情熱の本箱
イギリスはフランス人によって創立された国だった:情熱の本箱(130)

消えた英国

イギリスはフランス人によって創立された国だった


情熱的読書人間・榎戸 誠

イギリスはフランス人によって創立された国だった。こう知らされて、歴史を好きな点では人語に落ちない私であるが、腰が抜けるほどびっくりした。

『消えたイングランド王国』(桜井俊彰著、集英社新書)に書かれていることは、驚くべき歴史的事実の連続である。

「それ(1066年)は英国史にとって大変な出来事があった年でした。あの世界史において有名な『ノルマンの征服』がなされたのです。ノルマンディ公ウィリアム(ギヨーム)、後の征服王ウィリアム1世に率いられたノルマン人によってこの年、イングランド王国は征服されてしまいました。そしてこれ以降、イングランドの国王、貴族、上級聖職者はことごとくフランス語を母語とするノルマン人という『フランス人』に取って代わられたのです。この国のこれまでの主だったイングランド人はすべて国の上級地位から追放されました。イングランドの公用語は英語からフランス語になり、国の上級者の名前も、建築や文化も全部フランス風になりました。とりわけ征服王ウィリアム1世の孫にあたるヘンリー2世より始まるアンジュー朝からは、さらにイングランドのフランス化が進みました。まさに1066年のノルマンの征服以降、イングランドはフランスの一部になってしまった感がありました。事実そうでした。ノルマンの征服は、フランスの拡張であると今日の歴史学では捉えられています」。

ノルマン征服以前のイングランド王国とは、どういったものだったのか。「ノルマンの征服以前にあったイングランド王国、あるいは広くイングランドのことを王や貴族、聖職者、一般の人といった王国を構成していた人々にちなみ、歴史上の区分で『アングロサクソン・イングランド』といいます(オールド・イングランドともいいます)。この区分は、イングランド王国が登場する前の王国分立時代、つまり6世紀後半から10世紀初頭にかけての『アングロサクソン7王国』時代を含んだより広範な意味でも使われます」。「アングロサクソン人のイングランド王国は、長らくブリテン島において分立していたアングロサクソンの7王国、すなわちケント、エセックス、イーストアングリア、ノーサンブリア、マーシア、ウェセックス、サセックスの各王国が400年以上にわたって抗争を繰り返した結果、それらが統合され、10世紀の初めに出現した『統一王国』でした」。しかし、アングロサクソン・イングランド王国は142年しか続かず、しかも、この中にはデーン人(ヴァイキング)を王とする征服王朝が君臨した一時期が含まれているので、これを除くと123年に過ぎないのだ。

それでは、イングランド王国が出現する前のブリテン島に大陸から渡ってきたのは、どういう人間たちだったのか。それは、「大陸ユトランドを中心とする地から海を渡って移住して来たアングル人、サクソン人、ジュート人たち、すなわちアングロサクソン人と総称される人々」だったのである。

一方、「ノルマンの征服によってノルマン人が国の上層部を占め、被征服者であるアングロサクソン人を治めるようになったイングランド王国を、同じく歴史上の区分で『ノルマン・イングランド』と呼びます(アングロノルマン・イングランドとも呼ばれます)。要するに、イングランドという名の王国は、ノルマンの征服によって支配者層をノルマン人という『外国人』に代え、事実上新王国として続いていったということです」。

ウィリアムが率いるノルマンディ公国とは、どういうものなのか。ノルマンディ公国とは、ブリテン島の対岸に位置するフランス王国内の一公国であるが、ヴァイキングが興したものである。しかし、ウィリアムの時代には、ノルマン人は「野蛮なヴァイキング」などではなく、フランス語を自由自在に話し、フランス文化に十分馴染んだフランス人になっていた。

本書には、ヴァイキング、デーン(人)、ノルマン人といった言葉が出てくるが、これらは皆、同じ意味である。「彼らはノルウェーやスウェーデン南部、デンマークからやって来たのであり、デンマーク系はデーンズ、ノルウェーなど北方系は『北の人たち』を意味するノルマンズと呼ばれていました。またヴァイキングは古スカンジナビア語で『冒険者』を意味します。英国史は、これらヴァイキングを伝統的にデーンと総称しており、本書も基本的にそれにならっています」。

ノルマン人によるイングランド征服などという国家を揺るがす非常事態が実現してしまったのは、なぜか。母がその当時のノルマンディ公の妹だったということからノルマン人に親近感を持つイングランド国王・エドワード聖証王は、ノルマン人を重用したのみならず、ノルマンディ公ウィリアムにイングランド王位を継承することを約束してしまったのである。そのウィリアムは、イングランド王位獲得に向け、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝という聖俗両世界の最高権威を自陣に引き込むことをまんまと成功させるなど、大変な戦略家、政治家であった。こうしてイングランド攻略のための外堀を埋めたウィリアムの大船団が、いよいよ動き始める。迎え撃つ当代のイングランド国王・ハロルド2世は果敢に戦い、一進一退を繰り返すが、英国史上有名な1066年10月14日のヘイスティングズの戦いで武運つたなく戦死し、イングランド側は敗北を喫してしまう。「今日では、このときほぼ総崩れ状態で潰走を始めたノルマン軍を、丘の上のイングランド軍が偶発的な一隊ではなく、意志を持った全軍で追撃したならヘイスティングズの戦いはイングランド側の勝利に終わっていただろうとする見解が有力です。洋の東西を問わず、潰走を始めた敵を全力で追撃することは戦術において完全勝利への常道です」。

「ヘイスティングズの戦いの後、ノルマン軍はドーバー、ついでカンタベリーとケント地域を押さえ、さらに軍を進めイングランド南東部を支配下に置きます。この結果、ロンドンは孤立し、あっけなくウィリアムに降伏します。1066年のクリスマスの日、ウェストミンスター寺院で戴冠式が挙行され、ここにフランス語を母語とする外国人のイングランド国王ウィリアム1世、いわゆるウィリアム征服王は誕生しました。これ以降、彼の子孫の『フランス人』たちが、ノルマン朝、それに続くアンジュー朝のイングランド国王となって、この国を支配していったのは(現在に至る)その後の歴史が示す通りです」。

アングロサクソン人のイングランド王国は短かったが、未だにイギリスの人々の心に深く刻まれ、長く語り継がれる歴史を残した。今日のイギリス人の心に深く刻み込まれたもの、それはこの王国の主体者であるアングロサクソン人の矜持だったのである。彼らがどのように生き、戦い、そして死んでいったか。アングロサクソン人の英雄的な、まさにアングロサクソン的な生き方が、本書の後半で生き生きと描かれている。

著者は、「このノルマンの征服をもって古くはケルト人、そしてローマ人、アングロサクソン人、デーン人と続いてきたブリテン島に侵入・移住してくる人々の波は終わりを告げました。つまり、現代イギリス人に繋がる民族的要素がこれで出揃ったということです。イギリス人は、これら多彩な人々がブリテン島という四方が海で囲まれた逃げ出しようがない特殊な舞台で、そしてその環境のゆえに互いの融合を促進しながら、その結果形成されてきました。従って、私たちは今、イギリス人といえば、正確にはイングランド地域に住むイギリス人すなわちイングランドの人々といえば、決してアングロサクソン人と同義ではなく、ケルト人の血も、北欧人の血も、フランス人の血も、そしてもちろんゲルマンのアングロサクソン人の血も持ち、そしてそれらの人々の言語を莫大に吸収して形成された近代英語を母語とする人々を指すと理解したほうが、より的確です」と、本書を結んでいる。

この力の籠もった著作のおかげで、複雑な英国史が身近に感じられるようになった。