学魔の本函
数秘術の本質を読む!

バルセロナ

『バルセロナ、秘数3 』中沢新一


数字の魔術は精神の底を見ることだ。

この本は多分出版された時に買ってあったが、読んでいなかった。1990年出版ということは、既に20年以上前になるわけだ。今回これを再度手に取ったのは、またしても学魔高山が講義の中で触れたからだ。何か、つまり数秘術の本質が分かると言うわけである。
この本は、中沢のカタルーニヤ紀行文であるが、そこにある秘数3と秘数4との関係性をヨーロッパの歴史性と宗教概念を解明するポイントとしてとらえている。数秘術の本格的な本を手に取ったことはあるが、実は全く理解できなかった。しかし、この秘数3と秘数4との対立と闘いがヨーロッパ文明のベースになると言う論点は非常に明快で、なぜ数秘術が、歴史上重要視されたのかが、おぼろげながら分かった。秘数3とは流動性を内包し、秘数4は安定性を意味し、すなわち、キリスト教の普遍(カソリック)を紡ぎ出している。

カタルーニャはスペインにおいて、常に中央に対峙し、抵抗する歴史を持っている。市民戦争においても、フランコの軍隊に最後まで抵抗し、言語すら奪われた。にもかかわらず、カタルーニャはいわば秘数4に飲み込まれながら、実は不均衡で、かつ柔軟なカタルーニャの世界を守り通した。その象徴として、中沢はモンセラートの黒い聖母を挙げている。私もスペインをほっつき歩いた時、険しい山の中に、幼児ではないキリストを膝の上に坐らせた黒いマリア像を何故か判らないが奇妙な感動をもって見あげたものである。共和派が敗北した時、この聖母像は実は行方が分からなくなったのであるが、フランコ死後、民家から発見されたのである。聖母をカタルーニュの母なるマリアとして救い出したのは、名もない庶民であったところに、カタルーニャの強い意思が土着的なものであることを証明している。この聖母が何故か右手に不思議な球体を持っている。これがどうも三角形と円との関係、自然と神との結びつきを神秘的に説明するのだそうだが、良く分からない。シモーヌ・ヴェーユは『根をおろす』において「円は神の幾何学的なイメージであり、また神と被造物とをつなぐ神秘な媒介をしめすものの、幾何学的イメージともなったわけでなのです」と書いているという。三位一体の神秘をはらんだ円、そして球体。父と子と聖霊は、3であり、同時に球体なのだ。球体は、自分のなかに、3の秘密にかかわるすべての情報を、内蔵している。しかし、その3がなければ、円と球体は、神の叡知を、自然のなかにうみだされたもののうちに、つたえることはできない。さて、ここからが飛躍的なのだが、処女懐胎の秘蹟とはこの数学的なアレゴリーを言うのだそうである。ちょっと分からない。しかし、秘数3を単純に三位一体の3、三角形と言う単純認識は間違いのようだ。

カタルーニャ地方は、フランスにピレネーをはさんで接しているが、この地域はキリスト教の強固な異端派カタリ派の地域でもあり、この異端がカタルーニャにも入っている事は創造できる。また、カタルーニャの文化、美術が20世紀の突出した部分を成していることも注目される。ミロ、ピカソ、ガウディーなど、そのいずれもが不均衡であることが意味するものこそ、秘数3、ということになる。

数秘術の本来的意味が今まで良く分からなかったが、この本は数秘術とは、単なる数字のごろ合わせではなく、文化、政治、社会を規定する精神の深みを理解する数学的手段を言うことが理解できるのである。

それにしても、中沢はいろいろやるもんだなー。

魔女:加藤恵子