学魔の本函 未設定
『精霊の王』を読む!

精霊の王

『精霊の王』


学魔高山師、絶賛の中沢新一。さて「後戸の神」とはなんだ?

『精霊の王』中沢新一著 を読む。学魔高山師は日本の芸能を語る上でこの「後戸の神」について鋭く切り込んだ本として、紹介していたのである。中沢新一は多方面にわたり彼の哲学的思索を展開しているので、追いかけるのが大変なのであるが、「精霊の王」とは初め雑誌に連載された時のタイトルは「哲学の王」であったということである。あとがきを読むと、いずれも未完のレーニンの『国家と革命』と柳田国男の『石神問答』を発展し完成に近付けるという意図があったと書かれている。この意図は成功したと言えるだろう。特に柳田国男の『石神問答』が意図的に伏せた差別の問題に積極的に切り込んだことは大きな成果であろう。さらに、中沢が芸能と差別、天皇の権力と武家権力のありよう、日本における東と西の権力構造の差、神の違いなどについて、シャグジ、ミシャグチなどといわれる未だ形のない霊的な存在を介在させることで統一的に解釈しているこの著書は、刺戟的であり、さらに言えば、権力のあり様を見据えるうえで、今日的であると言えるだろう。

さて、問題は「シャグジ」なのだが、これはほとんど忘れ去られていた石の神で、日本列島のまだ国家もなく神の体系もなく、神社もない古い時代、もしかしたら新石器時代からの知の在り処をはらんだ「古層の神」である。これは列島上至るところに異なった呼び名で呼ばれていた。シャグジ、ミシャグジ、シュクジン、シュクジン、シュクノカミ、シクジノカミなど。この呼び名について柳田国男は全てが「サ音+ク音」の結合であることを発見した。この形をした音の結合は、きわめて古い日本語でものごとや世界の「境界」を意味する。この神は、人間が超越的なものについて思考しはじめて間もない頃から人々の暮らしに深く浸透していた。しかし、国家というものが出現すると、その支配を権威ずける王権やその補完をする宗教的な精神に大きな変化が現れ、列島上に溢れていたシャグジの精霊=神たちは没落し、いままで精霊が祀られていた場所に神社が建てられるようになると、「古層の神」たちは、神社の脇の祠や道端の粗末な場所に放置され、表面的には社会から消え去ったかに見えた。しかし、この縄文的な精霊であるシャクジという「古代の神」は、芸能と技術を専門とする職人の世界では、「宿神(シュクジン)」と呼ばれて、芸能の根源にかかわり、技術を変成させる力をもつ守護神として、密かに大切に守り続けられた。この宿神の存在と霊力にインスピレーションを得て、観阿彌・世阿弥や金春禅竹による能がうまれ、あるいは蹴鞠や立花、作庭がなされたのであり、いわば幽玄というものの根源にあるのがこの「宿神」という神の存在であり「日本文化」の基盤を成しているといえる。

権力であれ、神、更には仏でさえも、その力は実はそれ自身にあるのではなく、彼らを動かす隠れた精神が振動することによって力を顕現させるのだということを中世日本の人々は考え、それを「後戸(うしろど)の神」と読んだ。「後戸の神」はただの観念ではなく、よく動く物質的な身体を持っていて、その身体を激しく揺り動かす、つまり踊ることで力が前面にたつものに注入させている。シャグジや宿神はこの霊力を保持し続けた存在である。例えば、藤原成通は蹴鞠の名人であったが、彼の日記によると、鞠を蹴る時に、鞠が空間にある時に顔は人間で手足と身体が猿である童子が出現して楽しげに遊ぶのだそうである。そしてその童子は庭に樹木がないと現れないというのである。この鞠の精は中世の芸能にたずさわる者の守護神といわれた「守宮神(しゅぐうしん)」の姿であり、すなわちシュグジ、シャグジなのである。またこれが猿楽になれば「翁」というものが、特別な存在として立ちあがって来る。中沢がこの「翁」についての考えを詰めて行くことになったのは、昭和39年に発見された金春禅竹の著した『明宿集(めいしゅくしゅう)』というテキストによっている。このテキストは猿楽で最も重要な精神的価値を持つものとしての「翁」の本質を書いた、内部文書である。猿楽の起源に関して秦河勝を祖としていて、渡来人であることがうかがえるが、秦河勝は壺の中に入って流れて来た幼児として出現する、これは中空の容器に密封された霊的存在が、殻を破って出現する時、大きな力をもつ存在となると言う世界的な神話との親和性があることで、この祖先神話が大陸、朝鮮のみならず環太平洋も包摂する古代的思考であることを物語っている。そして、秦河勝を密封していた壺(うつぼ舟)を胞衣とのアナロジーであるとしている。その理由は、信州では今でも胞衣をそれとなく祀ることが残されていて、この保護膜がこの世とあの世の境目であり、「翁」はこの両方の空間を行き来する存在として、「翁」=「童子」として感得されるという。

さて、柳田国男が見出したシャクジは列島上の広範囲に広がった信仰現象であるところから、これは太古的な性質を持った神=精霊への信仰であることは明らかであったが、それが東日本では諏訪神社の信仰圏では小さな祠に後退していたとはいえ重要視されていたのに対して、西日本ではシャグジは「シュクジン(宿神)」や「シュクのカミ」などに変化し、多くの被差別部落の氏神となったことについて柳田は明確な解明を避けた。中沢はこの点にこだわった。「サ」音と「ク」音の結合でできた霊的な概念は、境界性をあらわすものである。この概念が生まれたた時代、東日本では国家の概念はまだ見発達であり、そこでは縄文的な思考が影響力を持っていて、人間の能力を越えた「超越的主権」のありかたを、社会の外部に見出そうとした。その「超越的主権」というものが、王という存在へと変化し、国家が生まれて来ると、王は本来自然の領域の物であった「超越的主権」を、社会内部に持ち込む。「聖性」を帯びた神であった「宿神」のような存在は、王権の秘密を知る存在であり、自然の内奥の力に触れている点で秩序を形成した王権にとっては危険な過剰を秘めているという点で「賤性」に染まっているとみなされる。この両義性が、差別の根源となる。戦国大名が創る新しい秩序では、それまで「聖性」を帯びていたため社会的には「賤民」としての両義性を保持していた人々が、負の価値づけをされて、差別される存在へと固定化されてゆく。宿神の没落が始まる。西日本の宿神を守護神とする人々は、社会の「端」や「境界」へと追い込まれてゆく。しかし芸能・職人の世界にだけはこの古代的精神は強固に保持されてゆく。それは空間に幻を現出させる芸能と物質を合成し揺り動かすことで新たの物を創造する技芸には「宿神」の見えないエネルギーは必要不可欠なものであったということである。

このように考える時、思い起こされるのが網野善彦が書いた後醍醐天皇についての本『異形の王権』である。後醍醐天皇が政権を奪取する際に密教を拠り所として古代的復権を図ったという点であるが、中沢は表面は密教であるが、それこそ宿神の「古代的」(もっと言えば縄文的)神の霊力の復権による王の再興を図ったとしている。なぜ、後醍醐天皇が非差別と手を結び、あるいは海賊や悪党といわれる武士と結んだかという点に、理解が行く。

中沢は、目に見えない精霊をめぐる王権の神話的な結びつきは、たとえばアーサー王と円卓の騎士に見られる聖杯の存在に共通するとみている。中沢は結論的にこう書く「いや、もっと正しい言おう。人間が「力の源泉」を自分の外に求めていた頃には、「世界の王」はまさしく世界の中心に、はっきりとみとめられていたのである。ところが、この世の王、世俗の王なるものが出現し、そこから国家という怪物が立ち上がっていらい、真実の力(主権)の秘密を握る「世界の王」は、わたしたちのとらえる現実の表面から退いて、見えなくなってしまった。そうなってしまうと、「世界の王」はむしろこの世で虐げられた人々、賤しめられた人々、無視された人々のもとに、安らかに滞在するようになり、現実の世界の中心部には、「主権」をにぎっていると称する偽の王たちが君臨するようになってしまったのだ」と。中沢の本書は、芸能や技芸のもつ自然との親和力を私たちは深く認識し、偽の王に絡みとられることのないように哲学的思弁をなすべきという、縄文的アナキズムという非常に尖鋭な論である。

魔女:加藤恵子