魔女の本領
近代は祝福されるべきものか…

近代の呪い

『近代の呪い』渡辺京二


『近代の呪い』渡辺京二 を読む。

『逝きし世の面影』で過ぎ去ってしまった日本の懐かしい姿を描いて衝撃を与えた著者の注目の講義録である。近代というのは祝福されるべきものなのか?そして「進歩」の行き着いた先である現代で、我々は何に行き迷っているのかを平易な言葉で語られている。

近代とは国民国家の成立をもって総称されるが、その近代とは、国家が国民を直接掌握する世界である。精神としては自由の概念が挙げられている。しかし渡辺は、実は前近代の方こそ、民衆は自立的民衆世界を生きていたと書くのである。

フランス革命に至るフランスを例にすれば、絶対王政といっても、王権はけっして専制的な権力を行使したのではなく、アンシアン・レジームの特徴は王権のもとに多種多様な中間団体、すなわち社団が存在したことにある。貴族団体、境界、自治的な都市、村落共同体、職人ギルドなどいずれも社団で、「それぞれ王権から特権を認められている。この特権こそ自由なのであります」と前近代にある自由を証明している。日本の江戸時代においてもまた同様に、農民すら農村共同体において、域内の自由度は強かったとしている。また幕末においても、庶民は殆ど天下国家とは何の関心もない所に生きていた。この自立性と自由を私たちは忘れてはならないのではないかという指摘である。

このような自立的民衆世界から近代国家の個の確立を図るために、政治はまずもって自立的世界からの引きはがしが計られた。近代というものを理性的に構築するという精神である。また理想的社会を志向する精神でもある。そこにヒューマニズムも登場する。それを担う知識人が出現するのも近代の特色である。

「近代化=西洋化」という図式に対する批判は多く出ている。しかし、渡辺は明らかな西洋中心主義を批判するのであれば、西洋が世界を制覇して「近代」を普遍化した事実を認めたうえで、それが「進歩」であり善であり、向上であるという価値ずけを批判し、「近代」を乗り越える道をこそ模索すべきだとしている。

我々が西洋近代から受けとった贈り物はひとつは人権であり、もう一つは近代科学とそれに関連するテクノロジーである。もちろん、3・11の地震・津波、そして福島の原発事故の後にある我々は、近代のテクノロジーを礼賛しているだけでは済まない事は身にしみているのではあるが。

ここで、渡辺は近代の夜明けと位置ずけられているフランス革命の見直しに一章を費やしている。とても興味深かった。フランス革命を担ったものはブルジョワなどは絶無であり、近代の精神はそれ以前にすでに萌芽している事とか、所謂第三身分の平民が王権に対しては貴族と共闘していたことや、王権の進歩的側面としての租税の一律課税に対して、前近代的ギルドの特権と自由を死守したりする。やがて大革命はロベスピエールの恐怖政治へと進んでゆくのであるがその要因について、渡辺は共和主義を担う「新しい人間」は一切の利己心を否定して全てを公共善に献身させるということで、これを「透明」ということであると書いている。これには同意せざるを得ない歴史的な事実を思い知らされる。共産主義ソ連、ポルポトの虐殺、なぜだかわからない革命につきものの暴虐の精神性の底はこれではないかと思いいたった。

さて、題名の「近代の呪い」とはなにか?

近代によって貧困の克服は可能になった。それを支えたのはフリーな市場経済の世界化である。しかしこの世界市場化むしろネイション・ステート間の熾烈な競争としていとなまれる。このようなありかたをインターステイトシステムという。

◎「すなわちわれわれは資本主義的な市場経済の進展によって、人類史上初めて衣食住のレベルでの生活のゆたかさを獲得したのですが、そのレベルを維持・拡充してゆこうとすれば、インターステイトシステムにからめとられて、民族国家の枠組をますます強化してゆくことになります。これが私のいう近代の呪いの第一であります」。

すなわち、国際化が進み国際競争が強化されればそれだけナショナリズムが強化されると言うことである。

もう一つの呪いとは自然の人工化である。

◎「生活のゆたかさ、快適さ便利さの実現が、コスモスとしての世界、自然という実在との交感を断ち切ってしまい、その結果、結局は死すべき運命にあるはかない人間存在を、コスモス=自然という実在の中に謙虚に位置づける感覚を失わせてしまうことになったのを近代の呪いのひとつとおもわずにはおれないのです」。

この認識はたんなる地球環境問題として提起されているのではない。「それは衣食住のゆたかさを無限に追求すること、経済の成長によってのみ可能となるそういう志向が、私たちの生きる世界=コスモスを狭隘化してしまう」と渡辺は書いている。そして、近代がもたらした恩恵が今や桎梏になっているというアイロニーを直視して、近代の呪いを乗り越える道を模索すべきだと提起されている。

超高速のリニア新幹線が必要なのか?自然界を循環しない核物質を後世に残す事は許されるのか?考えることは大いにあると思う。

魔女:加藤恵子