魔女の本領
同時代としての世界を強要されてはならない…

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『時代区分は本当に必要か?連続性と不連続性を再考する』


歴史の時代区分は無意識であってはならない。歴史学にとって単なるスケールではないのだ。

現天皇陛下の生前ご退位の意向表明に昭和天皇ご崩御の時の平成を書いた額を掲げた時のことが想い出される昨今であるが、日本人には世界でもまれな元号という特殊な時代認識のシステムがある。生前ご退位で年号は変わるのか?時代はかわるのか?

たまたま読んでいたのがこの本で、ちょっとびっくりぽんである。
『時代区分は本当に必要か?連続性と不連続性を再考する』ジャック・ル=ゴフ著 菅沼 潤訳

著者のル・ゴフはフランスの歴史学者でアナール派第三世代のリーダーとして活躍した人物であるが、2014年90歳で亡くなる最後の著書である。私たちが最後の世代かもしれないが、歴史学を学ぶさいに認識する時代区分は古代・中世・近代・現代という区分とともに、マルクスの発展段階理論が何故かよく分からないままに捩れた形で、無理矢理に時代を区切っていたような気がする。それは西洋史だけでなく、日本史もなたどうようであった。ただ日本史の場合はさらに、なんだか政権の存在場所までが時代区分に紛れ込み、平安時代とか、鎌倉時代とか、室町時代とか、江戸時代とか。それ故、鎌倉時代は中世なのか?封建時代なのか?日本的特殊性とかいう問題意識までが歴史の研究課題になっていた。

本書で指摘されて始めて気がついたのだが、古代・中世・近代、さらにはルネサンスって誰がいいだしたのかと言う事に深い関心を持ったことはなかった。うかつというか、それを言い出したらおしまいなんじゃないかとまで疑ってしまったのが恥ずかしい。しかしル=ゴフがルネサンス研究をし尽くし最後に時代区分とは何だと言うことに行き着いて書き遺すぐらいであるから、我ら凡人にはすさまじく奥の深い問題点なのだと改めて思ったのだ。つまり、時代区分は後世何らかの契機(つまりスケール)が出現した時に、過ぎ去った時代を跡付ける時に生まれる認識だと言うことである。とくに西洋においてルネサンスの概念がなぜ生じたのか、暗黒の中世なる認識はなんなのか、深くは考えてはこなかったものの、マルクス主義歴史学から脱出する過程で、固定的な中世認識の誤り、ルネサンス概念の複雑さなどは次第に明らかにされていたし、フランセス・イエイツ大好き人間の私などは無茶苦茶中世的精神世界のルネサンスを垣間見ていた。また当然のことながら、そのルネサンス後半がこれまた光り輝くルネサンスとは信じがたいほどのぐっちゃぐちゃのマニエリスム時代であったことも確認済みである。だとすると、いくつもの例外があるがオーソドックスな時代区分は明確と考えるのも無理があるとは感じていた。

そもそもルネサンスってなに?「再生」と言う意味であるが、なんで「再生」なんだという疑問は生じる。なにも深く考えなくても気が付きそうなもんであったが、指摘されてハタ気づいたのだが、これはキリスト教の理論の歴史への当てはめなんでした。つまり、ながれる時間はキリストの教えのままにやがて終末に向かう。そしてキリストの死と再生のドラマが時間にも生じる。復活である。それがルネサンス(「再生」)。そして、古き良き時代が思い起こされる、輝かしい古代であり復活の時の間に挟まれた生彩を欠いた単なる移行期、これを「中間の時代」と名づけた。こうしてできあがって時代区分は14世紀のペトラルカの業績なのだそうだ。またルネサンスは誕生したものなのである。

しかし「ルネサンス」という言葉と、中世に続く、中世に対立する歴史上の偉大な時代というその定義は、19世紀以来のものである。それはジュール・ミシュレ(1798-1874)から来ている。厳密には「「ルネサンス」という言葉に関していうと、フェーヴルによれば、小文字のrのついた「再生 renaissance」は当時盛んに用いられていたという。たとえば「芸術復興renaissance des arts」「文芸復興renaissance des lettres」のような言い方だ。しかし、人間として、流れる歴史のなかでの復活の想いに打たれ、ヨーロッパのとりわけイタリアで15世紀にはじまる時代に、大文字のRではじまる「ルネサンスRenaissance」という名を与えるのは、ミシュレである。1838年、ミシュレはコレージュ・ド・フランス教授に選ばれ、4月23日に就任記念講義をおこなう。そしてこの教壇のおかげで、「ルネサンス」という言語は1840年から1860年のあいだにひろく知れ渡り、ひとつの時代を指すものとして認められることになるのである」。その他、ルネサンスを時代を画する大きな意味を持つ時代と捉える研究者は多い。たとえばブルックハルトは魔術や擬似科学てきな関心、占星術等は、中世の信仰の衰退であり、「無神論はまだ存在していないが・・・ルネサンスは非宗教化に通じており、この傾向は広まりつつあった」と書いた。パノフスキーはルネサンスをギリシア・ローマ文学の純粋な形での復活ととらえたペトラルカにならい、1500年ごろのルネサンスの狭い定義を拡張し「文化活動のほぼすべての分野を覆う大規模な復活と言う概念」が生まれる経緯を研究した。

これに対してゴフは非常に重要な定義を示した。「まずルネサンスは、たとえその重要性がいかなるものであったとしても、歴史的持続のなかで個性をあたえられる資格をどれほどゆうしていても、私に言わせれば特別なじだいではないのである。(ルネサンス)とは、長い中世に含まれる最後の再生のことなのだ。」と。そして、中世に出発点がある多くのルネサンス的な現象を挙げている。たとえば人文主義。スコラ学の闇に対抗して、ルネサンスの教養人たちは人文学研究の知的・文化的体系を築きあげた。人文主義humanisme と言う言葉はそこから生まれた。しかし、このように思想体系の中心に人間をすえるというやりかたは古くからあった。それはルネサンスと呼ばれることになる時代の特徴であるのとおなじくらい、中世と呼ばれることになる時代の特徴でもあった。もっともルネサンスが顕著であると見られる芸術部門についても、「ルネサンス」の新しさが否定しがたい形であらわれているように思われるのは、芸術の分野である。しかし、もっとも重要な変化とは、近代的美と呼べるものの誕生のことであろう。そしてそんな美が姿を見せるのは中世のことなのだ。この変化については、ウンベルト・エーコの『中世美学における芸術と美』というすばらしい研究がある。エーコが言うように、ルネサンスの人びとが中世に対して非難したことの一つは、「美的感性」を欠いているというものだった。スコラ学が美の感覚を麻痺させたという考えかたに猛然と異を唱えつつ、エーコは説得力のある形で、中世の哲学と神学には美の問題があふれていることを証明している。

また、中世は豊富な傑作のかずかずを作ったが、それは写本挿絵という、残念ながら大多数の人の目にすることのできない分野にとくに多い。それへの研究の目配りが欠けて言う結果からくるルネサンスが美的に突出した印象を作ったというわけである。中世はまた芸術家を生んだ。すなわち、もはやたんなる手作業の専門職人ではなく、美を作り出す意志に導かれた、そんな意志に生命をささげる人間、それを職業以上のなにか、運命としている人間である。芸術家は中世社会のなかで威厳を獲得するが、それは無名であることの多かった中世初期の建築師がもちえなかったものだ。すなわち、職人技である美は個人としての画家の誕生以前に充分に完成された美を作り出していた。建築と言う点に目を転じれば、中世においてすでに変化は生まれている。世俗建設の分野で根本的な変化が起こる。これは城に関連している。14世紀まで、領主の城塞はなにより避難と防衛の場所であった。しかし大砲が戦闘で使われることがしだいに増えてくると、城のもたらす防衛力はもろいものになる。こうして城は軍事的な用途を失い、娯楽用の住居に変貌するのである。

絵画技術においてもまた同様に、15世紀半ばにフランドルにイーゼルのうえで描かれる油彩画があらわれるのは、正確には中世の現象なのかルネサンスの現象なのかは決められない。しかし、決定的な発明はまちがいなく中世のものだ。すなわち、似姿をつくることを意図した肖像画の発明である。こうして、過去の人々の正確なイメージが、われわれのところにまで押し寄せることになったのだ。とくに、個人が浮き彫りになったのは決定的な進歩である。浮き彫りになったのは顔であるが、顔は身体の一部だ。これ以後、身体は歴史的記憶を獲得するのである。それでは逆に魔術とか擬似科学とかが中世に固定されるのかという点である。ゴフは魔女研究の先行者ミシュレの魔術研究は魔術の普及を14世紀のこととしているが、依拠している書物の年代推定に誤りがあるとしている。魔術が実際にはじまるのは15世紀のことで、つぎに、魔術とは本質的に女性にまつわる現象である。したがって、社会の女性観がその影響を受ける。伝統的女性観を反映するかのように、ルネサンス時代の女性は尊敬や賛美の対象にはならない。神と悪魔の中間のあいまいな存在であるということである。また「魔法使い」という言葉は12世紀にあらわれたようで、その意味が明確になるのはトマス・アクィナスが『神学大全』(13世紀後半)でこれを悪魔と契約を結んだ人間と定義して以降のことである。こうして魔法使いは15世紀には悪魔的人間となる。箒や杖にまたがって空を飛ぶ女というその神話的図像表現が定着するのもこのころのことだ。魔女はしたがって、中世の登場人物というよりははるかに、いわゆる「ルネサンス」の登場人物、あるいは古典主義の世紀の登場人物でさえあるのだ。

中世がこの分野でなんらかの働きをしたとするなら、それは魔術をまえにした社会の不安という側面においてである。それはとくに1260年ころ顕在化する。魔女たちの活動は異端と見なされるとして、教皇アレクサンデル四世が異端審問官たちに、魔女たちを追跡し場合によっては火刑に処する任務を与えるのだ。このような新たな精神状態、教会の新たな態度を背景にして、トマス・アクィナスは悪魔との契約という考えをもちだす。一五世紀になるとさらに天上のサバトのモチーフがあらわれ、不安をさそうイメージは完全なものとなる。そして、その後の中世を暗黒と見る事象、ユダヤ人大虐殺、異端審問、千年王国の宗教運動は、中世よりもむしろルネサンスに活発になるのだ。このようにゴフは先行研究から歴史の断絶はむしろまれで、変化はある程度の幅のなかで起こり、大規模であることもあればそうでないこともあるる。中世とルネサンスは連続しているのである。

それでも現在への芽生えはどこにあるのかは気になる。ゴフは1492年をその年だと考える西洋人の思考に疑問を呈する。事実この年はコロンブスの大陸発見であり、イベリア半島ではグラナダがカトリック両王に降伏し、ユダヤ人が追放され、イスラム教徒が改修か追放かを選ばされた。世界は拡大した。しかし、これが新時代を画するのかと問うている。

近代は始まらないのか?ご心配なく。やっと出てきました。その兆し。ルネサンスを越えて長い中世が継続している。それにつづいてあらわれるこの新時代のきざしとみなされるのは、1751年にはじまる『百科全書、あるいは科学と技術と職業に関する理論的総合事典』の出版である。『百科全書』は、理性と科学を、はっきりキリスト教教義の上位においていたのである。

中世とたもとを分ち、真に近代的であろうとする社会の精神状態を表すしるしのように、オノレ・ミラボー(フランスの政治家)が1757年、はじめてprogres という言葉を「進歩(文明が前進し、ますます栄えること)」という意味で使っている。西洋社会が姿をあらわし、フランス革命という一点に結実しようとしている。それが意味するのは、進化の勝利だけではなく、また個人の勝利でもある。つまり、キリスト教世界の終わりへの歩みという強迫観念がついに「進歩」という観念に代わった時が意味するものが大きいと言うのである。

ゴフはつぎのように締めくくっている。「現実に、歴史をあつかいやすく豊かな価値をもたらしてくれるものにする時代区分は、人は近づけるものだと思っている。長い時代には重要な転換期が含まれる。この転換は意味あるものだが、最重要ではない。これが小時代をつくりだすのであり、中世にとってはそれが「ルネサンスrenaissance」と呼ばれる物だ・・・したがって、歴史の時代区分を保つことは可能であり、私は保たなければいけないのだと思う。現在の歴史思想を貫いている二つの大きな潮流、長期保持の歴史とグローバル化は、どちらも時代区分の使用をさまたげるものではない」。そして今ある私たち、グローバル化した世界に居るものにとって、指摘されている危険性が非常に意味が大きいのである。つまり世界は均一化され画一化され、同時代としての世界を強要されてはならないと言うことである。ゴフはそこまでは書いていないが、世界の各民族にとってそれぞれの時代はどこかに吸収される過程での時代に振り分けられる必要はないという事ではないのか?

そして、今、私たちは敗戦後続いてきた平和で自立の時代から急速に思ってもいなかった形でアメリカの時代区分に溶解されようとしている。危険信号は点滅し始めている。

魔女:加藤恵子