学魔の本函
『博士の愛した数式』小川洋子著を読む

博士数式

『博士の愛した数式』


安倍政権へのアンチの意思表示をしなければならない日々で読書時間が激減。頭が空白になってしまっている。読みかけの本が山積み、駄目じゃないかとのおしかりが聞こえてくる。すいません・・・せんじつ学魔がホイと言われた。『博士の愛した数式』ってあれはルイス・キャロルだというのを聞き逃さずに、読んでみた。

この本が第一回本屋大賞というのを受賞したのは覚えている。しかし数式というのは駄目だと思い読んでいなかった。本書に入る前に、この本屋大賞というのは書店員が読者にすすめる本というコンセプトで選考した賞であまり売れそうでもないが実は優れているというのに賞を与えるという触れ込みであった。2004年が第一回でその受賞作品が「博士が愛した数式」である。その後も受賞作品に興味を持っていたが、最低と思いはじめたのは百田尚樹が受賞した2013年である。文学と政治は別と捉える純粋文学論者には私は与しないが、百田が『海賊と言われた男』で受賞してから急速に右翼というよりはファシストとして安倍政権のちょうちん持ちとなりNHKを右に引きずる役目を負い、いまや極右のプロパガンダを続けるのを見るにつけ、百田の本質を見抜けなかった店員に嫌気がさしていた。そして今年はついに受賞作品が直木賞と同じとなり、自ら直木賞と同じ権威を持つ存在になったと述べるに至って、権威を求める姿勢に幻滅した。

上記のような私の賞への思いを脇に置いて、第一回の受賞作品の『博士の愛した数式』はいまや貴重な程に、愛にあふれていて、主人公である博士をおおきな心で包み込み、それに応えることができないはずの博士に瞬間のきらめくような純粋な心を引き出す姿が愛おしいと思えるほどなのだ。

主人公の博士は数学者なのだが自動車事故で頭脳にダメージを受けて80分しか記憶が続かない。しかし事故前の記憶は存在する。その時は1975年である。この設定がどういう意味を持つのかは作者の絶妙な時の繰り出しに脱帽なのであるが、何よりも博士がすべてを数で認識し、その数には意味があることがこの作品のテーマである。博士の元に家政婦として仕えることになる「私」は10歳の男の子を育てているシングルマザーである。彼女は決して幸せというものを手にしている人物ではない。しかしこの博士との交流の基礎をなす数というものを決しておろそかにしない心のすずやかな女性として描かれている。博士との数のやり取りの中で、自分の誕生日2月22日と博士が大学時代、超越数論に関する論文で学長賞を獲った時の賞品のナンバー284、これにどこか関連があるのか、数学に弱い私には全く理解を越えていたが、220の約数の和は284、284の約数の和は220.友愛数というのだそうだ。私と博士の間を数式というチェーンで結ばれている。そして息子を休暇中に連れてきたことによってまた新たな愛の形が示される。博士は息子の頭をなぜて、そのてっぺんが平らなことを確認するとルートと呼ぶことになる。√ の記号がすべての数の頭の上に置かれた時の数式の意味と同じように博士とわたしを大きく包み込むように√君の存在により物語は数式を挟んで展開される。その原点にあるのが素数である。博士が最も愛したのは素数である。素数への愛を理解し博士の理解を深める私はこんなふうに描写している。

「書斎の仕事机で、あるいは食卓で、私とルートに聞かせてくれた数学の羽なしに、たぶん素数は一番多く登場しただろう。1と自分自身以外では割り入れない、一見頑固者風の数字のどこにそれほど魅力があるのか。最初のうちはほとんど理解できなかった。ただ素数について語る博士の態度のひたむきさに引きずりこまれてゆくうち、少しずつ私たちの間に連帯感のようなものが生まれてきた。素数が手触りを持ったイメージとして、心の中にぽっかり浮かび上がってくるようになった。そのイメージは三者三様だったはずだが、博士が一言素数と口にしただけで、お互いの目と目を見合わせ、したしみの合図を送り合うことができるのだった。」

少し話を戻すと、友愛数を知った時私は自分で他にありうるかもしれない友愛数を考えた。それが28である。ただそれだけだと思っていたが、この数字が物語の終盤へ向けて大きな意味を持ってくる。本書を読むまで思い出さなかったが、阪神タイガース時代の江夏豊の背番号であった。博士は大の阪神ファンであった。しかし事故によって現在の記憶がない博士にとって1975年の阪神なのである。ルートと私は壊れたラジヲをなおして、野球を聞けるようにしてあげるが、博士が混乱しないように私とルートは江夏の登板があたかも今日はないように博士を思いやる。こんな日常の中で、一度だけ私とルートは博士に本物の野球を見せてあげることにした。背広には忘れてはいけないことをメモした紙が張り付けられた、異様な風体の博士を球場に連れて行って本物の阪神戦を見せてあげる。その夜、博士は熱を出した。その時に夜どおし看病をしたことが博士の後見をしている義理の姉に咎められ家政婦としての職を解かれてしまう。しかし、ルートはその後も博士と遊ぶ関係が続いていて、義理の姉の叱責にもあうのであるが、この女性の存在は実は博士の過去に大きな存在であったことは後になって判明する。そして再び博士の家政婦に復帰する。そしてルートの11歳の誕生日9月11日が来る。11、それは素数でもことさら美しい素数。ちょうど博士も最大級に難しい『JOURNAL of MATHEMATICS』の一等賞をとったお祝いをする計画を私とルートは計画する。その過程で、博士が大切にしていた缶に野球カードがぎっしりと詰められていたのを見たルートと私は博士が愛する28番の背番号の江夏のカードを探すために奮闘する。そして私はその缶の底に隠されていた論文と写真、手書きの一文を見つけてしまう。それには「~永遠に愛するNへ捧ぐ あなたが忘れてはならない者より~」とあった。そのNとは、たぶん義姉その人であろう。そしてルートの誕生日、ささいな行き違いで博士はケーキを台無しにしてしまったことから混乱してしまうのであるが、私はこの時、博士の記憶の時間が80分より少なくなっている事にきづく。そして博士は施設へと移ってゆくことになるのだが、その前に博士はルートにとても素晴らしいグローブを誕生日プレゼントに用意していたことがわかる。このグローブはルートが大切にして、時々施設を訪ねては博士とルートはキャッチボールをするのであった。

さて、この博士はルイス・キャロルか?高山師がキャロルを引きこもりと言われていた点を思い出せば、そのままだし、言葉遊び(回文)を際限なく作るシーンはキャロルそのままだし、もちろん数学というものに愛を示した博士はキャロルだろう。それを抜きにしても、なんか愛の本質って、実は他人を心底理解し、どこか壊れてしまっても、湧き出て来る心の純な部分を愛することなのだろう。この本、純愛のすこぶる泣かせる本だなーー。

魔女:加藤恵子