魔女の本領
先物買いが当たったみたい…

半可心中

 

『半可心中 濱次お役者双六』田牧大和


4作目にして、かなりの評判になって来た「お役者濱次」ものをどうぞ。

「森田座」の中二階、大部屋の若手女形梅村濱次。やる気があるのかないのかのんびり大部屋生活に馴染んである。しかし、周囲は必ずや大物に化けると信じてやきもきしている。その濱次に突然降ってわいたのが、大物看板役者野上紀十郎の相手役への大抜擢。それには裏があり、座付作者の松馬が天啓のようにちょっと変わったお姫様を濱次に当てて書いてしまったのである。それを紀十郎が見抜いてしまい、相手の立女形秋泉を濱次に代えてやりたいと座主森田勘弥に直談判に及び、失敗したら濱次も紀十郎も「森田座」を出ると言う条件で認めさせてしまう。濱次は大迷惑。ぼんやり思案しながら長屋に帰る道すがらなんと心中のしそこないを拾ってしまう。男は逃げてしまい、大店の娘が取り残されたのである。この娘、使用人と恋仲になるが、ぐずぐずしているくせに、思案に困り、御嬢さんの気をひくために「自分と死んでください」と鎌をかけたら御嬢さんの方が本気になり心中することになってしまい、逃げだしたというのである。しかし、このお嬢さん助けた濱次や長屋の連中が心配するまでもなく、一晩で立ち直りお店に帰って行く。しかし、濱次にはその女心が全く分からない。というのも、濱次の命じられた役「咲良姫」というのが、弱弱しいだけのお姫様ではなく、お家騒動の中、恋人が自分の父親にかけられた主君に毒を盛ったという嫌疑はらしに、首謀者だと分かった固い友情のある男友達の所へ覚悟を決めて行こうとしたとき、「咲良姫」は自らその恋人に代わって出て行こうとする。恋人との大げんかが演じられるというお姫様なのである。恋とは自分のためより恋人のために自分を投げ出しながら、恋人にそれを悟られないように気づかう女心の微妙さを、濱次は演じられない。分からないのである。この微妙な心情を見せてくれるのは長屋にすまう強気の女櫛職人五月である。五月は親の所をでてきて櫛職人として独り立ちしていた。そこへある日男が訪ねて来る。男は五月の家の職人で、五月とは恋仲だったのだが、男の腕が未熟でとても結婚の許しが出ないと悟り、家を出ていたのである。五月は自分より腕が上がったら自分のところへ来いと言っていた。しかし、男の持ってきた櫛は五月の櫛に及ばなかった。五月は男を追い返してしまう。これもまた男を恋していながら、自分の方が優位に立っては男に負い目を与えてしまう。それ故、追い返してしまう優しい女心であるのだが、これも濱次には理解できない。

濱次は隠居しているお師匠様有島仙雀の指導を受けながらも全く上達しない。「咲良姫」の強くて、それだから優しい心根を表現することが出来ないのである。あせる濱次。だれも教えてくれない。濱次は前作品ででてきた初代有島香風の舞踊「翔ぶ梅」を会得しているのであるが、実は作品では香風の霊が乗り移り、勝手に舞台に出てしまい絶妙な舞踊を踊ったことがあるのである。その香風のお墓の前で無我夢中で踊り、何かを得たように思う。結局、大風邪をひいてしまうのだが、森田勘弥と紀十郎のたくらみが分かっていながら、濱次は熱に浮かされながら役を演じ切ってしまうのである。今回はお化けの力ではなく、自力で。

このシリーズが安心して読めるのは、悪人が全く出てこないからだ。意地悪な人、頑固な人などはいるのだが、彼らも実は人情に厚い。濱次も人を踏みつけにするとか、上昇志向があるとかいうことが全くない。いわば下づみ、下層の庶民が人を思いやりながら生きているのがさわやかなのである。そして、今回は真実の恋、それも強い女性の恋というテーマが良く生きている。もちろん、多分男の恋もまた、相手を傷つけないようにそっと振る舞う恋もあろう。今や前へ前へと出る人との関係ばかりが成果を上げる世界に、こんな柔らかな人間を尊重する世界観を示してくれる人情物を私はかっている。

魔女:加藤恵子