『仁義なきキリスト教史』架神恭介 を読む。
多分、こんな本は日本だから出せるんだろう。キリスト教原理主義者やイスラム教原理主義者が強い国では、両者から「ふざけるな」のお叱りが来るであろう。これは小説なのである。キリスト教の歴史をヤクザに置き換えたらどんなふうになるかという超真面目な、ふざけた本なのである。キリストが救世主となる過程からして、ヤハウェを大親分として、その脅威に苦しんでいる民衆にヤハウェへのとりなしを保証することで、医療行為を行ない奇蹟を起こすものとしてのキリストが生まれるのであるが、そのキリストが刑死せざるを得ない過程は結構細かく書かれていて参考になる。たんなるユダのタレコミによるローマの政治的なもの以上にヤハウェ大親分の取り合いでもある。死んだキリストはこれがまた大親分になり、連綿とああでもない、こおでもないというキリスト教の歴史は続くのである。
本書はもちろん深作欣二監督(笠原和夫シナリオ)の「仁義なき戦い」を下敷きにしているわけだが、その点ではよく真似ている。まず広島弁。深作映画では呉弁なのだが、ともかくヤクザたちの個性を印象的にした広島弁をキリスト組やくざはうまく使っている。ヤハウェ大親分とキリスト大親分はさしずめ、自分の都合で子分を鉄砲玉にして死なせ、蓄財に励んだ、いやらしくも見事な大親分であった、金子信雄が演じたおやっさんにそっくりだし、大親分の卑劣さに怒り、最後に犬死した子分の葬儀に殴り込み、祭壇に鉄砲をぶちかます菅原文太はルターというところだろうか。十字軍なんか、多分私が最も好きな「広島死闘篇」が当てはまるだろう。エルサレムを奪還すると言う大義が教皇と皇帝の金をめぐるあれこれに巻き込まれ、結局キリスト教徒どうしの戦いに終始する姿は、親分にそそのかされ鉄砲玉として仲間の組長を射殺して、金子の演じる親分(これが本当にいやらしいんです。おしろいを鼻にはたいていたりする)に見捨てられ、ドブネズミのように追いつめられ自殺した予科練帰りのヤクザが第4回十字語の騎士やくざだろう。このヤクザを演じたのは、いまや白いお父さん犬である彼の若かりし頃なのだ。そのほか、キリストなきあと、組をまとめ、拡大させたパウロは成田三樹夫が演じたおやっさんを陰から支えるヤクザに当てはまるかもしれない。
まーそんなことはどうでもよいのだが、この本でキリスト教は分かりません。仁義なきキリスト教である最大の問題「異端」についてがほとんど触れられていない。ルターの部分でルターが農民蜂起の弾圧に回った点などは、その通りだし、意味あるのだが、腐れやくざとして多くの民衆を火あぶりにした異端審問に一行も触れられていないのはどうしたことだろう。ともかくも、キリスト教であれエンタメ化をゆるす自由のある我が国は救いがある。楽しんでつかーさい。
魔女:加藤恵子