情熱の本箱
フランスにイスラーム政権が誕生したら:情熱の本箱(135)

服従

フランスにイスラーム政権が誕生したら


情熱的読書人間・榎戸 誠

2022年、フランスにイスラーム政権誕生という近未来小説『服従』(ミシェル・ウエルベック著、大塚桃訳、河出書房新社)には、信じられない事態が描かれている。

主人公の「ぼく」は、こう述懐している。「ソルボンヌ=パリ第三大学の准教授に就任して最初の何年間かのぼくの性生活には、特記すべき展開はなかった。ぼくは、毎年のように、女子学生たちと寝た。彼女たちに対して教師という立場であることは、何かを変えるものではなかった。ぼくと彼女たち学生の年齢の違いは始めの頃は大きくはなかったし、それがタブーの様相を呈してきたのはどちらかと言えば大学での昇進のせいであって、自分が年を取ったからでも、老いが外見に現れたからでもなかった。女性の性的魅力の崩壊は驚くべき荒々しさで、ほんの何年か、時には何か月かの間に起こるが、男性の加齢はその性的な能力をとてもゆっくりしか変えないという基本的な不公平をぼくは十全に利用した。・・・9月末にミリアムと別れてから、もう今では学期も終わり近くの4月半ばになっていたが、ぼくはまだ新しい彼女を探してはいなかった。ぼくは教授職に就き、大学での昇進はここである意味での頂点にたどり着いたと思えたが、それが本当にこの状況の変化と因果関係があったとは思わない」。

2022年5月15日、日曜日。大統領選第1回投票で、大きな地殻変動が起こった。1位の国民戦線の候補者に次いで、イスラーム同胞党の候補者、モアメド・ベン・アッベスが22.3%の得票率で2番目に付けたのである。フランス大統領選挙は、第1回投票で有効投票総数の過半数の票を獲得できた候補がいない場合、上位2候補による決選投票が行われる。

5月18日、水曜日。ぼくは同僚の夫で公安警察のメンバーである男から、衝撃的な話を聞かされる。「イスラーム同胞党は、フランス人の子弟が、初等教育から高等教育に至るまで、イスラーム教の教育を受けられる可能性を持たなければならないとしています。そしてイスラーム教育はあらゆる点で、世俗教育とは大変に異なります。まず、男女共学はあり得ません。それから、女性に開かれているのはいくつかの教科だけです。殻らが根底で希望しているのは、ほとんどの女性が、初等教育を終えた時点で家政学校に進み、できるだけ早く結婚することです。極めて少数の女性だけが、結婚前に文学や芸術課程に進むでしょう。それが彼らの抱いている理想的な社会なのです。そもそも、あらゆる教師は、例外なくイスラーム教徒でなければなりません。学校の規則は給食の食事制限にも及びます。それから、毎日5回の礼拝に割り当てられた時間は守られなければなりません。そして何より、学校のプログラム自体がコーラン教育に沿っている必要があるでしょう。・・・イスラーム式の結婚は一夫多妻かもしれませんが、戸籍上は何も重要性はないものの、社会的な結合として認められ、社会保障や税制などに関しても権利が与えられます」。

5月31日、火曜日。「そのニュースは午後2時ちょっと過ぎに報道された。UMPと民主独立連合、そして社会党が野合して、『拡大共和戦線』を立ち上げ、イスラーム同胞党の候補者を支持するという内容だった」。決戦投票を前にして、イスラーム同胞党のベン・アッベスが大統領になることが決定した瞬間であった。

「ベン・アッベスの真の最終的な野心は、初めてのヨーロッパ大統領になることだとわたしは確信しています。それは、拡大されたヨーロッパ、地中海周辺諸国を含めたヨーロッパを意味します」。

遂に、フランスにイスラーム政権が誕生。「ぼくは、パリに戻った2週間後にパリ第三大学からの通知を受け取った。パリ=ソルボンヌ・イスラーム大学という新しい行政上の立場のせいで、ぼくは教職を続けることを禁じられていた」。

イスラーム政権の誕生は、国民の間に反発、混乱をもたらしたのだろうか。「モアメド・ベン・アッベスが準備した国民連合政府は、当初政治的な成功として国民から広く好意的に迎えられた。・・・彼が選ばれてすぐに現れた効果は、軽犯罪が減ったことで、しかもその減少率は目覚ましかった。もっとも治安の悪かった地区では、犯罪の発生率は10分の1にまでなっていた。もう一つすぐに現れた効果は失業率で、そのカーブは急速な右肩下がりになっていた。それは間違いなく、女性が労働市場から大量に脱落したことが原因だった。家族手当が無視できないほど引き上げられたからだ。それは新政府が最初に象徴的に実行した政策だった。・・・国庫の赤字が増えることもなかった。家族手当の増加は、国立教育予算――かつては飛び抜けて国の予算を食っていたのだが――が急激に減少したことで完璧に補填された。新たな教育制度では、義務教育は小学校で終わっていた。つまり、12歳だ」。

フランスは急速に変化していく。それは、まさに、根底からの変貌だった。

その一例だが、パリ=ソルボンヌ大学の学長の自宅に招かれたぼくは、変化を実感する。「(学長は)料理には40代の妻を、他のことのためには15歳の妻を・・・。もしかしたら後1人か2人、その中間の年齢の妻を持っているのかもしれないが、その手の質問をするのはためらわれた」。そして、学長は『O嬢の物語』を引いて、人間の絶対的な幸福は服従にあると宣ったのである。

これらの変化を目にしても、ぼくを含め、知識人たちは何の反対行動も起こさない。「ジャーナリストに好奇心が欠けているのは知識人にとってはまさに福音だ。というのも現在では、彼の(イスラームを強力に支持・弁護する)大胆な発言などはインターネットで簡単に検索できるのだから、こまめにそれらを発掘されたら、彼はずいぶんと厄介な目に遭うだろう。しかしぼくは間違っているのかもしれない。20世紀にはあれほど多くの知識人がスターリンや毛沢東、ポル・ポトを支持したが、彼らはそれを非難されずに来た。フランスではそもそも責任という観念は、知識人には無縁なのだった」。著者の痛烈な皮肉である。

本書は、自由と民主主義が簡単に葬り去られてしまう予言的物語という形を借りて、知識や教養が権力に対してはいかに脆いものであるかを、ヴィヴィッドに描き出している。知識人やジャーナリストの責任を厳しく問うているのである。