒あふれる社交クラブがたくさんありました。ですから、夢を壊すような話ですが、シルクロードでもっとも重要だったのは、奴隷交易でした」――といった興味深い記述が満載であるが、個人的に嬉しかったのは、「中央ユーラシアを駆け抜けたトゥルクマン」という「もう一つの遊牧民がいた」ことにページが割かれていることだ。

「ユーラシアの大草原を代表する遊牧民といえば、まず誰しもモンゴルを思い浮かべると思います。しかし、もう一つ、影響力の大きさという点では勝るとも劣らない強力な遊牧民が存在しました。トゥルクマンと呼ばれたテュルク系遊牧民です。けれども世界史の授業では、トゥルクマンについて、ほとんど教えられなかったと思います。彼らの故里は、モンゴル高原からカスピ海東海岸に至る広大なステップ世帯でした。いまその地域には数多くの共和国があります」。歴史を繙くと、あちこちでテュルク系遊牧民の影がちらちらするので、その存在が気になっていたのである。

著者の、「とりわけ未来ある若い皆さんには、人生の出来事に一喜一憂するのではなく、長いスパンで物事を考え、たくましく生き抜いてほしいと思います。そのためには、目前の現実にばかり心を奪われることなく、自分のアンテナを高く広く張りめぐらして勉強してほしい。そして、今日まで流れ続け、明日へと流れて行く大河のような人間の歴史と、そこに語られてきたさまざまな人々の物語や悲喜劇を知ってほしいと思います。それが人生を生き抜いていく大きな武器になると思うのです。歴史を学ぶことが『仕事に効く』のは、仕事をしていくうえでの具体的なノウハウが得られる、といった意味ではありません。負け戦をニヤリと受け止められるような、骨太の知性を身につけてほしいという思いからでした。そのことはまた、多少の成功で舞い上がってしまうような幼さを捨ててほしいということでもありました」という思いが凝縮した一冊である。