をちこち
レッドデータの底抜け親父

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『夢酔独言』勝小吉(教育出版)

魔女カトーご推奨の「勝小吉」。海舟の親父と言われてもピンとこないが、まえがきで坂口安吾が「不良少年、不良青年、不良老年と生涯不良で一貫した御家人くずれの武芸者」と太鼓判を捺しているから万全だ。

巻頭、序文めいた「鶯谷庵独言」に、天保の改革で禁足となり、子々孫々の戒めに「おれほどの馬鹿」の記録を残すことにした、とある。しかし読み進めると、「はじめて外出を止められ」とは嘘の皮。十四歳と二十一歳のとき、小吉は家を出奔して東海道へ遊ぶが、二度目は妻持ちの身だから、ごめんですんだら警察いらん。足掛け三年、三畳の座敷に設えられた檻の中で手習いをして過ごし、「くるしかった」のだそうだ(が、この間に息子出生)。父に了見を問われ、「三歳の息子に家督を譲って隠居する」と返すも一蹴。三十五歳では兄から、逼塞して行状を改めよと庭先に二重がこいの檻を建てられた。このときは「今度はいるともはや出すと免しても出はしませぬ」と啖呵を切り、晴れて隠居の身となっている。

閉じ込めねば何処で何をするやら、きっと当人も制御不能だったろう。喧嘩も周旋も大好きで、人中を揉まれ抜き、揉み抜いた人生だ。一片もケチなところがなく、儲けてはバラ撒き、刀の鑑定でも加持祈祷でも、好奇心が動けばすぐと弟子入りして習う。感動的なのは、九ツの息子が「病犬にきん玉をくわれた」話で、医師も家族も顔を曇らせているのを、「思うさま小言をいって、たたきちらして、その晩から水をあびて、金比羅へ毎晩はだか参りをして、祈った」。息子は七十日で床離れするが、その間小吉は「始終おれがだいて寝て、ほかの者には手を付けさせぬ」看病ぶりを見せた。

こんな男は、今どきいない。いても世間が許さない。をちこちするのに歩行(かち)しか使えず、もめ事には顔役が面を出さねば収まらぬ世界だからこそ、底抜け親父の一分が立ったのだ。四十九歳没。息子の奔走した維新後の世を見なかったのが幸いか。(oTo)

【大阪弁ミニミニ講座005】ごめんですんだら警察いらん
大・大阪博覧会公式イメージソング  

【五感連想】