魔女の本領
『父の詫び状』向田邦子を読む…

父の詫び状

 

『父の詫び状』向田邦子


向田邦子が台湾での飛行機事故で亡くなったのは昭和56年のことであった。当時向田は直木賞をとってからそう時間がたっていなかったと思う。思いだすのは、彼女が留守宅の留守電に自分の声で吹き込んだ留守電が残されていて、それが亡くなった時、放送されて、ひどく心に残った。何か彼女のエッセーに有るようなシーンだとおもったものだ。

向田邦子の第一エッセーがこの『父の詫び状』である。ここにあるのは、家族にいばり散らし、父親の権威をいたずらに振り回す父親がいるのだが、母親も笑いをこらえてそれに答えているし、娘である向田も理不尽と思いながら、どこか許している。戦前、戦後の庶民の家庭の姿を、些細な出来事を丁寧に拾い上げて、かつどこかユーモラスに描いた絶品のエッセー集なのである。このエッセーやその後書かれた小説を基にして、久世光彦が毎年正月に向田ドラマを作っていたのも懐かしく思い出す。あのドラマはいまでも見られるのだろうか。当時私は何を思って見続けていたのだろうか。

向田はテレビのシナリオライターとして、かなりシュールな、先進的なドラマを生み出していたのであるが、その当時、私はテレビをほとんど見ていなかった。むしろ、エッセーになり、久世のドラマになってから見たという経緯がある。

向田のエッセーをいま読み直して改めてそのディテールの緻密さが際立っているのを感じた。そしてどこまでも視覚的なのだ。それも、子供の時の出来事も、隅から隅まで、見えるように描かれている。それでいて、煩雑で過剰ではない。身に染みいるように、その出来事に同調できるのだ。私は不勉強で、近年の作家のエッセーをきちんと読んではいないが、どうも身辺雑記的な物が多く、向田の突然変異的名人芸に及ぶ物に、その後出会っていない気がする。

『父の詫び状』を読みながら、私もめちゃくちゃだった父親の姿を久方ぶりに思いだしたが、我が親父も母親にえらそうにしていたが、実は全くの甲斐性なしで、しかしながら、私を溺愛してくれた。そこは向田家とは決定的に異なるが、あの父がいたから、貧乏に耐えられた。

昭和ももうはるか彼方に遠ざかってしまった。黙って、向田邦子をまた読もうかな。みなさんはいかがですか?

魔女:加藤恵子