情熱の本箱
70歳以上の老人にテロ実行をけしかける危険な小説:情熱の本箱(124)

oldテロリスト

70歳以上の老人にテロ実行をけしかける危険な小説


情熱的読書人間・榎戸 誠

『オールド・テロリスト』(村上龍著、文藝春秋)の数十人の主人公たちは、70歳代、80歳代、90歳代の老人ばかりである。老人といっても、病気で苦しんでいたり、生活に困窮していたり、家族とトラブルを起こしている者は一人もいない。いずれもインテリで、医師であったり弁護士であったり公認会計士であったりIT専門家であったり実業家であったりといった、経済的に成功を収め、社会的な尊敬を勝ち得ている、いわゆる成功者と見做される人々だ。その中の一人が、「弱虫は老人にはなれないんだ。老いるということは、これが、それだけでタフという証明なんだ。・・・成人してからも、弱虫はよく死ぬ。老人になるということだけでタフなのだとわかったか」と言い放っている。

こういった老人たちが、現在の日本に怒りを募らせ、遂にテロを決行する。NHK西玄関でのテロから始まり、池上商店街の刈込機による殺戮、新宿ミラノの大規模テロ――へとテロは過激の度を深めていく。そして、次なる目標の88ミリ対戦車砲による原発爆破に向けて着々と準備が進められていく。「本当に日本全体を焼け野原にすべきなんだ。それですべてが解決するんだよ」。「もう一度日本を焼け跡というか、廃墟に戻すということ。腐りきった日本をいったんリセットする、ということだ」。「福島第一の事故は、津波が原因ではなく、古くなっていかれかけてた冷却系の配管が大地震で壊れたのだという指摘があるのは知ってるだろう。配管が古くなっているのは、冷却系だけじゃないんだよ。原子炉と直接につながる配管だって、大半は古くなっている。それが割れたり外れたり、ひびが入るだけでも、どうなるか。想像できるか。それに、タービンだって、かなり古い。タービンからの蒸気だが、復水器に回せなくなったらどうなると思う? 復水器がつまったりしても冷却系はもうアウトだし、循環ポンプが故障してもアウトだし、冷却系の配管が破断したら、あとはもう、カタストロフまで一直線だ。まだある。日本各地に、使用済み核燃料棒を貯蔵したプールがあるらしい。だいたい数千本単位で貯蔵されていて、当然、冷却し続けなければいけない。数千本の核燃料棒といえば、だいたい原子炉10基分の燃料体だそうだ。しかしだね、それらは原子炉と違って、格納容器も、頑丈な防御壁もない。周囲は単に薄いコンクリートの壁で蔽ってあるだけだから、たかだか数百度の熱で崩壊する。海外のメディアが指摘するのは、そこで何かが起こったらどうするのかということだ。危ない奴がダイナマイトを数本放り投げるとどうなる? ドッカーン。核燃料棒がばらまかれる。君に聞こう。これが、焼け野原でないなら、いったい何なんだ」。

ひょんなことから、これらのテロ現場に居合わせることになった、フリー・ジャーナリストとは名ばかりの54歳の男が語り手として登場する。この男は、テロのネットワークで繋がっている老人たちとは対照的な境遇に呻吟している、しがない奴だ。「(フリー記者として働いていた)週刊誌が廃刊となり、状況は一変した。大切なものは失ってみてはじめてわかる。おれはまず仕事を失い、充実感を失い、家族を失って、最後に誇りを失った」。一方の老人たちは「アル・カイーダのような分散型のネットワークを作って、魂の抜け殻のような若者たちをスカウトし実行犯に仕立て上げていた」。「そのネットワークは、垂直方向の命令系統を持つピラミッド型の組織ではなく、いくつもの独立した細胞が有機的につながり合い、各構成員も全貌がわからないようになっているらしい」。「家庭もダメ、仕事もダメ、そんなやつは参加させなかった。私生活に不平不満があるやつなんか、一人もいないよ。そんなやつは、ダメというか、やばいんだ。動機が浅いから決意も鈍いし、平気で裏切ったりするんだよ」。

老人たちの最終目的の原発爆破は、どうなるのか。この企みを阻止しようと隠密裏に動く内閣府副大臣を中心とする極秘対策班と老人たちとの息詰まる駆け引きは臨場感に溢れ、自分も語り手と一緒に行動しているかのような錯覚に襲われる。

こんな荒唐無稽な話が現実にあり得るかと思いつつも、いつの間にか物語の渦の中にずぶずぶとのめり込んでいる私を発見した。それも致し方ないだろう。なぜなら、私も日本の現状に対する怒りを溜め込んでいる71歳だからだ。(村上龍著、文藝春秋)の数十人の主人公たちは、70歳代、80歳代、90歳代の老人ばかりである。老人といっても、病気で苦しんでいたり、生活に困窮していたり、家族とトラブルを起こしている者は一人もいない。いずれもインテリで、医師であったり弁護士であったり公認会計士であったりIT専門家であったり実業家であったりといった、経済的に成功を収め、社会的な尊敬を勝ち得ている、いわゆる成功者と見做される人々だ。その中の一人が、「弱虫は老人にはなれないんだ。老いるということは、これが、それだけでタフという証明なんだ。・・・成人してからも、弱虫はよく死ぬ。老人になるということだけでタフなのだとわかったか」と言い放っている。

こういった老人たちが、現在の日本に怒りを募らせ、遂にテロを決行する。NHK西玄関でのテロから始まり、池上商店街の刈込機による殺戮、新宿ミラノの大規模テロ――へとテロは過激の度を深めていく。そして、次なる目標の88ミリ対戦車砲による原発爆破に向けて着々と準備が進められていく。「本当に日本全体を焼け野原にすべきなんだ。それですべてが解決するんだよ」。「もう一度日本を焼け跡というか、廃墟に戻すということ。腐りきった日本をいったんリセットする、ということだ」。「福島第一の事故は、津波が原因ではなく、古くなっていかれかけてた冷却系の配管が大地震で壊れたのだという指摘があるのは知ってるだろう。配管が古くなっているのは、冷却系だけじゃないんだよ。原子炉と直接につながる配管だって、大半は古くなっている。それが割れたり外れたり、ひびが入るだけでも、どうなるか。想像できるか。それに、タービンだって、かなり古い。タービンからの蒸気だが、復水器に回せなくなったらどうなると思う? 復水器がつまったりしても冷却系はもうアウトだし、循環ポンプが故障してもアウトだし、冷却系の配管が破断したら、あとはもう、カタストロフまで一直線だ。まだある。日本各地に、使用済み核燃料棒を貯蔵したプールがあるらしい。だいたい数千本単位で貯蔵されていて、当然、冷却し続けなければいけない。数千本の核燃料棒といえば、だいたい原子炉10基分の燃料体だそうだ。しかしだね、それらは原子炉と違って、格納容器も、頑丈な防御壁もない。周囲は単に薄いコンクリートの壁で蔽ってあるだけだから、たかだか数百度の熱で崩壊する。海外のメディアが指摘するのは、そこで何かが起こったらどうするのかということだ。危ない奴がダイナマイトを数本放り投げるとどうなる? ドッカーン。核燃料棒がばらまかれる。君に聞こう。これが、焼け野原でないなら、いったい何なんだ」。

ひょんなことから、これらのテロ現場に居合わせることになった、フリー・ジャーナリストとは名ばかりの54歳の男が語り手として登場する。この男は、テロのネットワークで繋がっている老人たちとは対照的な境遇に呻吟している、しがない奴だ。「(フリー記者として働いていた)週刊誌が廃刊となり、状況は一変した。大切なものは失ってみてはじめてわかる。おれはまず仕事を失い、充実感を失い、家族を失って、最後に誇りを失った」。一方の老人たちは「アル・カイーダのような分散型のネットワークを作って、魂の抜け殻のような若者たちをスカウトし実行犯に仕立て上げていた」。「そのネットワークは、垂直方向の命令系統を持つピラミッド型の組織ではなく、いくつもの独立した細胞が有機的につながり合い、各構成員も全貌がわからないようになっているらしい」。「家庭もダメ、仕事もダメ、そんなやつは参加させなかった。私生活に不平不満があるやつなんか、一人もいないよ。そんなやつは、ダメというか、やばいんだ。動機が浅いから決意も鈍いし、平気で裏切ったりするんだよ」。

老人たちの最終目的の原発爆破は、どうなるのか。この企みを阻止しようと隠密裏に動く内閣府副大臣を中心とする極秘対策班と老人たちとの息詰まる駆け引きは臨場感に溢れ、自分も語り手と一緒に行動しているかのような錯覚に襲われる。

こんな荒唐無稽な話が現実にあり得るかと思いつつも、いつの間にか物語の渦の中にずぶずぶとのめり込んでいる私を発見した。それも致し方ないだろう。なぜなら、私も日本の現状に対する怒りを溜め込んでいる71歳だからだ。