学魔の本函
『ホッテントット・ヴィーナス ある物語』バーバラ・チェイス・リボウを読む!

ホッテントット

『ホッテントット・ヴィーナス ある物語』バーバラ・チェイス・リボウ


学魔高山が「読め〜!」と叫んだ本である。しかし、読むのがつらかった。心が痛かった。筆者リボウはアメリカの黒人女性作家で、歴史小説の手法で歴史の彼方に沈んだ真実を追求しようとすることに挑戦して来た作家である。『ホッテントット・ヴィーナス』はこの著作で書き、忘却の淵から救いだしたのは、19世紀初頭、南アフリカから、イギリス、ロンドンに連れてこられ、ホッテントット・ヴィーナスとして見世物にされた女性である。この本は純粋にフィクションであるが、作者の筆で、そうあったであろう姿が明確に書かれている。

主人公はイギリス風に言えば「サラ・バートマン」しかし、彼女は南アフリカ、東ケープの先住民であるコイコイという民族の出身で、本名はコイコイ語であったであろうが、今では不明である。彼女は遊牧民の子供として生まれたが、父、母はオランダ、次に侵入してきたイギリス人によって虐殺され、9歳でメソジスト派の宣教師に売られる。宣教師は善良な人物であるが、彼女は聖書はイギリス人のみに語りかえ、自分には語りかけないのだと、実感する。その宣教師がコレラで死ぬと、村に戻り結婚するが、その夫も虐殺され、子供も流産してしまう。生きるすべがないと感じて彼女は村を出て、ケープタウンに出るが、そこでボーア人の召使いとして働くが、主人の弟に目をつけられ、ロンドンで見世物にしようとイギリスの船医に売られてしまう。船医は偽りの結婚を餌に彼女を連れ出し、彼女は死ぬまでこの愛が本物だと思い込んでいた。

1810年、ロンドンで見世物として展示される。その当時、ロンドンは見世物が娯楽の中心で、世界各地から珍奇でグロテスクなモノが集められ展示された。彼女も薄い布だけを身につけて、コイコイ族の女性の特徴である大きな臀部を際立たせるようにして「生ける野蛮」の見世物として、大きな反響をよんだのである。この当時イギリスは奴隷制廃止が実施されていて、彼女の見世物はこの奴隷制廃止に抵触するとしてアフリカ協会と牧師が裁判に訴えるが、サラ自身が裁判で自分は奴隷ではないと主張し続け、アフリカ協会が敗訴してしまう。サラ自身は一貫して「興行の収益の半分を保証」された契約で自由であり、イギリスにいることが幸せであると主張した。このサラの言葉の意味は非常に難しい。興行から放り出されれば、生きる道は無い。売春か、精神病院行きか、サラは契約が実行されれば結婚と金銭の受け取りとアフリカへの帰還が実現すると考えたかもしれない。この点での解釈は難しい。ロンドンでの興行の成功も下火になると、サラはイギリス各地を興行して回ることになる。この間にサラは見世物にされている小人や畸形児たちと一緒に行動することで、自分の置かれている意味が理解されるようになるが、心を通わせるのは虐げられた「この世に存在してはいけない」者たちであった。イギリスではこのような野蛮な奇形としての展示であったが、興行主の船医は賭けに負けてサラをフランス人の熊使い(これが実はフランス革命を逃れた貴族のなれの果て)に引き渡されパリへと移動する。

サラの運命は更に過酷なものとなった。それは科学の名のもとにサラを調査しようとする者、とくにフランス比較解剖学の最高権威で、ナポレオンの主治医でもあったジョルジュ・レオポルド・キューヴィエの興味の対象となり、生きたまま調べられる。その最も興味を持たれたのは「ホッテントットのエプロン」と言われるもので、コイコイの女性たちの性器なのである。キューヴィエはサラを人間と動物を結ぶ「失われた環(ミッシング・リング)」とみなし、徹底して下等な存在と見るのであるが、これが啓蒙主義の科学の持っていた一面なのである。サラはやがて酒と麻薬に体を蝕まれわずか27歳で死亡してしまう。しかし彼女の悲惨はそれ以後更に続くのである。彼女はキューヴィエによって解剖され、頭や、性器(エプロン)はホルマリンにビン詰めにされ、骨格は標本にされパリの人類博物館に公開展示されていた(1976年まで)。

1970年代後半フェミニストの抗議をうけて展示は撤去されたが、それはただ物置に放置されただけであった。再発見されたのは1989年アメリカの科学史家スティーヴン・ジョイ・グールドによってであった。当時南アフリカではアパルトヘイト体制への国際世論の批判、反対運動が激化していて、ゆっくりとサラへの関心が高まり「身体返還運動」となった。本書でもサラは故郷への帰還を果たすところで終わっている。

しかし解説を読むとなかなか問題は終わらないようである。ポストコロニアリズム理論が叫ばれ人種やジェンダーが問題となっていた風潮が引くとともに熱狂は冷めサラの墓はさびしく残されているというのである。

ともかく考えさせられる本である。科学という名の犯罪なのか。白人至上主義を批判しているだけで済むのか。私たちに在る異質なものへの偏見はないのか、強く反省が求められる本である。

魔女:加藤恵子