魔女の本領
テクノロジーを詩学に…

グルプ

『グルプ消息不明』エドアルド・メンドサ


何たること、書いた原稿が消えた。初めから書き直しだ。ともかく忙しい。それと言うのも、日本と言う国の民主主義を何としても維持するために街頭へ出ざるを得ないからであるが、おかげで読書ができない。しかし移動の電車の中での読書は何とか可能なので、読んでみる。

スペインの著名な作家だそうだが、日本ではほとんど知られていない。しかし、フランツ・カフカ賞受賞者だそうで、村上春樹の対抗馬になるかもしれないではないか。その上、作品の多くが推理小説のパロディーなのだという。いけるかもしれない。メンドサはラテンアメリカのブームの第一世代。所謂マルケスやバルガス・ジョサの波をもろに受けた次の世代の新しいブームの立役者たちの先頭を走る作家なのだそうだ。

この作品はスペインの有名な新聞「エル・パイス」に連載された新聞小説だ。しかし単行本化された時爆発的に売れたのだそうだ。読んでみて、わかる気がした。ちょっと類のないSFパロディー小説で、時間ごとに出来事が短い描写で区切られているのである。小説といえば、大体時間や空間が入れ子になり、飛んだり、戻ったりが当たり前で、それが小説のだいご味でもあるのだが、それを逆手に取った。時系列はまっすぐである。

しかし主人公は宇宙人だから、肉体がなく分子化されているから、人間として外界の出る時には誰かに乗り移らなければならないのだが、この借りる肉体がとんでもなく歴史的で、読む者にはまさかね、と思わせるんですが、笑いどころでもある。特殊な任務(何だかわからない)を帯びた二人組(宇宙人は何人というのかなー)の宇宙船がバルセロナに降り立ち、二人のうちの一人グルプは国民的ポップスターのマルタ・サンチェスの姿になったまま行方不明になる。

現存の有名歌手に姿を変えたという設定に驚くが、日本では多分できないだろうなー。そこで相棒の宇宙人は、グルプを探すためにゲーリー・クーパーやらローマ法王やら、ダランベールやら、イブ・モンタン、驚くことに山本五十六に姿を換えるのだが、どこから山本五十六が出てきたのか本当に知りたいとおもった。そして、オリンピック目前のバルセロナに出て行く。やがて老夫婦の経営するバル(スペインの居酒屋)に通うようになり、人間と言うものがどんな振る舞いをするかを見て真似るのであるが、その節度と言う物が理解できなくて、めちゃくちゃの飲食(なぜかチュロスを何十キロも食べる)とか限度が分からないので酒を飲みすぎるとか、果ては莫大なお金なんかを勝手につくり出してしまう。そのくせ懸賞に当たって大喜び。その景品がホンダのシビックです。そして酒を楽しみ、やがて恋をするのであるが、これが純情で笑えるのである。ストーカーみたいにつけ回したり、勝手に同じマンションに家を買って住んでしまい、毎回何かを借りに行き、最後は拒否されてしまうのだ。かわいそうな宇宙人。

訳者の後書きによると、この作品の書かれた1990年のバルセローナはオリンピックに向けれすさまじい速度で都市化が進行中で、そこで起きていた実際の悲喜劇が下敷きにあるという。語り手の宇宙人(グルプの相棒)が何度も電話局やらガス会社やらの開けられた穴に落ちるのはドジな宇宙人だからではなく実際工事工事で穴だらけだったことの比喩だし、美術館へ行っても博物館へ行っても閉館中だったのも、お色直しで大わらわだったことの皮肉である。

またこの小説中には移民労働者の問題も書かれている。中国からの移民チャンさんは中国料理屋を営んでいる。しかしかれはアメリカに移民するつもりで舟を間違えたという設定になっていて、バルセロナに金門橋を探すために必死になっている。これを中国人の差別と読んではならないだろう。チャンさんはアルファベットを習わないからどこを探しても金門橋は見つからないが、金を貯めて中国に返るのだという。しかしチャンさんは子供の3人目にはセルジと名づける。こうしてチャンさんはスペインになじんでゆくのだ。移民労働者の姿が優しく受け入れられている。

最後に、メンドサが来日した時のエピソードがなかなか興味深い。作者がこの本を書いた当時コンピュータが導入され、ワープロソフトを使うと同じ文章や語句が簡単に反復できる。その機能を駆使して遊んだのだそうだ。つまり主人公がなんで同じ過ちを繰り返すのか。これはユーモアを生み出す仕掛けではあったが、じつは作者がこのテクノロジーを詩学に意図的に使用した。サーファーの「文学とテクノロジー」じゃないか。

楽しいよ。是非お読みください。

魔女:加藤恵子