魔女の本領
やくざ映画に私は何を見ていたのか…

映画の奈落

 

『映画の奈落 北陸代理戦争事件』


70年代映画、それを創る側間も観る側もすさまじく際どかった。

『映画の奈落 北陸代理戦争事件』伊藤彰彦著 を読む。

69年東大安田講堂が落ちたあと、私は職場の組合運動に多くの時間を割くようになっていた。その70年代、週3回の徹夜団交などを繰り返していながら、なぜか年間300本の映画を観ていた。邦画の封切り作品はすべて見ていた。東映に限らず、日活ロマンポルノも。さらには名画座をくまなく観ていたし、めちゃくちゃ馬鹿げたアメリカのハードコアのポルノ映画さえ見ていたのである。その当時、最も入れ込んでいたのは東映実録やくざ映画深作欣二の『仁義なき戦い』だった。

この本はその『仁義なき戦い』の最後を飾るはずであった映画が巻き起こし、巻き込まれた事件を当時の関係者への取材と脚本分析で描きだしたドキュメントである。『仁義なき戦いは』時代は終戦後に設定され、広島、呉が場所として設定されていて、山口組を確実に連想させるが、一応はフィクションの形をとっている。そのシリーズの最終作品に計画された北陸やくざの映画は当時の現実に生きていたばりばりのやくざ川内弘を主人公にしたものであった。しかしシリーズの脚本を手掛けた笠原和夫が降りてしまい、高田宏治に変更されたところから、この映画の内容も色合いもかなり変わり、多くの問題を抱えた映画として製作され、その上興行は失敗し、実録やくざ映画の終わりを告げたのであったが、映画としての出来は素晴らしく、今でも遜色なくみられるようだ(ただし、マスターフィルムは残っておらず、シナリオさえ公的には見つからなかったのを古本屋にあったシナリオを見つけ出したという)。問題のすさまじさは、すなわちフィクションであるはずの映画の内容に怒った川内弘が対立するやくざに映画とおなじ喫茶店で射殺されるという事件が起こってしまった。川内組は三国競艇から上がるおおきな収益をバックに勢力を拡張し、1977年当時、全国14件に支部を置き、400名の組員を擁する日本有数のやくざ組織で、組長の川内弘は「北陸の帝王」と呼ばれていた。しかし、やくざ社会の頂点には遠く、川内組は山口組内でもっとも大きな勢力を誇る菅谷組(菅谷政雄組長)の下部団体に過ぎなかった。その川内が北陸へ侵攻してきた親に当たる山口組系菅谷組に立ち向かい菅谷を倒そうとしたことを描いた映画が引き金になり菅谷の放った襲撃犯に射殺されたのである。この事件は三国事件といわれて社会的に大きな事件となったのだそうだが、やくざ社会においては、親が子を殺害するという点(普通はこの程度では「破門」となるらしい)と、川内が山口組トップとの盃を受けることを進めていたことから菅谷は山口組の掟を破ったということで、山口組から「破門」され、川内組から命を狙われることになるのであるが、この点は映画とは関係ない。

この本の書こうとしていたことは、三国事件の顛末ではなく、高田宏治というシナリオライターの生き方である。彼は笠原和夫の陰にかくれて、それまで東映のプログラムピクチャーの脚本を書き続けて来ていた。しかし、笠原の男性視点の重厚な映画とはスタイルがかなり異なり、細部にこだわった脚本で、さらに注目すべきは女性への目配りが緻密であった。このことは、今考えると、私にも納得する点でもある。笠原和夫の『仁義なき戦い』での女性はまず自分の意思を表明したり、それを行動に移したりする女性像は絶無であった。これにたいして高田が『北陸代理戦争』で描いたやくざの女たちは自己の意思を表明している。筆者の取材により現実とはいくぶん異なっているようだが、むしろそれによって高田の意図が強調されたということでもある。川内の若い時の出入りに絡んで瀕死の川内を助けた女性は川内が生きている事が分かり、さらに襲撃されることを察知して、相手のやくざの妻になることで川内を救う。しかし実はこれは川内が別の女性(映画では妹と言う設定)に心を移したことに対しての、諦念でもあり復讐でもあるのだ。この二人の女性が川内をめぐって激しく自己を主張するというのはいままでのやくざ映画の女性像とは明らかに異なる。この映画ではなかったが、後の『極道の妻(おんな)たち』のどれかだと思うが、復讐を果たす事をためらう自分の夫のやくざをなじり、自ら相手に殴り込みをかける妻のシーンを見た時、私は時代が変わったと本当に感じて茫然としたのを思い出す。

この女性の描きだしとともに高田が激しく闘士を燃やしたのが笠原和夫を越えるということであった。高田は笠原のすべての脚本を読み漁り、冷徹なストーリーと酷薄な人間描写がどこから来るのかかんがえたが、それが戦前戦中の苛酷な体験から来ている事は笠原は高田には語らなかったという。著者とのインタビューで高田は笠原の『仁義なき戦い』への幾つかの違和感を語ったという。

「『仁義なき戦い』の第一作は衝撃も大きかったが、正直、いろいろなところで引っかかった。広能(菅原文太)が主人公だが、ただの狂言回しであるところがつまらなかったと思うた。山守親分(金子信雄)などの脇連(わきづれ)(脇役)は人間臭く生き生きとして見えた」。たしかに私も金子のいやらしい演技の方が憶えているくらいだ。そして、ラストの有名な台詞。自分の子分の坂井(松方弘樹)が「子どものため」のおもちゃを買いに行ったところを山守の差し金で殺され、それに怒った広能が葬儀に乗り込み祭壇に銃を打ち込み、親分に銃を向けて「弾(たま)はまだ残っとりますがの」と言いながら、撃たない幕切れについて、高田は「主役としては格好が悪い」。本当の笠原さんの技の見せどころが描けてないと批判したという。全体的に映画としては笠原のシナリオは複雑なスクランブルドラマとして構成されたのに対して、高田はシンプルな3幕物のような劇的構成シナリオとなった。そして前出の女性の登場が高田のシナリオの特質であり、この映画『北陸代理戦争』後の高田の転進となった。

『新仁義なき戦い』シリーズは、その番外編『北陸代理戦争』において、女たちが男の風下に立たず五分でわたり合う、正しく「男と女の仁義なき戦い」になるにいたった。

川内をめぐるきぬと信子は、80年代に入って高田が『鬼龍院花子の生涯』(82年)、『陽き楼』(83年)、『極道の妻たち』シリーズ(86年〜)の「ふたりの女たち」のプロトタイプ(原型)である。「男とともに滅んでゆく女」と「男を乗りこえ逞しく生き延びる女」はこれ以降、80年代「東映やくざ女性映画」の中で高田によってさまざまに変奏されてゆく。

『北陸代理戦争』はいままで、「実録路線のスワンソング(白鳥の歌)「深作欣二最後のやくざ映画」「プログラムピクチャー最後の輝き」などと、ともすれば「最後の映画」、(何かを終わらせた)フィルム」としてかたられがちであったが、ここから80年代「東映やくざ女性映画路線」がスタートした「始まりの映画」でもあるのだ。1976年から69年にかけて、従来のやくざ映画ファンの男性客層が潮を引くようにいなくなった。それにはいくつかの原因が考えられる。

まず、東映やくざ映画を支え続けて来た大都市圏のブルーカラー人口が70年代後半から激減していったこと。観るのに体力が要り、カタルシスがなく、どんどん描写が殺伐としてくる実録やくざ路線に東映の固定客がしだいについてゆけなくなったこと。さらに、80年代にかけて社会がみるみる保守化してゆく中、アウトローに肩入れする映画を、団塊の世代以降の学生層が観なくなったこと。また、いままでのやくざ映画を観続けてきた団塊の世代が20代半ばに差しかかり、しだいに映画館から遠のいたことも「やくざ映画ファンがいなくなった」のが一因だろう。高田は『北陸代理戦争』で描いた女性を足がかりに80年代に入って『鬼龍院花子の生涯』(82年)、『陽き楼』(83年)、『極道の妻たち』シリーズ(86年〜)を書き、『北陸代理戦争』に描いた二人の女をプロトタイプ(原型)とした、作品を書いた。ここから80年代「東映やくざ女性映画路線」がスタートした。

1986年から始まる『極道の妻たち』は、バブル経済の隆盛とともに東映映画最後の路線(シリーズ)になる。「『極妻』はバブルの時代に浮かび上がった蜃気楼やった」と高田は思い返す。

金に踊らされ根性をなくてゆく男たちを女たちが断罪する『極道の妻たち』は、『お葬式』から『あげまん』までの伊丹十三作品と並び、日本のバブル経済期と不可分な「時代の映画」である。女は男を見限り、男に代わって極道社会の矢面に立つとともに、バブル経済の恩恵で肥え太ったやくざ社会を享受し、着飾り、肩で風切る。そこに女性客が飛びつき、映画はヒットし、「極妻」は映画を越えた流行語となった。

メインプロットは実在の抗争やモデルにかかわらない、『北陸代理戦争』など実録やくざ映画とは正反対の、作りもののロマネスク、女優達が紅白妍を争う「現代版女歌舞伎」である。

この本で強調されるのは高田と言う脚本家の底しれない魔的な心性である。

高田が、『仁義なき戦い』から『北陸代理戦争』にいたる作品で、ひとつの時代を作った笠原和夫の『仁義なき戦い』に挑み、それを乗り越えようともがく中で、進行中の抗争と川内弘をモデルに選んだことが、菅谷×川内×坪川の抗争に火に油を注いだ。

「創作意欲をかきたてるネタを掴むと、貪欲に食いつくし、前後分別を忘れる・・・それが活動屋本能や。奈落を招いたのは活動屋の業や。

もちろん、川内さんの今ある立場や状況について甘く見ていた部分はあった・・・けれど、あぶないと思っていても、映画はつくられたと思うね。生きている人、生きている事件をネタにするのはこわい。しかし、奈落に堕ちる覚悟でつくらなければ、観客はついて来えへん、見物がのぞきたがるような奈落に突き進み、それをすくいとって見せなければ映画は当たらへん、奈落の淵に足をかけた映画だけが現実社会の常識や道義を吹き飛ばすんや。岡田さんもいうてたように、時代の流れを作る、力のある映画は、そのタイトロープを渡らないと生まれない・・・」と。

高田の言葉には、「奈落もふくめ映画の性根は脚本家が作る」という矜持が宿る。
笠原和夫という先輩脚本家に挑むため、時代をつくった『仁義なき戦い』を乗り越えるため、暗部もふくめ川内弘というモデルのすべてを描き切るため、高田宏治は「奈落に堕ちる覚悟で」脚本を書いた。しかし、それは「見物がのぞきたがるような奈落」にならず、興行的に惨敗し、「奈落の淵に足をかけた」やくざの足下の薄氷を割った・・・

すでに映画の存在が高田の意図したものとしてはほとんど異なるエンターテインメント性が前面に打ち出され、毒の或る作品が成立しなくなった現在、70年代異常に盛り上がったやくざ映画に私は何を見ていたのか、いまでは自信を持ってこれだと言えるものが見出せない。多くの役者が亡くなってしまった。特に個性的な脇役が皆亡くなってしまった。それがさびしい。

魔女:加藤恵子