魔女の本領
時期を置かずに書いておいた方が良いのではないか…

CHAVE

『チャヴ 弱者を敵視する社会』


現代の政治状況、国際的にそして日本の現状の近未来を見せつけられる本に衝撃を受けた。

海と月社という無名の出版社から出た書籍で、大きな宣伝もなされなかった。しかし何人かの若手の評論家が取り上げていて、題名に興味を持った。チャヴってなんだ?と思ったのだ。そして様々な抗議集会に出る合間の電車の中で読むと言うこれまたかなり現在の日本の政治情勢とリンクする形で読んだことになる。本書は2011年に初版が出版されていて、作者は20代の若者である。内容はイギリス社会の社会崩壊の現状とその原因を分析というよりはありのままに書いたイギリスの病巣のドキュメンタリーであると言っていいと思う。そしてその書かれ社会の状況がまさに2017年の日本にバッチリ当てはまりつつあることが不気味にも思えるほどにシビアーなのだ。表紙の帯びにはこうある「イギリスがたどった道は日本がこれから歩む道」。

ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で描いた新自由主義の現れ方は多くの人が今になっては少し前にラテンアメリカの諸国がアメリカのシカゴ学派の経済侵略により陥らされた国民の苦闘が描かれていた。しかしさて新自由主義って、何がどう今の日本に関わるのかということを例を挙げて説明し切れる方は少ないのではないだろうか。新自由主義の政策によってもたらされる新たな政策のあれこれ、たとえば水道法の改悪によって水資源が外資に売り渡される、種子法が廃止されて、70年以上に渡り営々と改良されて日本の風土土壌に適した種子をすべて自分で種を保存し循環型の農業は出来なくなり、悪名高いモンサントの種子を使用しなければならなくなる。市場法が廃止されて、市場の合理化という名のもとに特殊に運営される市場は一掃される。このような動きがマスコミに載せられることもないまま国会を通過している。国民は後から水道料金が4倍になったり、遺伝子組み換えの種子しか使えない事態に驚く、こんな現状が新自由主義の表面化した姿としてみてとれるのだが、この新自由主義の下で、一体社会そのものはどうなって行ったかのか、それのひとつの例としてのイギリスがサッチャー後に激変した姿を本書で激しい嫌悪とともに、それに向かっている日本を何とかする手立てはあるのかを考えねばならなかった。

イギリス特有の問題もなくはないが、多くは現在の日本にそのままあてはまる。現在の社会が格差社会である点については異存はないだろう。各地で頻繁に起こる犯罪や暴動の根幹にあるのは宗教的な不寛容ではなくて実は貧困ではないかという思いは私も抱いていた。そしてイギリスが抱えた最大の病根は新たな階級社会が立ち現われてきたということであるようだ。イギリスは第二次世界大戦後手厚い社会保障がなされていて、世界的に見ても格差の少ない国であった。私の友人はバングラデッシュ人の夫と共にロンドンで生活をしていて、医療費は外国人もタダだということを言っていたし、人種差別に逢うこともないと言っていた。それがいまや想像を絶する格差社会となり、さらには貧困層に対する激しい差別意識と攻撃が政治的な政策だけではなく、議員の発言やマスコミの流すニュースの取り上げ方、さらには貧困層が多い住宅街への差別などが激増している。それが本書の書かれた背景であり、チャヴというのは労働者階級を侮辱する言葉として一般化されたものなのだそうだ。そしてチャヴとして侮辱の対象にされる人々は下層労働者で、非熟練労働者、パートターマー、さらには公営住宅に住んで暴力的、怠惰、十代での妊娠、アルコール依存などがその言葉に張り付けられたイメージとなり下の階級への嫌悪感を直接表すのではなくいわば隠喩的に使用することが多いと言うことだ。言葉の意味はその話者によって変わる。中流階級の人が「チャヴ」を使えば、それは完全に階級差別用語となる。最下層の人々を劣等視することは、不平等社会を正当化する便利な手段である。

このような劣等視には、単なる不平等以上の問題があると筆者は書いている。その根底にあるのは、イギリスの階級闘争の名残である。1979年、首相に就任したマーガレット・サッチャーは、労働者階級への総攻撃に着手した。労働組合や公営住宅の制度は廃止され、製造業から鉱業にいたる数々の産業が破壊された。それによってもはや回復不可能なほどにバラバラになったコミュニティがあり、連帯感や共通の向上心といった価値が根こそぎ一掃された。そこへ厳しい個人主義が居座り、労働者階級は力を奪われ、連帯する誇りある集団とは見なされなくなった。メディアや政治の世界から労働者階級出身のひとびとが消えるにつれて、下層階級を蔑視する風潮は強まった。自己責任論が台頭し、労働者階級から抜け出し中流階級へと向上することが要求される。貧困や失業といった社会問題は、かつては資本主義の欠陥であり不正であり社会の責任で正されるべきだと考えられていたものが、今や個人の責任であり、個人の欠陥、個人の性格であるとされ、極端な場合には「社会ダーウィン主義」さえ唱えられ、「貧しい人々は、裕福な人々より平均IOが低い・・・つまり、専門職の階級と比べて、労働者階級が最難関大学の標準入学レベルに達するのは、はるかにむずかしい」(進化精神医ブルース・チャールトン)とまでいわれることになる。時代がマルクス以前の時代に逆戻りしたかのようである。新聞に書きたてられるのは社会保障費の不正受給者の攻撃や、シングルマザーの貧乏人の子沢山のだらしなさなどが格好のニュースとされ、より弱い労働者階級への攻撃強化の正当化の種にされる。この現象はまさに日本でも起きている事ではないか。

しかし本書はこの現象、すなわち階級が分断された社会において差別を問題にするのではなく、差別を生み出す源、その社会そのものを凝視すべきであるとして書かれている。もっとも印象的であったことは、労働党の変質である。労働党の議員すらが私立の学校からオックスフォード・ケンブリッジ大学出であり、労働組合どころか、労働そのものを経験したことがなかったりする。その労働党は、労働者階級など存在しない。トニー・ブレアは「われわれはみな中流階級だ」「社会の障壁が崩れ、いまわれわれはみな中流階級になった」と述べていて、サッチャー以後工業労働者階級の衰退によってイギリス労働階級の柱は崩れ去ったことを印象づけている。そしてそのなかで白人労働者層(上昇可能な層として)はニュー・レーバーが大手を振って社会の前面に立つ中、その下に押しつけられる労働者を蔑視し、多くの労働者の政策が廃止されていくことに手を貸すと言う流れが明確に出てきた。中流階級と意識する層の特徴は自らは教養があり、公営住宅ではない住宅に住み、貧困でもないことで、下層の労働者との違いをむしろ強調する傾向が強まっている。それがチャヴとしてさらに自らの下に階級を描くことで新たな階級社会が形成された。労働階級は分断された。そこに描かれている労働党の姿を見ると、まさに今現在日本で起きている労働者差別、有名国立大学に行けるのは高学歴の両親の子弟であり、一方親が下層であるものは大学入学すらままならず、非正規労働者として低賃金、雇用の不安定にさいなまれている差別の現状が全く鏡にうつされているかのようなのだ。詳細に書かれた下層労働者と更にその下層に落ちている貧困層に対する社会のバッシングもまた相似形である。

詳細は本書を読まれることをお勧めするが、この労働者階級の有るべき姿からの転落、解体が労働現場を共通し、集団で住み、共同体を構成していたということが基本にあったことの重要性にあったという指摘は大切である。自動車工場が撤退し、職を失った労働者に雇用の場と住宅を提供できなかった地域が一気にスラム化し、若者は手本となる先輩を失い、これまた麻薬におぼれるという悪循環を引き起こしたと言う指摘は日本にも目前に迫っている。日本に於いては高度経済成長直前、エネルギー政策の転換と称して炭鉱の閉鎖が行なわれ三井三池鉱山の大争議が思い起こされる。あのころ労働者は炭住という長屋に住み、その場が生活の場であり教育の場であり文化を創る場でもあった。覚えておられるであろうか?筑豊炭鉱の炭住には谷川雁や上野英信や森崎和江らが「サークル村」というのをつくり高度な文化活動を組織し、かつ労働組合運動を指導していた。大正炭鉱を拠点に大正行動隊として闘争を指導した。谷川雁は「原典が存在する」「工作者宣言」などの評論を書き、私は大きな影響を受けた。しかし、内部での女性暴行事件を契機に運動は崩壊し、雁はみずから「東京へ行くな・・・」という詩を書きながら、自分だけが東京に出た。その後に、わたしは炭住に森崎和江を訪れている。炬燵にあたりながら、朝鮮問題を訊ねたことが記憶にある。そのように日本もまたそういう労働運動の拠点が資本の力でつぶされ、その後の政治の季節を経て、勝利には程遠いまま、組合運動は連合というイギリス同様の労働者分断の組織となり果てて、下層労働者を下へと押し付ける組合になっている。

こんな情勢で現状を打破することは可能なのか?筆者は抽象論では駄目だという提言を最後に書いている。「左派の立場は「反緊縮財政」、要するに防御的な姿勢だ。しかし、世の多くの人は、「緊縮財政」と言われてもよく分からない。再生エネルギー開発とハイテク産業育成、安定した熟練職の創出、経済の民主化、公正な税制、労働組合による昇給と生産性向上の実現――こうした一貫性のある産業戦略になんとしても取り組んで、多くの国民に、わかりやすい言葉で説明するひつようがある」と。わたしもこの説にうなずけるが、さらにユートピアかもしれないが、労働組合に正規、非正規関係なく、労働年数に応じた同一賃金体系を追求していくべきだと考えている。私は20代に政治の季節の後、組合運動に従事した際、自らの職場にあった学歴による賃金差別を解消する賃金表を独自に作成し、それを基にストライキを闘い、大学院出と中学出の職員の賃金格差をそれまでの50パーセントから80パーセントまで上げた経験を持っている。やれば出来たのだ。今こそ労働組合が差別をなくす先鋭となることを期待したい。

非常に示唆に富む本である。EU離脱前に書かれていて、その問題が触れられていないことが残念であるが、帯びに書かれているように、日本が陥る悪夢打破を闘うために是非お読みください。

魔女:加藤恵子