情熱の本箱
下り坂の人生も、そう捨てたものではないぜ:情熱の本箱(46)

下り坂

 

下り坂の人生も、そう捨てたものではないぜ


情熱的読書人間・榎戸 誠

嵐山光三郎の書く物が好きだ。嵐山の腹の据わった生き方が好きなのである。『「下り坂」繁盛記』(嵐山光三郎著、ちくま文庫)も、期待を裏切らないエッセイ集だ。

「僭越ながら白状しますと、私は下り龍である。下り龍とは、天から地へ下ろうとする龍であって、上り龍ではない。絶頂期はとうの昔にすぎた。やりたいと思ったことはやりつくした。だからいつ死んでもいい、というわけではなく、ほうっておいても死ぬときは死ぬのである。下り龍というのは厄介な化物で、と自分でいうのもおこがましいが、下りながら好きほうだいに暴れるのである。金はない。少しはあるけど、あんまりない。体力も落ちて、そこらじゅうにガタがきている。中古品を通りこして骨董品である。それも値のつく古道具ではなく二束三文のガラクタである。ろくなもんではない。けれど生きている。平気で生きている。下り坂を降りることはなんと気持ちのいいことなのか、と思いつつ生きている。『下らない』というのは、つまらない、とるに足らないという意味である。ということは『下る』ことじたいに価値がある。生きていく喜びや楽しみは下り坂にあるのだ」。この書き出しに本書の精神が凝縮している。著者より少し年下の私には、この気持ちがよく理解できる。

「(中国の詩人・陶淵明は)それからは田舎へひっこんで、酒を飲んで暮らした。隠遁生活本家の人で、西行や芭蕉も、陶淵明に学んだ。(『帰去来の辞』の)『帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れんとす』の一句が有名だ。『さあ帰ろう、世間との交わりをたって』という心境は、会社勤めの戦士たちが共通に抱く感慨である。会社という組織のなかで、人間関係にいらだちながら働くことに疲れ、余生は田園で暮らしたいと願う。これぞ下り坂志向である」。そのとおりだ。

「だれもが自分が死につつあるということを自覚しているわけではない。死は意識の彼方に蜃気楼のようにぼんやりとあるもので、生きているときは、死なんて忘れている。大切なことは死に至る過程で、これが下り坂を生きる極意といっていいだろう」。

「人は、年をとると『まだまだこれからだ』とか『第二の人生』とか『若い者には負けない』という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく、下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ」。これと同じことを若い連中から言われたらカチンとくるだろうが、同世代の嵐山から諭されると妙に納得してしまう自分がいる。

その他のエッセイでも、著者はいいことを言っている。「(幸田)露伴は、ちょっとしたところで、娘(の文)に『勝負の勘どころ』を教えていた。きびしくしつけて、急所で忍術を使う。父と娘の格闘は、娘が一定の齢をとってから気がつくのである」。

「67歳の同窓会は、成功した者の話も楽しいが、財産を食いつぶした道楽者の懺悔譚が色っぽい」。

「どうして、こんなに離婚が多いんだろうか。知人の半分以上が離婚経験者で、離婚していない夫婦のほうが珍しい。優秀な企業戦士に限って妻とうまくいっていない」。

「男と女が、短い一生のあいだに幸福でいられる時間は限られている。どれほど仲のよい夫婦でも、賞味期限があり、期限切れを我慢しているうちに家庭内離婚となる」。

「北海道大雪山系の一角に人知れず一つの湖があってそこに幻の魚が棲んでいるという。背ビレ、腹ビレ、尾ビレを持ち、銀色の筋が走り、そこに赤い斑点が散っている。・・・幻の魚を追って、地図上の空白地帯であるトイマルクシベツ支川をさかのぼったのは、ドイツ文学者の池内紀氏である。はたして幻の魚がなんであったのかは、池内紀著『ひとつとなりの山』を読めば、わかる」。こう書かれて、この本を読まないで済ませられる者がいるだろうか。

「風化する時間の実物を体感するのは、西行、芭蕉よりつづく日本人の伝統である。盛り場には興味がない。すたれゆくすたれ場にこの世の風雅がある」。この感覚、分かるなあ。

読み終えて、下り坂も捨てたものではないなあ、という気持ちが一段と強まった。