この本はユーモア小説ではない。れっきとした歴史小説なのである。その上登場人物はかの有名なヴォルテールとフリードリヒ2世(いわずとしてたフリードリヒ大王)なのである。しかし、この二人の間のエピソードが淡々と併記されているだけなのである。しかしめちゃくちゃおかしいのである。勿論偉大な人物が完全無欠な人間であるはずはないが、歴史に残された業績の裏側というか、こちら側の方が登場人物の真実のような気がしてくる。
その前に、この本の著者についてであるが、1935年ザクセン州のフォートラントで生まれた。戦後は東ドイツになった場所である。その東ドイツのベルリン大学とライプツィヒ大学でドイツ文学と言語学を学び、博士号を取得している。1959年から76年まで、東ベルリンの科学アカデミーで研究員を務め、音声学に関する学術的な著書も出していた。しかし1976年、作家でシンガーソングライターのヴォルフ・ビアマンと言う人物が東ドイツの市民権を剥奪されると言う事件に、シェートリヒは他の文化人と共に政府に抗議する声明に署名した。このことで職を失い、秘密警察の監視下に置かれた。そのため食べるためにフリーの翻訳家となっていた。その後、ギュンター・グラスの援助で西ドイツで作家デビューを果たし、西ドイツでは高い評価を受けたものの、その事で東ドイツではますます弾圧が強まり西ドイツに脱出したのだそうだ。戦争と東西冷戦に翻弄されながら信念をもって立ち向かった知識人なのだ。訳者の紹介によると、1995年にカナダのバンクーバーで開かれた、国際ゲルマニスト会議にシェートリヒがシンポジウムのパネリストとして招かれていた。その時のテーマが「言語と権力」だったそうで、その席にパネリストとして招かれていたモニカ・マロンを猛然と批判した。それは彼女が東ドイツ時代に秘密警察に協力していたという過去が明るみに出た時期だったそうである。その激しさで東ドイツ出身の作家を震撼させたという。彼は穏やかに忘れることなどできないまさに「権力」との問題に鈍感な文学者を許さなかったといことだ。しかし、それを目撃した訳者は衝撃的ではあったが、そのシンポジウムが彼の発言で寒々とした雰囲気に包まれたと書いていて、ううんー難しい問題ではある。
この本の主人公2人は啓蒙専制君主といわれるプロイセン国王フリードリヒ2世とフランス百科全書派の大立者啓蒙思想家のヴォルテールなのであるが、彼ら二人の間に交流があったことは知らなかった。しかし、この事はよく知られている事実で、私が知らなかっただけなのだが、その親密な関係は『ヴォルテール書簡集』によると両者の書簡は250通近くに上った。きっかけはフリードリヒの方がヴォルテールに手紙を出して彼を誉めちぎったことから始まるのである。フリードリッヒにとってヴォルテールはアイドルだったようで、彼の城にはヴォルテールの肖像画が飾られていた。フリードリッヒは当時24歳で、既に結婚していたが、どうも女嫌いだったらしく、妃との仲はよくなく、反対に周囲は男ばかりに囲まれていて、その上フランスびいきでドイツ語は子供並みで反対にフランス語は非常に堪能であった。方やヴォルテールは手紙をもらった当時41歳で、すでにフランスでは有名人ではあったが、なんだかやけにバタバタした人だったようだ。決闘事件を起こしたり、女性関係は派手で、独身ではあったがシャトレ侯爵夫人エミリー・ド・シャトレとほぼ夫婦に近い関係を続けている。わき道にそれるが、このエミリーが実に面白い女性である。亭主の侯爵が教養のない狩猟にしか興味のない男であったことで、さっさと見切りをつけて自分からヴォルテールの愛人となった。その才能は優れていて、文学・哲学・数学・物理学を学び、ラテン語や英語を解した。また、ライプニッツやニュートンの著作を読んだ。ヴォルテールとエミリーは1738年『ニュートン哲学入門』を出版している。さらに1740年、エミリーは『物理学概説』を出版した。彼女はエネルギーと質量と速度の関係について論じた。彼女の定理は、ある物体が持つエネルギーが、その質量と速度の二乗に比例するというものである。これは一世紀半後の1905年に、アインシュタインが物体の持つエネルギーは質量×光の速度の二乗、という法則を打ち立てるが、その先駆者だったわけである。さらに1745年、ニュートンの『プリンキピア』を翻訳した。凄い才能。イマヌエル・カントは次のように書いているのだそうだ。「理性と学問を優先させた彼女は、あらゆる女性よりも、そして男性の大部分よりも、すばらしい成果を手に入れている」。
この才女を愛人としてヴォルテールはフランス宮廷に出入りしていたのであるが、そこへフリードリッヒの恋文のような書簡が相次いで送られてきて、彼をベルリンに招聘するように働きかけがくる。はっきり言えば両者のばかしあいのようにフリードリッヒは有名人好き、ヴォルテールは名誉欲で結構うまく行ったのだ。ヴォルテールはプロイセン宮廷に滞在した時のことを回想録に次のように書いている。「世界のどんな場所でも、かつて人類の諸迷信からこれほど解放されて自由に論ずることはできなかった」。少なくとも初めのころは居心地が良かったのであろう。結果的には約3年近く滞在することになるのであるが、ごたごたした軋轢の挙句、両者は決別するところで本書は終わっている。
その間に現れて来るヴォルテールの真実の姿が、めちゃくちゃに面白い。ともかく金に執着している。インサイダー取引のようないかさまをしかける。製紙工場に出資し利益を得、購買者を限定する宝くじが発売されれば販売総額を計算し、賞金総額の方が多いことを割り出して、くじを買い占めと大儲けする。フリードリッヒにこまごまとした旅費や手間賃を請求する。宝石の詐欺。最終的にはライプニッツの手紙をめぐっての偽物騒ぎで、フリードリヒのベルリンアカデミー擁護と、ヴォルテールのそれへの諷刺文との泥仕合でヴォルテールが書いた反論がフリードリヒの命令で焚書にされてしまい、ヴォルテールはベルリンを去ることになる。この逃避のどたばたもかなり面白い。
この間にかの才女エミリーはフリードリヒを快く思っておらず、ヴォルテールがプロイセンに行くことに反対している。その一方ヴォルテールはなんと姪を愛人としている。これに怒ったエミリーはこちらも別の愛人、ジャン・フランソワ・ド・ランベール侯爵との間にできた子供を出産し、死亡してしまう。残念。
ヴォルテールはプロイセンを去って以来、フリードリヒとヴォルテールは二度と相まみえることはなかったが、実はその後も文通を続けていて、生涯ある種の友情関係が保たれたようだ。
フリードリヒ大王は現在ドイツでも人気の歴史的人物なのだそうだ。彼の墓はポツダムにあり彼が暮らしたサンスーシ宮殿は世界遺産になっているんだとか。そしてその墓には常に薔薇の花とジャガイモが供えられている。なぜか。フリードリヒはジャガイモ(アンデス原産)を南米から導入し、飢饉に備える食料にしたことで功績があるんだそうだ。ドイツは東西ドイツが統一されEUの中でも経済的にも再び大国にのし上がりつつあるとき、作者シェートリヒは『反マキャヴェリ論』書き、ヴォルテールに学んだ啓蒙主義を唱えながら、戦争による領土拡大に邁進したフリードリヒの政治家としての残酷さや冷酷さをそれとなく書いている。
笑えると言う事は、実はすごく残酷な事実の裏返しでもあることを忘れるなというのが作者の創作意図だったのかもしれない。
魔女:加藤恵子