情熱の本箱
萩焼の創始者の歴史小説にして、上質な官能小説:情熱の本箱(134)

陶炎

萩焼の創始者の歴史小説にして、上質な官能小説


情熱的読書人間・榎戸 誠

これほど激しく官能を揺さぶられる小説に巡り合ったのは、本当に久しぶりのことである。『陶炎――古萩李勺光秘聞』(鳥越碧著、講談社)は、萩焼の創始者・李勺光の歴史小説だが、同時に、上質な官能小説でもある。

毛利家の中級武家の娘・志絵は、家中三美人の一人として知られていたが、嫁いだ夫が朝鮮との戦いで討ち死にしたため寡婦となり。実家に戻されてしまう。

そんな志絵に毛利家の重役から、朝鮮から連れてこられた捕虜の陶工の世話をするようにとの命が下される。「世話をするとは、捕虜の男の夜伽もすることなのだ。まさか、夫を殺した敵国の捕虜に抱かれようとは。怒りが躰中を駆け巡った」。その男は高麗焼き物家伝の秘法を身に付けている朝鮮一の陶工・李勺光で、時の最高権力者・豊臣秀吉の命で毛利家に預けられたのである。毛利家は、勺光に秀吉が望む立派な茶陶を作らせ、自家の名誉を守ることを求められたのだ。

「ほんの六年ほどの短い期間であったが、優しい夫のもとで、可愛い子供にも恵まれ、幸せな時を過ごすことができた。あの楽しかった想い出を胸に、これからの辛い日々を生きていこう」。身を貶める妾奉公を強いられた志絵は、健気にもこう心に決めたのである。

「秀吉の命を受け、日本軍が朝鮮から連行した儒学者、医者、僧侶や、活字印刷、出版、製薬、陶芸、製紙、機織りなどの職工の捕虜は何百人にも及ぶ。彼らは、妻子や一族を引き連れて渡ってきた。その中で、李勺光は身ひとつで来日したのだ」。「勺光は日本に来てすぐに、まだ大坂にいたころ、太閤(秀吉)のお声がかりで、何度も茶席に招かれていた。その折の相客の名に、(勺光の世話役の)弘太郎は度肝を抜かれた。千利休の後継者といわれる古田織部、細川忠興、小堀遠州や毛利家の毛利輝元に、養嗣子の秀元、小早川隆景、吉川広家などの武将や、今井宗久、本阿弥光悦、神屋宗湛、島井宗室といった茶人など錚々たる人物と接していたのだ。それらの人々と、名物といわれる茶器を賞玩したという。弘太郎は、今さらながらに、李勺光という男が一介の陶工ではなく、朝鮮一の陶師で、日本の茶人や武将たちが、どれほどに彼に敬意を払っているのか驚愕する」。

「勺光は、弱い運命に負けたくない、『天を唸らす茶碗』を焼くと運命に挑んでいる。志絵は、自分も悲運などに負けたくはない。耐えて、耐えて、生きていくのが、悲運に負けぬ道なのだと、己に言い聞かせる」。

関ヶ原の戦いで西軍の総大将となり敗れた毛利家は、領土を大幅に削減され、広島から萩に移封される。これに伴い、粒々辛苦の末に漸く作り上げた登り窯を置いて移らねばならなくなった勺光は、荒れ狂ったように登り窯を壊し続けた。「その夜。勺光は、志絵の部屋の襖を蹴破って入って来た。そして、獣のように志絵を抱いたのだ」。

「昨夜、勺光に凌辱されるように初めて抱かれた志絵の裡には、勺光へ許しがたい憎悪、屈辱感が滾っていた。勺光に対する尊敬の念もこなごなに打ち砕かれてしまった。妾奉公という辛い役目を呪った。惨めな憤りが狂おしく胸をしめつけていた」。

「あの夜、凌辱されるように抱かれた。その屈辱感はいまだ深くある。それなのに、勺光の痛みが胸に響いてきて、その悲しみを少しでも癒せぬものかと案じているのだ。志絵はつくづく、女体とは摩訶不思議なものだと首を傾げる。女は、頭や心で許せぬことも躰で受け入れることができるのかと。自分の中に巣くう何かがいる。志絵は、その存在に脅えつつ、一日一日、息を潜めるように暮らしていた」。

「志絵は、勺光に抱かれるたびに、より熱く、より繊細に、より哀しくうち顫える自分の躰の変化に戸惑うばかりである。心の裡はまだ屈辱感で滾っているのに。夫の誠之助によって、女体にあらたな息吹が与えられた。ずっとそう信じていた。しかし、勺光に抱かれて初めて、怒涛に呑まれ、息も絶え絶えに忘我の境地に放たれた。まさに蘇生であった。いつしか志絵は、恍惚としてせつない吐息を洩らしていた」。しかし、志絵は、勺光の妻ではなく、夜伽を命じられる下女に過ぎない。

「心の奥の葛藤をひた隠しにして夜伽を勤めているうちに、捕虜となった勺光の境遇に同情が呼び覚まされて不思議な親近感めいたものへと移っていった。やがて、夜毎の営みが苦しみから喜びに感じられ、志絵は己の浅ましさに恥入る思いであった」。「志絵は、心からではなく、躰から先に愛してしまった自分の前に立ちはだかる暗い闇に茫然としていた」。

「勺光のその誇りを、いつの日か、自分もともに抱けたらどんなによいであろうかと、志絵は漠然とそんな夢を追う。志絵は、いつしか、なによりも勺光の人柄に魅せられている自分に驚く」。

松本焼と呼ばれている勺光一門の焼物が、近隣諸国では萩焼と呼ばれて評判となっていた。「勺光の窯が毛利藩の藩窯となり、お抱え陶工の身分も与えられ、穏やかな歳月が流れていった。志絵はこの小さな幸せが続くことを願う。勺光との間に、未だ信じ合えぬ蟠りは消えずにあっても」。

「志絵は今まさに、自身の裡の狂おしいほどの恋情をしっかりと捉えていた。これほどまでに勺光を恋慕っていたのかと。志絵は、孤愁の虚しさに怯えるばかりであった。それからほどなく、李勺光と志絵は内々で祝言を挙げ正式な夫婦になった。勺光に乞われて妻になったのではない。上からのお達しなのだ。勺光はどんな気持でいるのだろう」。

「正式に夫婦になりながら、勺光と自分の間に通い合う夫婦の情などない。ただ、躰の繋がりだけの寂しい関係なのだ」。

「陶房で、助八や一門の者に的確な指導をする姿は自信に溢れている。轆轤に向かう真剣な眼差しは誰にも息を呑ませる。弘太郎や役人たちとの交渉にも、陶工としての誇りを失わない。勺光の仕事に対する厳しさを目にするたびに、志絵は、陶師としての勺光の心意気をまざまざと見る思いがした。近ごろは、一門の者たちも腕を上げてきた。弟の助八も一人前の陶工になった。その作品も、時に勺光が大きく頷くほどの出来映えを見せることもある。勺光は、少し自分の時間を持てるようになり、念願の『天を唸らす茶碗』に向かっている。が、なかなか思うような茶碗は焼けないらしい」。

一門の長として多忙の中、己の目指す理想の茶碗作りに執念を燃やす勺光の悩みは尽きない。一方、勺光を献身的に支えながら、勺光から真に愛されているのか自信が持てずに煩悶する志絵。

読み終わった時、本書は歴史小説、官能小説であるだけでなく、心理小説でもあることに、漸く気づいた私。