情熱の本箱
情熱という名の女たち – その2 –

束縛されていた女性服に革命を起こした女


情熱的読書人間・榎戸 誠

シャネル
【シャネルが起こした革命】

マリリン・モンローが記者に「夜は何を着ますか?」と聞かれ、「シャネル5番を5滴ほど」と答えたエピソードはよく知られている。シャネル・スーツ、シャネル・バッグ、シャネル5番に代表されるシャネル・ブランドは、長い年月を経ながら少しも色褪せることなく、現在も世界中の女性の心を捉えている。

創始者ガブリエル・シャネル(1883〜1971)、愛称ココ・シャネルは、当時、コルセットなどで束縛されていた女性服に革命を起こす。シックで、着心地がよく、しかも着崩れしないシャネル・スーツで一世を風靡したのである。悪戦苦闘しながら、優れたアイディアと工夫で女性を窮屈な服から解放し、自らも20世紀を代表する女性として輝いたのだ。しかし、彼女の最大の遺産は、ファッションではなく、強く前向きに生きる姿勢だと、ジャネット・ウォラクが述べている。

【シャネルが隠したかった秘密】

孤児院での少女時代を経て、有力な男性の庇護のもとにビジネスをスタートさせる。驚異的な成功を収め続け、同時代の貴族や芸術家と濃密に関わったシャネルにとって、貧しく不幸な少女時代は永遠に封印したいものであった。

【衝撃を与えた奇跡のカムバック】

1939年、第二次世界大戦が始まると、突然、シャネルは香水とアクセサリーの部門を除いてオートクチュールの店を閉める。従業員を解雇し、引退してしまう。

それから15年が経過した戦後のパリのファッション界は、戦前とはすっかり様変わりしていた。クリスチャン・ディオールに代表される後進の男性デザイナーたちが君臨。女たちに再びコルセットを着けさせ、ロングスカートやフレアスカートをはかせていた。以前のように女たちを勝手気ままに飾り物扱いしていた。このままでは今まで私のしてきたことが無に帰してしまうと危機感を抱いたシャネル。ファッション界へのカムバックを敢然と決意し、かつての助手たちを呼び寄せる。「すぐに来て」と。

ところが、常に新しさを追い求めるファッションの世界では、71歳のシャネルのカムバック計画は無謀と思われた。栄光の過去を持ち、豊かに暮らせる身分なのに、競争と嫉妬と金が渦巻く世界になぜ戻ってくる必要があるのか。人々はそう考えたのである。しかし、困難であればあるほど、情熱を燃やすのがシャネルであった。

1954年2月5日の復活を懸けたパリでの第1回コレクション発表は、流行遅れと見なされ、惨敗に終わってしまう。一方、シンプルでシックなシャネル・スーツはアメリカで人気に火がつき、驚くほど売れ始める。戦後、社会進出を果たし、経済力を持った女性たちは、女性たちは、着易く、動き易く、しかも社会的地位を示す服を待ち望んでいたのだ。

シャネルは自分の望む人生を生きた。自分で計画したビジネスを成功させ、自分の望む男を恋人に選び、自分が着たいと思う服をデザインした。彼女は情熱を持って愛し、一瞬一瞬を最大限に生きたのだ。「私は常に情熱を持って、あらゆることをした」というシャネルの言葉に、シャネルの生涯が凝縮している。


◎参考文献