バルザックの作品かと錯覚させられた、人間心理の深奥を暴いた傑作小説
『レヴィアタン』(ジュリアン・グリーン著、工藤進訳、人文書院、ジュリアン・グリーン全集。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を、目を皿のようにして貪るように読み進みながら、敬愛するオノレ・ド・バルザックの『ゴリオ爺さん』、『幻滅』などで構成される作品群『人間喜劇』の一冊を読んでいるかのような錯覚に襲われた。読み終わった時、ジュリアン・グリーンという作家、『レヴィアタン』という作品に出会えた幸運に心が震えたのである。私が十大世界文学を選ぶとしたら、この作品を知ってしまった今となっては、これを外すわけにはいかないだろう。
この長篇小説には、4人の重要人物が登場する。ポール・ゲレという名の何事にも不器用な男、ゲレが家庭教師をしている裕福な家の奥様であるエヴァ・グロジョルジュ、姿を見かけただけなのにゲレが好きになってしまった、レストランで働く美しい娘・アンジェル、そのレストランの女主人・ロンド夫人――の4人である。
「男はまだ若かったが、ごく若い頃、気苦労が多かった人に見られるような、何となくひからびて、悲しげなところがあった。・・・幅広で肉づきのよい鼻、厚い唇は、この男が意志は弱いが生活の安楽や習慣には執着があり、それを守るとなるとずいぶんしたたかになりうる性格であることを明かしていた」。後に、ゲレには妻がいることが明らかになる。
「<結局僕はあの女をよく知らないのだ>と彼は認めた。<じゃどうしてこんなに強く好きだと言えるだろう>。あす再び出会っても、最初は彼女だとなかなかわからないのかも知れないが、少しずつ女の本当の姿が見えてくるだろう」。
「低い天井と狭い窓の彼の部屋、ロンド夫人のレストラン、客のほとんどいない例の喫茶店、グロジョルジュ家の屋敷、これらが彼の新しい生活の方位基点であった。また町の通りや街道があった。恐る恐るあの女の跡をつける通り、女に話しかけ哀願する夜の街道である」。
「(他人の)外面の真心で十分だったのである。毎日会う人の見かけの上機嫌によって彼女の心の平穏は決まるのであった。いらだたしげな言葉、不機嫌そうな顔に出会うと気分が悪くなり、深い悲しみに突き落された。16歳の時から、自分の跡をついてきては愛を囁く男たちにいとも簡単に身を許してきたのは多分このような理由による。(叔母の)ロンド夫人には黙認され、一方、親切でいい子になりたいという気持に突き動かされ、彼女は人から惜しげもなく与えられる優しい心遣いや言葉が嬉しく、人から人へと懶惰ななり行きに身を任せていたのであった」。
「ところでここに一人の男、一人の見知らぬ男が現れた。ほかの人、つまり私に欲情し、金を払うともうこっちのことは考えない、レストラン・ロンドの下劣な客ではなく、恋をしている男、そう、この私を尊敬している男、フィアンセにあげるように私に小さな指輪を捧げ、金の話さえしないばかな男。このような事を考えこんでいるうちに、女の心の中には奇妙な感情が入り込んできた。彼女はあの哀れなゲレが好きではない。美男でも若くも金持でもないのだから。しかし彼に会いたい。だから今、この教会の中で彼がいなくて淋しいのである。彼の低く少しこもった声、時には何か狂暴なところがある声を聞きながら、街道に彼と一緒にいたかった。背が高くてたくましいけれども、こっちの視線に合うと頭を下げてしまうこの男の前では、実際はとても小さな彼女が、自分は美しく強く幸福だと思うのであった。・・・彼女は控え目で内気そうな感じであった。これがゲレの目をいつわったのは確かである。しかしもしそのうち彼女もシャンテーユの女郎のように、自分の体で金を得ていることを知ったら彼は何というだろうか? きっと彼女に対して違った態度を取るに決っている。(店に)一番先に来た人が買えるような女に誰が遠慮などするものか? 彼女はため息をついて手を合せた」。
ロンド夫人は、美貌の姪の体を目当てに押しかける客の男たちのおかげで、レストランが繁盛しているのを喜んでいるのだ。
アンジェルが皆に体を売っていることを知ったゲレは、アンジェルを問い詰める。恐怖に駆られて逃げ出したアンジェルを追いかけるゲレ。「激昂のあまり、男はこの武器(木の枝)を取り上げて、アンジェルの顔といわず頬といわずなぐりつけた」。この激しい暴行を受けて、辛うじて命は助かったものの、アンジェルの美貌は失われ、酷く醜い傷痕が残ってしまうのである。
一方、暴行後、気が転倒していたゲレは、追っ手と勘違いした老人を殴り殺してしまい、逃亡を図る。
その3カ月後に、ゲレはなぜか密かに町に舞い戻ってくる。
ここで、物語の主役に躍り出るのが、グロジョルジュ夫人である。この45歳の陰翳に富んだ女性なしでは、この小説の成功はなかっただろう。
「彼女の、人間に対するあらゆる侮蔑の念の根底には夫がいたのであり、彼に対する憎しみの念が心を形作り、感覚まで支配していた。・・・グロジョルジュ氏を見ていると、自分が最も恥ずべきものと考えている人間の貪欲さの一形態を見る思いがした。動作一つとっても、抑揚一つとっても嫌悪の情がかき立てられ、育まれ、それはただただ増大する一方であった。この幅広の幸福そうな顔、病気を決して患うことがなく、人生これ楽しいことばかりといったこの分厚い体、運命の神はこれを利用して彼女をあざけり、彼女とその苦しみ、彼女とその渇きを愚弄しているように思えた。その渇きは彼女の頭に上ってきては目まいを起させるのである。・・・なぜ私はあのような不公平な目にあったのか? ほかの女たちもこのように苦しんでいるのだろうか? 幸福を奪われるくらいなら、富や美を与えられても何の役に立とう。愛を軽蔑し唾棄しさった後で、自分が一生望んでいたものは愛であることに彼女はやっと気づき始めていた」。
グロジョルジュ氏は、かつて、アンジェルの上客だったのである。
グロジョルジュ夫人が、息子のかつての家庭教師・ゲレを見かけ、逃亡の手助けを申し出たことから、信じられない、驚くべき事態が引き起こされていく。ゲレが夫人の真意を疑い、ためらいながらも、夫人に連れられて彼女の屋敷にやってきたからである。
本書から与えられた妙なる陶酔感に、未だ浸っている私。