魔女の本領
好きなことで生きられるまでには、苦労があった…

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『荒野の古本屋』


好きなことで生きられるまでには、苦労があった。でも人って棄てたものではない。

『荒野の古本屋』森岡督行著 を読む。

友人が著者と知り合いということで、読んでみた。「就職しないで生きるには」というシリーズの本なのだが、茅場町という特殊な場所に特色ある古本屋「森岡書店」を開いた方の、生き方とこだわりと修行時代と古本屋開店の奮闘をさらりと書いた本である。そのこだわりが、色々な繋がりを引き寄せて行く。それはネットの空間ではなく本当の人との結びつきなのである。ちょっと忘れていたオルタナティブという言葉を久方ぶりに思い起こさせてくれた。

森岡氏は大学卒業後、漠然と「社会に反目」していて「大量生産大量消費」の社会・経済の枠組みから身を引き離していた。しかし目的があったわけではなく、アルバイトをしながら2000円の軍資金で神保町をへめぐっていた。そして、なぜか昭和初期の洋風建築に魅せられていて、住居もその通りの「中野ハウス」に定めた。その古い家にはロフトがあり何やら不思議な穴がある。これがそれから続くお話のキイコンセプトになるのだが、石炭を置く場所であった。つまり昭和初年の洋風建築には石炭が欠かせない必需品であった。これがまた夏目漱石の「坑夫」に繋がる。ともかく古い昭和の残映に氏は心をうごかされて、名曲喫茶で本を読み、神保町でもその手の書店に目を奪われていた(確かに神田にはなんだか古色蒼然とした店舗がある)。そんな時、ふと目にとまった写真集が藤原新也の『メメント・モリ』であった。私にも覚えがある。ガンジス河のほとりで犬が人肉を咥えている写真につけられたキャプション「人間はイヌに食われるほど自由である」。私もやられたと思ったものだが、私は藤原の書く者の方へ興味が行ってしまったのだが、森岡氏は写真というものへの興味が展開して行く。

やがて、ひょんなことから「一誠堂書店」へ就職し、古本屋の修業をするのだが、既に世の中はコンピュータの時代に入っていたにもかかわらず、一誠堂書店はカタログも手作業で作っていた。それが実は本を知ることに大きく役立った。私もこの一誠堂のカタログはよく見ていた。写真も掲載され、大体は高価な古書が多い立派なカタログであった。一誠堂から独立した古書店も多いそうであるが、その中で最も有名な人物反町茂雄『一古書肆の思い出』は読んでいる。この一誠堂の店員の時代に森岡氏は対外宣伝誌に興味を持ちのめり込んだそうだ。その中に『FRONT』というのがあった。実はわたしも某所でこの本のことは聞いた。戦時中に軍が出版したビジュアル重視の雑誌だそうで、東方社というところが関わっていたのだが、その理事はあの林達夫である。その他少なからざる左翼・共産主義者が関わっていた。これは何なんだということを思わされていたところに、森岡氏の本に『FRONT』がでてきてまたまた驚いた。この雑誌が後に森岡氏の金銭的苦境を救ったりする。推量するに、甘粕の満映に多くの左翼知識人が関わったのと同じような関係性があるのかもしれない。この事は今まで誰も研究していないと思う。書店員の傍ら近代建築を見て歩くことも続いていて、ここでも私は不思議な邂逅をする。それは同潤会江戸川アパートである。今は解体されてしまったが、森岡氏はそこへも、なぜか引き寄せられて見ず知らずのお花の先生のお宅に入り込み、岡倉天心の『茶の本』について教えられたりする。私の方は、友人がそこに住んでいたのだ。しかし、残念ながら何も得ていない。

森岡氏はある時茅場町の古美術商「うちだ」を訪ねた。そのビルが昭和初期の近代建築であった。その時、「うちだ」が閉店するという張り紙をみて、即座にここで「古本屋」を始めると決めていた。ここにもあの石炭置場があったのだ。こうして「森岡書店」は茅場町という不思議な場所に開店した。開店に至る苦労はとても大変そうではあるが、何か不思議に人に助けられて行く。プラハ、パリでの買い付けの色々がとても面白い。氏はもっぱら写真集に焦点を絞り蒐集していて、私たちの古本屋のイメージとは少し違う。それが発展し、スタジオを併設し、展示会をする形で、本屋の経営を支えるというスタイルをとる。そうすると、展覧会を見に来る方が本屋の新たなお客となるという新鮮なサイクルが出来て来る。この点が芸術・美術系の本屋さんと人文系古本屋との差が出て来ていると思う。その後は、倉敷での書店開店のプロヂュース、神田万世橋の商業施設のなかのライブラリーのプロヂュースなどを手掛けられたが、「森岡書店」は今や世界に知られた写真・美術のマニアックな書店として有名になっている。

買った本を持つ重さに耐えられなくなってきた私は、アマゾンで本を買うことが多くなってしまったが、神田にまた出撃しようかないと思っている。そしてなによりも、人を大切にしていく姿勢。これが全ての成功の秘訣であろう。

魔女:加藤恵子