情熱の本箱
清少納言は、若い女性向けエンタテインメントのベストセラー作家だった:情熱の本箱(92)

枕草子

清少納言は、若い女性向けエンタテインメントのベストセラー作家だった


情熱的読書人間・榎戸 誠

枕草子についてはそれなりに知っているつもりだったが、『枕草子を読み直す』(野呂俊秀著、幻冬舎ルネッサンス新書)には多くのことで驚かされた。

驚きの第1は、枕草子は随筆ではないという著者の主張である。その上、これまでの随筆だとする通念が誤読を生じさせてきたというのである。「どうしても触れておかなければならない事柄がある。それは、枕草子という作品は性質の異なる文を集めて成り立っているということである。・・・枕草子は、(1)類想段(=類聚的章段)、(2)随想段(=随筆的章段)、(3)回想段(=日記的章段)という3種類の文からできている」。そして、「枕草子を代表するのは今までずっとそう思われてきたような随想段ではなくて、実は類想段だということ」が説明されていくのであるが、この説は実証的で説得力がある。

随想段の一例として、共寝する男と女を題材にした第69段「忍びたるところにありては」が取り上げられている。現代語訳は、「人目を忍ぶ逢い引きの時節では、夏がいちばんぴったりという感じでいい。ひどく短い夏の夜がすでに明けてしまい、とうとう寝ないままに夜が終わってしまった。戸締まりもせず、家中どこも開けっ放しのまま夜を過ごしたので、庭のあたりが涼しく見わたされる。一晩中ともに過ごしてもなお、話し合いたいことがあり、お互いに受け答えをしながらずっとそのままでいる二人のすぐ頭の上を烏が高く鳴いて飛んでいくのには、のぞき見でもされたような気がして、何だかくすぐったいような心地になる」となっている。このように、恋する男女が二人きりで夜を過ごしている様子が臨場感豊かに描かれている段を紹介されると、清少納言が身近に感じられるなあ。「枕草子は随筆集だとされ、また、随筆が枕草子を代表するとされる。それだけに、さすがにその随筆、随想段は充実しており、テーマ多様にして内容豊富だ」と、著者もレヴェルの高さを率直に認めている。

回想段の例としては、有名な第280段「雪の、いと高う降りたるを」が挙げられている。「雪がひどくたくさん降ったある日、いつもと違って御格子を下ろしたまま、火鉢に火をおこして、おしゃべりしながら私たち女房が集まって控えていると、中宮(定子)が『ねえ少納言、香炉峯の雪はどんなかしらね』と私に問いかけられた。私はすぐに女中に手伝わせて御格子を上げさせ、御簾を高く巻き上げると、中宮は満足されてにっこりお笑いになった。同僚の女房たちも、『そんな詩の文句は誰でも知っているし節をつけて歌ったりするほどだけれど、これは思いもしなかったよねえ。やっぱりここでお仕えするほどの者なら、そんなふうでなくっちゃねえ』と言い合った」。著者は、「定子中宮は謎を与え、その謎を清少納言は見事に解いた。ひねった謎に正答するのは易しいことではない。しかし、すぐには答が分からない不思議な問題を考え出すのも、あるいは答える以上に難しいことなのではなかろうか。瞬時に謎を解いた清少納言の頭の回転の速さは大したものだが、ここでは有名な漢詩を踏まえた巧妙な謎を思いつき、また清少納言ならこの謎にきっと正解してくれるととっさに判断した定子中宮に注目すべきだろう。ここで回想されている定子中宮の見せた一瞬のひらめきと判断、たしかにこれは、自分の頭の回転の速さに自信を持つ清少納言さえ敬服するだけのことはある」と、定子を絶讃している。

一条天皇に深く愛されながら、時の最高権力者であり定子の叔父でもある藤原道長によって過酷な運命を強いられた悲劇の中宮・定子の人柄のよさは認識していたが、これほど才能豊かな女性であったとは。清少納言が定子に仕えた時、定子は「18歳の女盛り、匂い立つ美貌の持ち主だった」というのだから、まさに才色兼備である。さらに、枕草子の「真価を見抜き、その書き手をわざわざ引き抜いて身近に置くことで格段にその見聞を広めさせ、かつ、その創作を強く激励し、力づけたのが定子中宮だった。優れた作家の後ろに非常に優れた編集者、プロデューサーが隠れていることはよくある。一流の古典としての『枕草子』は、プロデューサー定子中宮の強力な支援なくしてはあり得なかった」とまで言い切っている。これが驚きの第2である。

「ところで、ここでぜひ触れておかなければならないことがある。この段について、『清少納言はまた自慢話をしている』『清少納言は軽薄なイヤミな女だ』とする説が今もなお横行している点についてである。誤読だというのはこの説のことだ」と、著者が怒りをぶちまけている。

続いて、本丸ともいうべき類想段が登場する。第22段「すさまじきもの」は、「期待はずれでがっかりするもの。昼間に吠える犬。春の網代。三、四月の紅梅重ねの着物。牛の死んでしまった牛飼い。赤ん坊の死んでしまった産屋。火の熾(おこ)されていない火鉢・囲炉裏。続けて女の子ばっかり生んでいること。方違えで行ったのに御馳走しない家。・・・正月の人事異動で任官できなかった人の家。『今年は絶対大丈夫』と聞いて、以前の使用人で今は他家で仕えている者や田舎に引っこんでいる者がみんな集まってきて、出入りする客の牛車の轅で庭もぎっしりと詰まって、家人が任官を祈って神社へお参りするお供に『私も私も』とついていき、物は食べるわ酒は飲むわで大騒ぎ。なのに発表最後ぎりぎりの夜明けになっても門を叩く音もしない。・・・情報集めに前の夜から出かけて寒さに震えていた使用人がえらく気落ちした様子で戻ってきた折は、待っていた者は結果を聞く気にもなれない。・・・主人の任官を心から期待していた者は『何とも残念なこと』とがっくりしている。夜も明けて、ぎっしりと詰めかけていた者たちが一人、二人、そっと抜け出して帰っていく」と、現代にも通じる状況が活写されている。

「類想段とは、『あるテーマを決め、そのテーマに沿う類例をたくさん挙げてそのおもしろさを楽しめるように書かれた段』ということになる」。いよいよ、驚きの第3が幕を開ける。

「清少納言はどういう人に、誰にあてて類想段を書いたのか。清少納言の読者は『若い女たち』だった。少女といえるくらいの年代の若い女何人かが集まった場で、一人が読み上げる。それを聞いて、みんなで感想、意見、批評を遠慮なく好き勝手に述べ合うという、そういう形でそれは読まれた。そして、なるほどとうなずく解(謎解き。解釈)から、的外れのとんでもない解、思いがけない方向へ想像の向かう驚くべき解などさまざまな解釈が飛び交って、にぎやかにきゃあきゃあ騒ぎ、笑ったり、またある場合は粛然と感動に包まれたり、そういった『場』で、類想段は楽しまれた。単独で読まれることは絶対なかったかというとそうではない。一人で読まれることももちろんあっただろう。しかし『正式の読み方』は、大勢で集まって楽しむという読み方であった(当時は源氏物語のような物語でさえ、若い女たちが集まって読む方法で楽しまれた)。・・・類想段は本来、『場の文学』として楽しまれるものだったのだ」。

「清少納言はこのような(類想段のテーマ選びの)作業が好きで得意だったようだ。枕草子の数多い楽しい類想段を見ていると、嬉々として、次々と熱心に類想段を書いた様子がうかがえる。清少納言は、こういった仕事をおもしろがり、なおかつ楽々とやってのける能力に恵まれていたに違いない。思えば実に変わった能力だ。稀有の才能だといえると思う」。「文学作品の中でこういった試みをする人はまずいないだろう。こんな方法で読む者をうならせるのは、ただただ清少納言の言語感覚の鋭さのなせる業と見ていいのではないかと思う」。

著者は、当時は「枕草子」が多数存在しており、その中の勝ち抜きチャンピオンが「清少納言枕草子」だというのである。これが驚きの第4だ。「歌枕作りは、貴族なら誰でも、特に若い女なら一人の例外もなくいそしんだことだった。月を見て花を見て吹く風を感じて心の動くことがあった時、たちどころに和歌を作れるようでなければ、当時の女たちはラブレター一つ書くことができなかったのだから必死である。若い女たちは、まだ幼いうちから、全員自分の歌枕を作り、常時携帯して記憶に努めた。そして、それを親しい者同士で見せ合った。友人の歌枕のいいところはすぐ取り入れて書き足し、作り変えて、より有用な歌枕にすべく努力した。・・・歌枕はそうやってどんどん発展し、遂には、和歌学習という本来の目的から逸れて、それ自体を鑑賞するに足る興味深い内容を持つものが現れるまでになった。そういった格別に出来のいい歌枕は、その他の普通のメモ的歌枕と区別され、特に『枕草子』と呼ばれた。おもしろい歌枕、文学的な趣を備えるに至った歌枕たる『枕草子』は、若い女たちを惹きつけた。女たちはそういった『枕草子』を競って求め、転写が重ねられた。読んで楽しい独自の読み物、『枕草子』が、こうして何冊も出現した。・・・当時いくつも出現した枕草子の中で、一つだけ、群を抜いて優れた出来のものがあった。若い女たちは評判を聞くやいなや熱心に探し求め、転写した。それが『清少納言枕草子』で、今日なら、『枕草子』というジャンル、つまり、エンタメ・ラノベ的新興ジャンルにおける驚異の記録的ベストセラー、というところである。興味を惹かれるままに熱心に歌枕作りに励んでいた若き清少納言は、こうして、まだ幼いうちから若い女たちにその名を知られることになった。清少納言が作っていた『歌枕』――『枕草子』の、類想段的な小文が、その独特の魅力でもって、若い女たちに熱狂的に迎えられたのである」。そして、「清少納言枕草子」は若い女性だけでなく、その姉や母親といった年長の女性たちの間にも広がり、さらに年長の男性や父親たちにも読まれるようになったというのである。

清少納言は、辞書的な性格を持つ「歌枕」からスタートし、言葉遊び的な短文作者(=類想段)、独特のコラム作家(=随想段、回想段)へと成長していったというのが、著者の大胆かつ独創的な結論である。出発点、原点となった類想段が「場の文学」であったことを忘れては、枕草子の本当の面白さを味わえないというのである。