魔女の本領
その夭折が心に痛々しく響く…

 ヴェイユ

『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』鈴木順子


ヴェイユ、没後70年だそうである。その夭折が心に痛々しく響く。我らにとってのヴェイユはその誠実な生が、いとおしく、痛ましかったのであるが、彼女の揺れ動いた思想の基盤を求めて彼女の細かい著作を読みこんで書かれた日本人の若い研究者の論文である。

ヴェイユはユダヤ人家庭に育ち優秀な成績で教員として出発したが、ルノーの工場で非熟練工として働いたり、スペインの市民戦争に参加したり、ド・ゴールの戦後の政策立案に関わったりした。しかしこの間に、何度かにわたり神秘体験をして、キリスト(キリスト教ではない)を体験し、深く宗教の思索を行ってゆく。晩年のこの宗教的な言説が、彼女は変節したというように捉えられ、ヴェイユの本質的理解を妨げていたようである。私自身も、神秘体験し、キリストが体に入ったと表現するヴェイユに幾分の警戒心を持ってきていたことは否定できない。しかし、鈴木はそうではないと捉えなおしたのである。僅か34年の生涯の中で、ヴェイユは実は一貫してもっていた精神のコアな部分は実は現在だからこそ理解がいくのではないかと思えるのである。それは非常に誤解されかねないが「犠牲」と言う概念である。ヴェイユはキリストの惨めな死、キリストの最後の言葉「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、ここにキリストの魂のありどころを見る。キリスト受難を「犠牲」と読み取り、ヴェイユはキリスト教会のキリスト復活を否定している。ヴェイユがこの「犠牲」について、次のように書いている。

 「私は古代の諸神話においても、世界の民間伝承においても、残存している
  エジプトの聖典においても、キリスト教信仰の教義、優れたキリスト教神
  秘家の著作においても、同じ一つの思想が、その様式こそほんのわずかに
  異なっているとはいえ、非常に鮮やかに表現されているのが見出されると
  信じています。この思想こそは真理であり、今日この思想は、現代的、西
  洋的な表現をもってあらわされることを必要としていると信じています。」

すなわち、キリストの死は古代からの社会的な構成要素の中から出て来たものであり、例えばフレイザーの『金枝篇』他多くの書物にあらわれる文化的要素と同一である。ヴェイユは最終的に、キリストの受難、犠牲と共通の要素をもつ存在は他文明、他の時代にも見出すことができる、と確信するに至る。彼女によれば、時代や地域に関係なく真正な宗教にはそのような「犠牲」が必ず存在する。その聖性に従って、すべての宗教的現象は読み替えられ提示されなおさなければならず、自分の使命は万人が読んで理解することが可能なようにそれを書きなおすことであり、そしてそれによって普遍的宗教性が提示できるはずだ、とヴェイユは考えた。したがって、そのようなヴェイユにとっての真の宗教とは、
神が全能の主であると同時に犠牲として献げられもするような真の宗教、愛の宗教にほかならなかった。

このようなキリスト理解は勿論異端である。彼女はキリスト教会の聖餐も「犠牲」の後の食の象徴であると明確に感じていて、彼女は遂に洗礼も受けず聖餐にも加わらなかった。しかし、この「犠牲」の概念を社会関係へと広げたヴェイユの思想は他者をどうとらえるかにかかっていた。ヴェイユは権利と言う概念を強調することをしなかった。では一体、この権利概念にかわるものとしてヴェイユは何を社会の基礎におこうとしているのだろうか。なにによって、真の平等は得られるだろうか。ヴェイユはここで、「義務」という言葉を用いはじめる。すなわち、真に苦しんでいる者が自ら権利を主張できるだろうかと考えた。ヴェイユは苦しみ、嘆き、呟くことしかできない他者に対しては、私たちは見て見ぬ振りができない「義務」を負っているのではないか。この「義務」を持つ人の存在によって、相手に権利が生じるのだとした。

ヴェイユはこのように「他者を生かすため」の思想の模索を続け、それを既存のキリスト教の規範に求めず、知的に考え抜き、そして行動に移した。その行動は崇高ではあったが成功したとは言えないだろう。しかし、個人主義がはびこり、自己主張が全面に立ち、あたかもそれが個の尊厳の確立のように称揚されるとき、声も上げられない人々との平等を模索したヴェイユの思想性を今一度見直したくなるのは私だけではないと思うのである。

魔女:加藤恵子