魔女の本領
タイムマシーンがあったら…

日本その日

『日本その日その日』エドワード・S・モース


タイムマシーンがあったら近代以前の日本に行ってみたい。現在よりずっと穏やかだ。

モースと云えばあの大森貝塚を発見した人だ。しかし、この本を読むまでその他の事象を全く知らなかった。彼はいわゆる御雇い外国人として東京大学に赴任した科学者なのだが、本書はかれが実に明快な、濁りない目で日本を見つめた記録である。本編はさらに大部なものであるがその抄訳である。時は西南戦争後2年と言う時点であるが、近代化に突入したばかりの明治期に北海道から熊本まで動き回りながら見つめた本当に庶民の生活、文化が描かれている。

彼が大きな驚きで見つめたのは都市の上級市民ではなく、いわば田舎の百姓や、下層民の姿なのだが、そのいずれもが静謐で穏やか、清潔で、子どもを大切にし、全てがフランクで、家屋も開放的で、信義に厚く、人を疑ってかからないという日本人の驚くべき性質である。本当にそうなのかと疑いたくなるのだが、モースは実体験を飾らず書いている点で、信頼が置ける。彼は人力車に乗ることを始めはためらうのである。それは車夫に車を引かせるということが人を見下すのではないかと考えたからであるが、しかしモースの危惧は氷解する。それは労働に誠実に励む車夫たちが、客を取る時にくじを引き、当たった者が客を乗せたり、車の舵がぶつかると、両者が詫びを述べて、譲り合うというような人間性の優れていることを見るからである。さらに、自分の仕事を助けてくれる日本人が高等な身分の者だけではなく下男に至るまで、モースの意図をすばやく理解し、命じなくてもすすんで働くというのを見る。また、奇妙な習慣と思われたお辞儀も、日本人が互いを認め合う優れた作法だと了解すれば、むしろ優れた仕草だと理解する。また家屋の作りに非常に驚きを見せている。すなわちその開放性である。他人を拒絶する仕切りがなく、鍵も閂すらない庶民の家。或いは宿屋で数日後に帰るまで貴重品を預かってくれと頼むと、ただ乱ればこが出されただけで、不安を隠しきれないが、帰って来ると時計も銭も全く手が触れられていなかったということに、自国の人間不信感との対比に驚きを示している。

また、庶民にいたるまで、たくまざる美的感覚を持っているとみている。例えば、田舎の子供がいたずらして破いて障子の穴を桜の形に切った紙を継ぎにしている。確かに私たちは、子ども時代、障子の穴はそうした張り紙をしていた。取り立てて美的と言う程とも思っていなかったが、外から見ると細やかな美的センスと言えるかもしれない。また、農民も貧しいけれども貧窮しているわけではないと見ている。例えばモースが宿を頼めば金を取ることもなく部屋を貸す。そして家族総出で見送ったりする。ここには外国人に対する卑下も、恐怖もなく、全くあたり前の接待をしている。モースが驚いて書いている事に、私も驚いたのだが、朝鮮で日本との衝突があった時(これが何を意味するのか分からなかった)、朝鮮人が白い民族服を着て旅行をしていたが、全く排斥することもなかったという。今、日本全国で民族差別が激化しているが、明治初年の日本人は実にレイシズムも無かったのだ。ただ長州に行った時モースは厳しい視線を感じたと書いている。それは長州が幕末に外国の砲撃に合った記憶がそうさせているのであるから、原因はそうした外国の側にあると冷静に分析している。

興味深いことがある。意外なことに火葬場が清潔で、樹木が整えられていたというのである。当時は土葬であったと思っていたので、火葬場の記載には意外の感をもった。子供用に小さな焼き場も用意されていたと言う。また、庭園のしつらえの見事さにも触れられていて、多分盆栽とか枝をたわめて植えた樹木を指すのだろうが、何気ない日本の美術センスを讃えている。

モースは東京大学や慶応で進化論を教えている。学生は皆英語ができて、英語で授業が行われたと言う。また東京大学に博物館を作るために各種の物の蒐集に飛びまわるのであるが、有名な大森貝塚の発見は、鉄道の線路わきに見つけて、これが日本初の貝塚となるのであるが、モースはそこから出土した貝殻もさることながら壺の破片などから次第に日本の古美術や民具の収集へ向かうことになる。京都方面に向かった時、フェノロサと同道したくだりが愉快である。フェノロサは食事に洋風の物を求めてそのひどさからさっさと東京へ引き返してしまったという。モースは美しい日本食を当然のことのように食べて、仕事を続けた。フェノロサがその後日本美術を称揚したことを思うととても笑えるエピソードである。

本書に書かれた近代日本は革命的に近代化した訳ではなかった事はよく分かる。そして、実は近代以前の日本人が実は穏やかで、優雅で、お互いを思いやる精神と人を疑うことのないきわめて優れた特性を維持していたことが分かるのである。やがて外国との戦争、近代化による競争意識や、内と外を峻別する気風が入り込み、この美風はガタガタと崩壊していった。坂の上の雲の下は最早平穏な、優雅な庶民の生きる社会ではなくなっていった。何が幸せなのだろうか?考えさせられる日本見聞記である。

魔女:加藤恵子