横縞な本箱
あなた「は」ミミカキスト? あなた「も」ミミカキスト?

413RNK9DWPL._SL500_AA300_

「耳かきがしたい」 上野 玲 著

ミミカキストって、ご存知ですか? 「仕事をしながらカリカリ、テレビを見ながらコリコリ、トイレの中でもカサコソ。しまいには耳から血が出てきても、耳かきがとまらない。これくらいに耳かき禁断症状が出るような者を《ミミカキスト》と呼ぶ」んだそう。
私はさすがに血が出るほど耳かきはしないですね。でも、この本の著者は相当のミミカキストです。耳かきへの偏愛が高じて最古の耳かきを見つけ、耳かき技術の伝来を調べ、はるばるニューヨークのティファニーへ最高の耳かきを探しに行き、耳かきとココロの成長を発達心理学で解剖したりと、「耳かき」をキーワードに興味の向くままを広く浅く耳をすました一冊が、コレ。
耳かきしながら片手間に読めちゃう、軽い肌触りだけどかゆいところがカサコソっと取れる気持ちいい本です。

日本人の耳垢は、「粉耳」と「飴耳」の2つのタイプに大きく分けられて、割合は粉耳さんが圧倒的にが多んです。これが白人だと、飴耳さんが8割くらいになって割合が逆転するというから、ビックリ!
粉耳さんの耳垢は、粉っぽかったりカサブタのような感じ。溜まるとモゾモゾっとカユくなって、それを耳かきでこそげ取るのが快感なのでしょうね。飴耳さんは飴のようにトロリやネバっとした湿り気のある質感。どちらも言い得て妙なネーミング。私は少数派の飴耳さんなので、耳垢が溜まるとモワーっとして気持ち悪いんですよ。耳かきするとスッキリ爽快感はあるけれど、中毒になるほどの愉悦さはないんですよ、残念ながら。どうやらミミカキストにはなれないようです。
ちなみにこの2つの耳垢体質の違いを文化人類学の視点から見ると、ルーツが縄文系(飴耳さん)や弥生系(粉耳さん)の違いに結びつけられるとのこと。耳垢の質でルーツまでわかっちゃうなんて、スゴイですよね。

この本の中で私が注目したのは、写真でたくさん紹介されている著者コレクションの「お土産耳かき」の多さ。特に大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは、アトラクション毎にキャラクターフィギュアの耳かきがあって、その数なんと24種類(注:本の掲載当時の数。現在はどうでしょう)。たくさん作りましたねぇ。USJ側はコレクションとして買い集めてもらうことを狙ったらしいのですが、私はちょっと違う見方をしました。

そもそも耳は、音を聞き分けたり平衡感覚を保つ大事な感覚器。息を吹きかけられればゾクゾクっと感じちゃう性感帯でもあるし、ブスっと耳の穴に棒を突き刺させば死んでしまう急所。だからこそ日常の手入れは欠かせないし、他人に管理を任せにくいところですよね。
耳かきは日常何度も繰り返し使う生活道具。お土産耳かきについているフィギュアが旅の象徴(アイコン)の役割を持っているから、耳かきを使う度に脳裏に旅の記憶や当時感じた思いがよみがえる。そう、耳かきが旅のスクラップブックを開くスイッチになっているんです。
耳かきを見る度に思い出すことと、耳かきをしたときの快感が結びついて、耳かきをすることがリアルからバーチャルへとココロが飛び立ちやすくなる。これは私たちが読書をしている時や、スマートフォンやパソコンでインターネットを通じて、LineやFacebookといったコミュニケーションツールや、オンラインゲームをしている時の一種のトランス状態というか、ココロ(意識)だけがバーチャルに飛んでいる状態と同じです。
「お土産耳かき」は、読書やインターネットと同じように、私たちのココロをバーチャルへと誘うスイッチになっている。そう考えると、耳かきに限らず「お土産」そのものが同じ機能を持っているようにも思えてくるんです。

「お土産」についてもう少し詳しく知りたくなってきたな、と思って検索してみると、鈴木勇一郎さん著作の「おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史」という本がヒットしました。サブタイトルには「名物で語る」「日本近代史」とあるから、お土産の成り立ちだけでなく、広告を通した心理的効果についても書かれているかもしれませんね。
「耳かき」から「お土産」へ、興味のアンテナがクイッと方向を変えて行き先を広げてくれる。読書は終着駅が見えない旅だからこそ、先へ先へと行けるのかもしれませんね。

シマヨウコ