魔女の本領
ベンヤミンが子どものためにラジオで語った原稿…

ベンヤミン子供

 

『ベンヤミン 子どものための文化史』


ベンヤミンが子どものためにラジオで語った原稿。数奇な運命を経て日の目を見た。この間に戦争があったことを私たちは忘れてならないだろう。

『ベンヤミン 子どものための文化史』W・ベンヤミン著 小寺昭次郎・野村修訳
を読む。

この本は、ラジオがまだ若いメディアであった1929年〜32年に子どものために放送された講演シリーズのタイプ原稿が戦後数十年後に発見されたものである。この時期ベンヤミンは離婚問題を抱え、生活の糧のためにベルリンとフランクフルトの放送局の依頼に応じて放送された。ベンヤミン自身、この仕事を「パンのための仕事」と周囲に話していて、口述タイプされたもののようである。ベンヤミンは原稿はすべて手書きであったと言うことなので、その点ベンヤミン自身がこの仕事を後世に残そうという意図はなかったかもしれない。この遺稿が長く発見されなかったのは、ナチスを逃れてパリに住み40年に再度フランスから脱出を試みる途上で自殺するのであるが、ベンヤミンは重要な原稿はジョルジュ・バタイユの好意でパリの国立図書館に隠されたが、それ以外はパリの住居に残して行き、これをドイツ軍のパリ侵攻ののちゲシュタボは破棄を命じたのであるが、ベンヤミンの遺稿は担当者が命令を遵守しなかったため破棄を免れ、今度はソ連に接収された。1960年にソ連から東ドイツへ返還され、東ドイツの芸術院の文庫に収められたという経緯を辿る。子どものための放送原稿は29篇あり、だいたい20-30分の分量になっている。ベンヤミンが子どもの本に興味を持ち、収集し、時には書評も書いていたことは知られていたが、この放送台本はオーラルな作品として特別に興味深い。この放送の契機が「パンのため」とはいえ、実は離婚により失った息子シュテファンへの思いが10歳代前半の子どもに向けて語られたベンヤミンの放送であった。ベンヤミンの子どもに対する姿勢は、ある児童書への書評のなかで明らかにされているが、子どもに対するには「教化的」であうことも、子どもに感情移入して「おとなが子ども用と考える」表現を用いることも無用だとしていて、「重苦しくてとっつきにくいまじめさであっても、それが誠実に率直に心から発せられたものであれば、子どもはきちんと感じとることができる」というのが彼の児童への姿勢である。

さてこの「子どもの時間」の内容は歴史的事象の紹介とその解説、ベルリンという都市の昔と今、ベルリンの近代化の姿、自らの子ども時代の思い出・遊び、クイズを交えた実験的講演と云うようなものに分類できる。全体を通じての一貫性は明確ではないが、歴史的な事象の文脈からは意外な感性が私には読みとれた。それは魔術に対する親和性である。魔女裁判の魔女達について、「ぼくらの常識からすると、迷信というものは単純なひとびとのもとにもっとも広まり、もっとも強固に根づいている。魔女信仰の歴史はしかし、それが必ずしもそうではなかったことを、ぼくらに教えてくれる。魔女信仰が最も頑迷で危険な相貌を呈した14世紀こそは、ほかでもなく、諸科学が多いに進展した時代だった。十字軍がすでに始まっていて、これとともに最新の学術が、なかんずく自然科学が、当時の最先進地域だったアラブ地域から、ヨーロッパに伝来したのである。そして、嘘めいて聞こえるかもしれないが、その新しい自然科学が、魔女信仰を大きく育てる働きをした」。「中世にはまだ、こんにち理論科学と呼ばれるような、純粋に計算や図形にかかわる科学と、応用科学すなわち技術とは、分離していなかった。他方で当時の応用科学は、魔術と同一のもの、というか、ともかくも魔術にきわめて近いものだった。自然についての知識がじつに乏しかったため、自然の秘密の力を探究し利用することは、魔術と見なされたのだ。この魔術はしかし、良からぬ目的のためのものでなければ許されていて、これをひとは黒魔術とくべつして白魔術と呼んでいた。」ベンヤミンは啓蒙ということに重きを置いていたが、実はその啓蒙主義の下でこの魔術の弾圧がなされたと言う矛盾を紹介しているのである。しかし、そんな中でも、時流に流されずに、戦う人達がいたことも述べている。「この時期に魔女裁判に反対して書かれた本は多いが、とりわけ有名になったのは、イエズス会士フリードヒリ・フォン・シュペーの著書である。かれは一冊の著作をひっさげて対抗する。かれの怒りが、かれの揺さぶられた心が、いたるところから透けてみえるこの著作でもって、またこの著作の影響力でもって、かれは、学者ブルことや頭が切れることよりも人間的であることを重んずるのが、いかにたいせつであるかを立証したのだった。」知識や学識、権威ではない。重要なのは人間的であること。そうベンヤミンは子どもたちに語ったのである。

魔術についてはその他にも「昔のドイツの強盗団」が内輪に使う符牒とか、使われる特殊な言語がヘブライ語経由であるとか、ジプシーとの連携とか、かれらが騎士的な団結を誇っていたことなどが語られている。ジプシーについても彼らが実はエジプト起源を主張するのは、ヨーロッパ人にとって魔術の起源がエジプトにあると考えていたことを逆手にとって彼らの魔術的な生存を強調したのであるとしている。そして彼らが「人から尊敬されるために使うことをわきまえていた手段なのだった。かれらが外見に反して虚弱な、非戦士的な民族だったことを、見落としてはいけない。かれらは、人から認められるために、外面的な暴力とは違う手段を用いなくてはならなかった。したがって、魔術と称するまやかしは、かれらにあっては、たんに生活費を稼ぐ方法だっただけでなく、自己保存衝動がなんとか見つけ出した逃げ道でもあった。」とジプシーの生存の姿の擁護を述べている。

その他、鉄仮面の実体とか、正体不明の孤児カスパル・ハウザーの秘密(これは種村先生の詳細な本がある『謎のカスパール・ハウザー』)、大詐欺師カリオストロ(これも種村先生『山師カリオストロの大冒険』)もまた、魔術師として(本当は詐欺師なのだろうが)とても興味深く描かれている。また、ファウスト博士についてもその魔術について「ゲーテの劇のなかのファウストも含めて、ろくでなしなんかではない。かれが自分を悪魔に引き渡すのは、そのこととひきかえに自然の秘密に参与するため、つまり自然魔術に通ずるためである。」と書いている。

また、歴史的事件や天災、ポンペイの埋没やリスボンの地震、ミシシッピー川の氾濫を読む時、何故か現時点で語られているかのような錯覚に陥ってしまう。ポンペイの逃げ遅れた人たちの原因は何だったかや、ミシシッピーの氾濫は数年前のアメリカのハリケーンカトリーナの事を思い起こすが、実は農場を武装して守った農場主たちと堤防を爆破して水を流しニューオーリンズを守ろうとした政府の戦いであった事などはなかなか興味深い。しかしそれよりも、水に流された兄弟3人のうち助かった末の弟を守るために兄が崩れそうな屋根から自ら離れて流されてゆくのを語った話に、東日本大震災の津波を思い起こさせられた。しかしベンヤミンは天災の脅威より、危険なものとして人間の脅威を最後に書いている。それはミシシッピーの岸辺に猛威をふるったクー・クラックス・クランである。ベンヤミンの子どもへの心の伝達は、そこにあるのである。

とても素敵な話も犬の話もある。インディオをかみ殺すように訓練された犬が、インディオの真剣な懇願を聞き入れて助ける犬のはなしとか、フランス7月革命に参加した市民に付いてきたムドールという犬は戦闘で倒れた主人の墓を動かず、パンやケーキを与えると主人に食べさせようと土を掘り返したという。その犬は貧しい身なりの人にはなでさせたが、上等な身ぶりの人は無視したと言う。

中核を占めているベルリンの話は、ベルリン訛りがどんなものか、その大風呂敷名な話の楽しさや、庶民、特に大道商人や市の姿が生き生きと語られている。そして彼が最も好んだ本屋さんの迷路(これも一種の魔術としてのラビリンスだ)、人形劇の驚異的な素晴らしさ。これだって魔術的だ。目の前で人形が早変わりをしたり、天に昇って行ったりしたようだ。日本の文楽がいわば人間の情の部分に訴えるのに対して、ベルリンの人形劇はスペクタクルだったようだ。そしてもっとも注目すべきは、ベンヤミンはホフマンの創作の根幹を解説して、ベルリンを観相学で描いたと紹介している。学魔高山師がしばしば近代を説明する時のキーコンセプトだ。この都市に住む人びとをの歩き方、服装、語調、目つきをこうしてホフマンは描いた。この回のタイトルは「魔のベルリン」なのだ。そして、昔のベルリンの子供たちがいまや都会となってしまった郊外で、木立の迷路をたどり、いたずらの遊びをし、粘土の小船を流して遊び戯れる豊かな幼年時代を描いている。しかしこれは自らのものというわけではなく、今や誰も取り上げていない書物から引いてきているのであるが、ベンヤミンは自らの子ども時代に同化している事は間違いないのである。

問題はベンヤミンがとりあげている近代の技術について扱いである。真鍮工場とかボルジヒというところの機械工場。あるいは賃貸集合住宅。この目を見張る工業化の巨大化を描いているが、そこで働く労働者の現実を余り描いていない。この点について訳者の野村修はベンヤミンが聞き手の子どもを労働者階級として捉えていかかった。むしろ中産階級の子どもであり、その事による欠点ではないかとしている。しかし、ベンヤミンは忘れ去られた庶民を描いたリトグラフの画家を紹介していて、かれが描いた労働者の姿を伝えていることも忘れられない。

ベンヤミンはこのシリーズの本旨をこう述べている「子どもの頃学んだ教科書では、たいていのページが大きな活字の部分と小さな活字の部分とに分かれていた。前者は王侯や戦争、講和や協定などのきじゅつであり、かならず記憶するべきものだったが、つまらなかった。後者、小さな活字の部分のほうがいわゆる文化史であって、風俗・習慣・芸術・科学などの記述だった。こちらは読みすごすだけでいいと言われた」と。しかし、その読みすごすだけでいいと言われた物こそをベンヤミンは子どもたちに伝えたかったのである。鋭い洞察で近代を見据えたベンヤミンが子どもたちに歴史の根底にある魔術や今や消えかかっていた庶民の豊かな文化を述べたことは、ベンヤミンが意図した(多分自分の姿をちょっと隠して見たかったのだろう)「パンのため」の作品であることを超えて、彼の悲劇をも一瞬忘れさせてくれる声が木霊のように聞こえて来る。

魔女:加藤恵子