魔女の本領
錬金術入門はどうかしら…

 

 

錬金術

『錬金術: 精神変容の秘術』Stanislas Klossowski De Rola


錬金術には興味がある。そこで種村先生の訳でもあるし・・・とおもって読んでみたのだが、やっぱり何だかよく分からない。しかし、この本の基本は錬金術が単純な化学の基であるのではなくて、精神の変容によって完全なる人間へと昇華することとのパラレルな象徴を意味しているのだと言うことである。

「錬金術は単に金属変成の技術もしくは学問であるだけでなくて、寧ろ事物の中心をいかにして認識するかをわれわれに教えてくれる、真正の具体的な学問である」(ピエールージャン・ファーブル 『化学の秘密』パリ、1636年)のだそうだ。

そこで、化学が学問的に実証される諸現象にたずさわるのにひきかえ、錬金術的秘教にとっては、あらゆる真理とあらゆる宗教の本質をなしているところの、隠されている高次の現実が問題で、この本質を完全に実現させることが絶対と称されている。それは、「全ての美の美」だの、「すべての愛の愛」だの、「至高存在」だのと同じように、意識が根源的(ラディカル)に変革され、日常の認識のありきたりの(鉛のような)水準からある精妙な(黄金のような)認識水準に高められて、客体の一つ一つが絶対のうちに包摂される、その完全な、元型的な形姿において知覚されるときにはじめて、認識され実現されることになる。このようにすべての事物をあらゆる場所で永遠に完成させること、これが「普遍的救済」で、錬金術は、地上界と天上界、物質と精神の間に開いた淵の上に橋を架ける虹の橋なのだということになる。錬金術はときにはヘルメス哲学と呼ばれることもあり、王者の術もしくは司祭の術であり、この神聖な、深遠な秘学は、自然や生命や死や、永遠や無限のもっとも深い秘密を解明するために必要とされる手段を、秘教的な文章や謎めいた記号のなかに隠している。つまり、本質を隠すためにすべてが象徴化されているわけで、いわば哲学、宗教、化学の総合的知識でその文書や絵画を読み解く能力が要求されると言うことである。歴史上多くの錬金術師が存在したがその多くは黄金を創り出すと言う物質面が強調されていて、俗的な印象をぬぐえないが、これとても、そこから近代科学はうまれたわけで、全く無視はできないが、その本質は、さらに高尚で、真の人間の創造であった。

このような宗教性から見れば、錬金術と東洋の秘術との間の結びつきの問題に関してはタントラという概念が関わる。錬金術を単純に「西洋のタントリズム」と呼ぶのは人を誤らせることになるであろうが、しかしインドには錬金術(ラーサーヤーナ)があり、それどころかチベットのタントリズムの無数の表象は秘教的道教ときわめて親しい間柄にあり、道教そのものは今度は中国の錬金術と切っても切れない関係にある。

著者は言う「偏見に囚われぬ人が必要な用心を固めて進めば、錬金術とヒンドゥー教や仏教のタントラとの間のアナロジーを研究で得るところがけっしてすくなくないでしょう」

この本には多数の画像が呈示されているが、正直、良く分からない。やっぱり、何かを知らせようとして書かれたのではなく、何かを隠そうとして描かれたとしか思えない。しかし、錬金術はどこか魅力的なテーマであることに変わりは無い。なお、この著者はかの画家パルテュスの息子だそうだ。その上ロック歌手で、ローリング・ストーンズとの共演もあり、ロジェ・ヴァディムの映画の脚本もかいているのだそうだ。なんか錬金術師的な人物だ。

魔女:加藤恵子

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