魔女の本領
捨て石になること、その精神の純粋さに潜む危険…

血盟団

 

『血盟団事件』中島岳志


『血盟団事件』中島岳志 を読む。

「一人一殺」の理念のもとに1932年2月井上準之助(元大蔵大臣)、続いて3月団琢磨(三井財閥総帥)を暗殺したテロリストたちの青春と社会状況、そして彼らのスピリチュアルな指導者井上日召、更にはテロ実行に至る周辺の人物の動向を追ったノンフィクションである。

中島はこの書籍の意味について「いま、血盟団事件に遡行することは、閉塞状況の中にある現代日本を捉え直す重要な手掛りに成る、と私は考える。」と書いているが、現状日本の社会情勢に言い知れない不安を感じる私には、読み終わってもなお、その不安が増しこそすれ、解決策は当時もなく、今もまた同じのような不気味さを感じた。

当時の日本社会は、世界恐慌の煽りを受けて、深刻な不況が続いていた。第一次世界大戦が終結した1919(大正8)年以降、経済は悪化の一途を辿り、貧困問題が拡大していた。特に地方や農村部の荒廃は酷く、出口の見えない苦悩が社会全体をおおっていた。 彼らはそんな閉塞的な時代の中で実存的な不安を感じ、スピリチュアルな救いを求めた。
この指摘は血盟団事件にだけ当てはまるものではなく、5・15事件、2・26事件と続き、歯止めが利かないまま戦争へと傾斜していったことはすでに誰でもが知っている(とおもう)。がしかし、現在の政治家にその反省はあるか?と問うてみたとき、実に暗澹たる気持ちにさせられる。

井上日召は日蓮主義者で、そのスピリチュアルな力は初期は病気治療などに発揮されていた。そこに現実の悲惨な状況に悩む若者たちが集まり、精神的に日蓮主義者としての井上に絶対的な信頼を寄せて引き寄せられた。井上自身の思想は始めは修行と神秘体験によって、あくまで個の救済と完成を目指す「小乗」的なものだった。しかし、田中智学の思想に触れる中で、井上は「大乗」的精神へと開眼した。自己が体得した真理を、いかにして他者へと拡大し、社会を良き方向へと導くかが、井上の主眼となった。

宇宙は「絶対調和」という「自己実顕に向けて」常に進んでいる。そのため、宇宙の一部である個人も「永遠の生命創造を理想として自己実現に努力すべきである」。利己的に生きることは、宇宙の原理上、許されない。

井上にとって、人類の理想は宇宙の理想である。そして、個人の理想は国家の理想であり、国家の理想は人類の理想と連続する。そのため、特定の階級の利益が国家の発展を害するようなことはあってはならず、特定の国家の繁栄が人類全体の幸福の阻害要因になることもさけなければならない。個人・社会・国家・宇宙派一体の存在であり、すべてが絶対調和という理想に向けたゆまない努力を続けなければならない。このように井上の思想は国家に向けて展開され始め、やがて建設のためには破壊が必要であり、その変化流転によって新陳代謝が促される。破壊がなければ、人類は調和に向けた前進を停止し、世界は永遠に滞る。前に進むためには、破壊こそが必要であり、破壊こそが建設となる。このように革命の為の破壊の必要性に至る。この精神性に結びついたのが、現代の我々には理解しがたいが、日本主義であり、国体観であるが、彼は「三種の神器」が「法華経の三大秘法」の現れであるとして、日蓮主義と日本主義が明確な形で重なり合った。井上の関心は、一気に国家へと向かって行った。

こうして、周辺には幾他の陸軍、海軍の青年将校や東京、京都帝大のエリート学生など、右翼の人脈が集まりだし、ついたり離れたりしながら、テロへと進んでいくのである。
しかし、血盟団(実際は集団として自ら名のったことは無いと云う)は、北一輝のような国家改造には殆ど興味を持たなかった。彼らは、破壊することで自ら捨て石になり、地湧きの菩薩の出現を促し、後は自ずから真正な社会が成るという考えであった。そのために、西田悦などに対しては、権力志向があるとして、批判の対象になり、最終的には暗殺の対象にさえなる。有名右翼思想家、例えば安岡正篤、大川周明などには頭でっかちの実行力のない人物との批判があり、また見解は分かれたものの権藤成卿には親近感をもったようである。権藤の説く「社稷」とは古代中国で生まれた概念で、土地の神の祭壇(=社)と穀物の神の祭壇(=稷)の総称である。古代中国では土地と穀物が神聖視され、村ごとに祭壇を設けて祭った。やがて古代王朝が誕生すると、為政者は国家祭祀として社稷を祭り、次第に国家そのものを意味するようになった。権藤は、日本の記紀神話における「アメツチノカミ」に社稷の原型を見出し、日本国家の根本伝統と見なした。彼にとって、日本は社稷の上に建設された国家であり、社稷を措いて日本を理解することは不可能だった。

権藤は人類安定の土台を、衣食住と男女の調和に見出した。そして、人間は安全に生きるために秩序を形成し、「社稷体統の体制」を構築したと論じた。

権藤思想の特徴は、社稷が民衆の自治によって成り立ってきたことを強調する点だった。もし国家が消滅し、国境なき人類社会が成立しても、社稷は永遠に存続する。風土気象に依拠した自然秩序形成こそが社稷の原理であり、それは民衆の生活世界の中から生まれてくる。権藤は、近代日本を「社稷の危機」と見なした。日本の風土や伝統、慣習を無視して導入した近代的諸制度こそ、まさに日本を行き詰まりに導いた元凶だった。彼は明治国家の制度設計によって社稷が解体され、人民の暮らしに危機が到来していると考えた。

権藤の論理は「独特の社稷国家論をもって、明治絶対主義国家体制にまっこうから反逆する」ものだった。彼は明治国家この社稷を解体する「敵」と捉え、民衆のエートスと土着的秩序の側から近代国家を排撃した。

この論理は、資本主義への否定的態度へとつながっていく。

本来、土地は神聖なものであり、社稷全体の資産である。しかし、私有財産制の導入によって一部の特権的人間が大土地を占有し、資本家が農地を独占するようになった。民衆の衣食住の安定は崩壊し、極端な格差と貧困が拡大した。

ここで権藤の復古的革新思想が表出する。彼は近代国家や特権階級を打破することで、理想的自治制度の復権を図るべきだと論じる。

この権藤思想は、クーデターによる理想社会の構築を目指す若き国家主義者や青年将校と共鳴した。権藤が社稷を阻害する特権階級と見なした者こそ、彼らにとっての「君側の奸」に他ならなかった。権藤の論理は、国家統治機構に対する鋭利な批判を伴っていた。彼の社稷論は、近代国家という枠組みの解体を要求し、伝統に基づく民衆のユートピア的自治を訴えるものだった。この点で、権藤思想は国家主義よりも土着的アナーキズムの色合いが強く、国家権力の側からは危険視された。この思想に血盟団の内の帝大グループは共鳴したが、土着のグループからは中国の発想であると云う点から批判がなされた。

血盟団自体は一枚岩ではなく、内部に統一した思想が存在したわけではなかった。結局、上海事変勃発により軍部将校がクーデターに出る可能性がなくなるにつれ、血盟団の土着グループはテロへと押し出され、井上の日蓮主義を自ら奉じると云う行動に出て行くことになった。

さて、なぜ日蓮主義が当時の日本に主張されたのか?その点がどうもわからない。中島があとがきで触れているが、血盟団事件と5・15事件の間の1932年4月、『児童文学』第二号に宮澤賢治の「グスコーブドリの伝記」が掲載されたと云う。これがこの時代相を反映していることは言わずもがなであるが、すなわち、献身というテーマが大きい。賢治も又日蓮主義であった。血盟団のテロリズムを認めるわけではないが、不正義に対して、いかんともしがたいいらだち、それは理解できる気がするのである。しかし、その民衆の苛立ちを上から掬いとり戦争への道を進めた政府、軍部の暴走を、私たちは絶対に歩んではならない。右傾化する現状を阻止したい。

魔女:加藤恵子