魔女の本領
真面目が過ぎると笑える…

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『ペルーの異端審問』


真面目が過ぎると笑える。その中世の実践編。

『ペルーの異端審問』フェルナンド・イワサキ著 序文*マリオ・バルガス・リョサ 巻頭言*筒井康隆 八重樫克彦・八重樫由貴子訳

宣伝がそもそも変である。筒井康隆が外国文学に巻頭言を寄せてます。その上、中のはがきを送ったらフェルナンド・イワサキが書いた評論を密かに送ります。という宣伝につられたのでついつい買ってしまったのだ。そもそも筒井康隆とフェルナンド・イワサキが何の関係があるのかもわからないし、イワサキって日系人なのか?

まー笑える笑える。電書の中で噴出してしまったから、読まれる方厳重注意。

ところで、この作家はペルーの若手で、日本初お目見えだそうだ。作家、歴史家、文献学者、評論家、小説・短篇・エッセイ・歴史書など著作多数なんだそうだ。ちょいとみ、先ごろ亡くなったウンベルト・エーコ並みというか、カルロ・ギンズブルグに近いかもしれない。そのうえなぜか筒井康隆のスペイン語翻訳に入れ込んで「キョウゲン惑星の筒井康隆」という文章を発表しているというのだ。キョウゲンて狂言のことだろうか、ともかく知らなかったとはいえ、なかなか隅に置けない人物らしい。これからきっとぞくぞくと翻訳されるのではないかと思う。

さてこの本、じつに真面目で深刻で人間の本質を突き刺す本なのである。そして小説とされているがすべて事実をもとに書かれている。しかし時は中世、資料は異端審問に関する資料である。異端審問官が尋問し、たぶん多くは拷問して自白された文書なのだ。そしてフェルナンド・イワサキが真面目に書けば書くほど、笑えてしまう。神をたたえるためにすべて世俗をすてて神に仕えた修道士、その清純さに打たれて身も心もささげて告解をして生きるすべを得ていた中世の人々がなにやらどんどん脇道へそれちゃった事実、それこそ神の喜ばれる素晴らしいかな人間になるのかもしれないのだ。

お断りしておくことは、これは歴史書で小説である。カソリックの方々を侮蔑するために書かれたわけではない。

ということで、中世のカソリックの信者たちはどうやらあまりにもキリスト教によってがんじがらめにされていたので、性的な抑圧がさまざまな逸脱を引き起こした。さらにはなにがなんでもキリスト教のおしえにくり込まなければならないと言う事で、起こった事実と教えとの乖離を埋めようとすればするほど混乱が起きてしまったりするのである。

短編集なのでそれぞれのストーリーを紹介したら実も蓋物ないので、総論だけ紹介します。つまり教会の告解室で何が行なわれていたか?そうです。神父さまは信者の生きる悩みの根本である性的な問題にどうしても耐えられず、ついつい同情が過ぎて本気になり、さらには本番になってしまうのでした。神父さまの方が性的抑圧は強かったから、まー当然と言えば当然で、その過程が克明に書かれていて、笑えるのです。いってみれば本番がなければ悩みは解決しないわけで、神父様の対応は悪魔の仕業ではなかったのだが、それが露見すれば、あれは悪魔の仕業だと弁明する訳だし、信者の方でも空中遊泳してキリストとなにをしたのだと弁明したりハチャメチャな神聖なお話が出て来てしまう。異端審問官だって線引きに苦しむ事態になる。最高におかしいのは聖者が亡くなった。体からかぐわしい香りが立ち込め体は生けるがごとく生気を帯びている。しかしなんとしたことか、下の方のあれ(そうですあれです)がみごとに屹立している。どうしたものか?方や死刑執行に携わる人物からは死刑囚の多くは死亡時にそうなるのだと主張し、聖人ともあろうものの姿とは言えないと主張し、方や聖人主張者たちは、神のなんらかの思し召しだ、神の御言葉を探らなければならない。しかし展示する訳にもいかず、そこだけぽっこり盛り上がったままの聖者の亡きがらを前に思案投げ首。ところが最終的に女子修道院の院長の証言が結論を出したのだ。彼女は死刑囚のそれは粗末な物で、異臭を放つが、善良なるクリストバル・パン・イ・アグア修道士のそれは、本来の色つやも弾力性も失われていない。そして何度もゆすってみたが生きている男のものと変わりがない。したがって神の御業であると断言したって、この女性院長、まー死者のあれをよくまーゆすってみたり、匂いを嗅いでみたり、普通の男のものと変わりがないって、あんたどこでそんなこと知ったわけという疑問が残るが、これが決定打になり列福列聖誓願の要件を満たした。アーメン。で一応書いておくが、あれの大きさについては問題にならなかったのかという大きな疑問を筆者は提示している。

と言うようなお話が17篇集められた短編集。バルガス・リョサのくそまじめな序文が余計おかしさを助長している。筒井康隆の「実に大らかで根源的であり、それこそが文学としての本書の価値であろう。特に各章の結びの一、二行、たいていは笑いに結びつくその一、二行の切れ味は秀逸という他ない」という巻頭言のほうが本質を見抜いている。

というわけで、笑えさらば救われん。

魔女:加藤恵子