魔女の本領
服装は表象の側面からいってすごい重要なのに…

流行服

『流行服 洒落者たちの栄光と没落の700年』


ダサイ私が読む本としては異例かな?でも、深い学識に感服したのです。

長澤均著 『流行服 洒落者たちの栄光と没落の700年』を読む。実は友人です。そして学魔高山師ともつながる人物なのですが、私にそもそもファッションの才能がないので、自分で購入したのではなくて、著者が贈って下さったので、読んだんですが、視点も象徴としてのビジュアルも歴史的見解も含めてさすがの組み合わせなので驚いたのです。

馬鹿にしているわけではなくて、ファッションの本というと、上層階級の美的なアイコンとしての服を列記したものが多いと思うのだ。だからといって、興味がなかったわけではない。私、これでもファッション好きなのです。パリコレとかミラノコレクションとか、東京コレクションとかの記事はけっこう読んでいるのですが、自分との距離感が大きすぎて、きれいだな―位の印象しか持てないでいた。

しかしですね、カミングアウトしてもしょうがないけど、若かりし頃は、給料が2万円だったのに、なんとイッセイミヤケのパンツを買って、職場にはいて行ったら、上司に「そのタケノコ族みたいなズボンを着替えてこい」と言われて、それでも断固抵抗したのです。まーそんなこともあったのですが、本書の副題に、洒落者と言う語が付されているが、著者も書いているが、特に近代ではファッションには社会規範への抵抗が込められることもあるが、日本語に置き換えて見ると、何も近代に限らない。室町時代から絵巻物に書かれてもいるように、えらく奇抜な服装をしている人物(かぶきもの)がいたりする。

しかしこれはあるいは差別の裏返しと見れないこともないから単純には論じられないが、織田信長の服装の奇抜さや伊達正宗の実用とも思えない兜みたいに、洒落者を見つけることが出来るわけだが、ここで学魔が良く言われるように、伊達というのは、伊達正宗から来ているわけで、江戸時代、戦国の気風が薄れた時に、江戸の町を席巻したファッションは伊達者と言われている。洒落者は伊達者だったわけである。

本書の特色は実は集めに集めた絵画、版画、雑誌の挿絵、写真が的確に提示されていることであることと、必要、不可欠の歴史書が読みこまれて、きちっとした、歴史的事実関係に則った、表象としてのファッションが記述されていると言う点である。そして、さらには、その服飾に関わった労働者の存在に目配りしたことは、秀逸と言えるだろう。

近代以前の服装、特に上流階級の服飾には、確かに多様性と言うよりは、ある社会的な規範から来る流行があるようだ。例えば、宗教改革によるプロテスタントやピューリタンの服装がやたらに黒いのはなぜか?金襴であったカソリック下のもとでの服飾に対しての宗教的な制約なのか、あるいはモードなのか?しかし、筆者は黒の流行がじつは更に古く16世紀からあり、そしてまた19世紀にもある点を指摘している。このような見解は純粋歴史学者からは批判されるのであるが、ホッケのマニエリスムの著書にも有名な、ある状況が類似している社会に繰り返し現れる現象として、循環史観といわれるものの視点である。ファッションも単に繰り返すのではなくて、そこに社会的な根底の同一性を見ると言う事が重要なのである。

また、こんな指摘もとても素晴らしい。イギリスでは18世紀、多くの貴族の子弟がイタリアに旅行した。これを「グランド・ツアー」というのだが、著者はイタリアで古典古代からルネサンスの美術・文化を学んで戻って、イタリアン・モード持ち帰って、マカロニ族なる派手な若者集団が生まれたと記しているが、彼らが持ち帰ったのは服飾の奇抜さだけではなかったのだ。彼らは実はほぼすべてが絵師を連れて行っており、イタリアの風景を描かせたばかりでなく、イタリアの美術品を買いあさってイギリスに帰国したのである。それがイギリスの庭にへんてこなギリシア・ローマ風の建物を据えた奇天烈な庭を生んだことにもなったらしい。この庭の見解は私と著者の見解が異なる。イギリスはフランスの絶対王政が大嫌いで、フランスのものにはすべて反対するというへそ曲がりで、庭もその典型で、フランスのベルサイユ宮殿の幾何学的左右対称の庭をへどが出るほど嫌っていたイギリス人たちは、著者が書くような自然の風景を模した庭とは違い、曲線(セルペンテール。蛇状曲線)の道、見通しがきかない庭を作った。この庭は、見る視点によって異なる風景が見えると言うことで、そのポイントから見える風景を絵葉書にしたものさえ出ていると言うことだ。これを英国式庭園というのだが、鬼才ピーター・グリナウェーの『英国式庭園殺人事件』という映画がこの庭をうまく描いた映画があり、学魔高山師の推薦映画になっています。まーこれは庭の問題で、ファッションとは関係ありませんので、マメ情報です。

また、子供服の問題についても、的確な記述がある。フィリップ・アリエスの『子供の誕生』を引いて、1780年ごろまでは、子供のスタイルは大人のミニアチュアであった。大人をモデルにしない子供服は19世紀後半からと言う指摘に納得する。そこに児童文学や絵本に描かれた「かわいらしい子供服」が作られるという記述があるが、一つそれを私の方から証明して見ます。私が翻訳したホセ・マルティの『黄金時代』というキューバの児童雑誌の中に、「ペペとポンポーソ氏」というタイトルの作品がある。主人公の男の子はフォントルロイのような姿をしていると書かれている。明らかにバーネットの『小公子』の影響が出ています。

この文章を書いている時、パリでイスラム過激派のテロがあった。フランス国旗の三色旗があちこちに掲げられたり、ライトアップされたりしたが、あの3色って何なのだと思われる人はいないのだろうか?当然フランス革命と関係するとは思った。そして青と言うのが労働者の上着の色であったことが分かるし、赤と白は実は革命派の戯画には赤白縦縞のサンキュロット(労働者のズボンであることは有名)が描かれていた所から来ているのだそうで、その後もブルーカラーという名前も出て来る。さらには労働服としてのブルージーンズに至る過程も納得できました。

女性にとっての男装も面白い問題だ。私も、男物を着ることが多いのは、男装ではなくて、単に女ものはきゃしゃすぎて、きついからだけだが、時々お金があったら、かっちりした男仕立ての上着とパンツが欲しいと思う。でも、デートリッヒやグレタ・ガルボのようには逆立ちしてもならないから残念だが無理。

それにしても、18世紀には男性もコルセットをしていたとは驚いたし、シュポーツウエアーから流行が生まれたりするのは意外であった。また、モデルが誕生する以前には人形がモードの伝達に役割を果たしたと言うのも初めて知った。マネキン人形があるわけだから当然と言えば当然の発想だ。またカウボーイの帽子をテンガロンハットという、その語源について、10ガロンではなくてスペイン語のひも、あるいは編むと言う語としているのだが、スペイン語でひもはcordon(oにアクセント)でこれがガロンになるかな―とおもった。編むはtejerでさらに遠いようだ。

ファッションと言うとどうしてもデザイナーとやたらに背の高いモデルのキャット・ウオークとランウェーと、とても庶民が切れない服が浮かんでしまう現代だが、歴史的に社会で戦う男にとっての服装は表象の側面からいってすごい重要なのに、あまり系統だって記述されてこなかった。目に入るのは絵画だけだし、歴史的には上流の男ばかりで、そこに本書のように、それも含めて、裾野の広い服飾の展開を提示してみせてくれた本書は、優れた歴史書になっていると思う。それに、見ていて楽しいですよ。著者本人は売れなかったと言われているけれど、アマゾンで買えるので、是非どうぞ。

魔女:加藤恵子