魔女の本領
日本の現状に警鐘を鳴らす本…

『エスタブリッシュメント 彼らはこうして富と権力を独占する』


昔々、イギリスは福祉国家のように言われていた。私の友人はイギリスに遊びに行き、そのまま居ついて、かつ結婚相手はバングラディッシュ人で、洋品店を経営して成功して、住みやすいと言っていた。しかし、今イギリスは外国人に優しい福祉国家からは程遠い、新自由主義の先頭を走る国になっている。サッチャー以後、イギリスの激変ぶりは、実はあまりよく知らなかった。興味を持ち出したのはブレディみかこ氏の本でイギリスの現状の酷さを知らされたからである。そして、『チャヴ 弱者を敵視する社会』オーウェン・ジョーンズ著を読んで、ここまで来ているのかと思っていた。そして同じ著者の次作が出た。

本書は理論書、あるいは哲学書ではない。かといってマスコミ受けするような軽い読み物とは一線を画している。そもそも、日本人にはエスタブリッシュメントという概念が実感としてはないが、格差社会が言われるようになるにつれて、日本もまたなんか社会の構造がおかしくなってきているのではないかという疑念は感じていた。エスタブリッシュメントとは、単なる社会の上層階層というだけではなく、政治家であり、経済人であり、司法関係者であり、官僚であり、最悪は警察関係者であり、ひっくるめてまぜこぜに、国にたかって自らの経済力を強め、権力を獲得し、その果実を拡大再生産して肥大化した社会の上層の人々の塊という感じだ。イギリスの場合はオクスフォード・ケンブリッジに在籍し、そこから上へ向かって登っていく者たちのようだ。

本書の著者オーウェン・ジョーンズもオックスフォード出で、まだ非常に若い。その彼が「チャヴ」でデビューしたことの意味は大きいのかもしれない。つまり、イギリス社会が壊れて行っているということを書き、出版することで社会的な警鐘を鳴らしたことで、政治的な新たな動きにつなげられるかは厳しいが、社会批判を若者からするという点での意味合いが重要のように感じる。

本書の記述は政治家であれ経済人であれ、新聞人であれ、個人個人がどのように国に関わってきたかをインタビューや匿名を条件に聞き出した情報を列記していることである。イギリス人が読めば、あの人、この人という特定ができて、そういうことかという納得できる記述になっている。その点では日本人が読んでも、構造は理解可能だが、怒りを感じるまでには至らないが、このシステムは日本でもすでに悪しき政治の構造として表面化しているではないかという把握は可能だ。第二次世界大戦後、イギリスの労働党の政策は現時点から見れば労働者の党としての役割を果たした感がある。しかし、どうやら本書によれば、今や国にたかっている存在はこの労働党もまた同じで、エスタブリッシュメントを構成しているということに唖然としたが、結局現在の資本主義を標榜している国々がいずれも抱える問題としては同じだと言えまいか。すなわち資本主義は国境を超え、かつての自由主義とは遥かに遠い新自由主義という名の自由を謳歌できるのは一握りの者で、ほぼ99パーセンントは社会の下積みへと押しやられ、その先には「チャヴ」で書かれたように、弱者を標的にした下への攻撃によってのみ自らの存在を確認するという非道徳的な社会となっている。

私の場合はラテンアメリカの独裁政治のあれこれを情報としては知っていたので、ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」を書いた時、新自由主義の筋道はだいたい把握できた。しかしイギリスの例を改めて見せられて、その悪辣ぶりに驚くとともに、これをなぞってきている日本の現在の危機に無関心ではいられない。あまりにも似ていて驚きだったが、「この道しかない」というイギリスのエスタブリッシュのスローガンは、我が国の安倍政権のそのままのスローガンである。すでに馴染みになっている「回転ドア」、アメリカでも顕著であるが、利益誘導の関係部署を出たり入ったりして政府機関の役職者が民間企業のCEOへ、さらには再び政府機関の関係部署へと移動するうちに、政府の政策は企業のための政策が見事に策定されてゆく。イギリスもまた同じで、本書に書かれている事例でも、回転ドアの間にロビーイングをする組織が入り、さらに回転ドアの出入りは複雑であるが確実に利益誘導に結びついてゆく。特に問題なのがマスメディアの支配。敵対する政治家や批評家を捏造とスキャンダルのでっち上げでとことん追い込む手法は、私たちもまた同じ土壌の上にあると思わざるをえない。本書では1981年、サッチャーと強大メディア「マードック」が手を組んだことで報道機関は完全に支配され、労働党の地方議員や組合活動家は悪者に仕立て上げられ、小さな政府が前提とされ、右翼ポピュリズムの台頭を呼んだ。またマスコミへの就職の前提としてインターンと称する無給の期間が設けられることで、無給で生活できる階級の指定しかマスコミの仕事に就けなくなったことも指摘されている。

なぜエスタブリシュに金が集中してゆくのか?税制の問題しかり、民営化しかりで、一見自由主義に任されたかに見えるシステムが、逆に民営化による経営の悪化を補填するために政府は公営時よりも多額の税金の補填をしている。それはそのまま企業のトップに流れ込むというシステムである。そしてさらには、もうけは租税回避地へと移動し、企業としての税金の比率はどんどん下げられた上に、国庫への税金は入らず、見えなくされてゆくシステムこそが新自由主義での大成功の醍醐味だろう。この租税回避のテクニックを教えるのは実は回転ドアで行政での法律を作成してきた実務経験者が企業に転身し、その指南役になっているだけではなく、彼らは回転ドアを反対側から入り、法律に穴を開けてもいる。あまりのえげつなさに、本当なのかと思えてしまう。サッチャー政権の分水嶺になった炭鉱争議の際にその弾圧に力を果たした警察組織が、その後恩を返してもらうためにその権力はギャングなみとなり、民衆を守るという次元からはるかに離れて、逆に人種差別を当然とし、自らの責任を回避するためには、被害者を誹謗中傷して、被害者の遺族を貶める。中には裁判に訴えてもまるで正当な裁判も受けられない。事実解明まで23年を要したという例があれられている。イギリスは政権交代がなされてきていて、保守党の弊害は労働党によって是正されてきたのかと思いきや、その労働党が、炭鉱葬儀の敗北以後、全く保守党と変わらない体質のエスタブリッシュとなっているという事実には何か暗い気分となる。その大きな要因は労働組合の壊滅があるようだ。

これら各種の問題の指摘を読みながら、これは今現在日本に蔓延している嘘、政権への忖度、公共放送どころかマスメディア全てが事実を報じないという現実。労働組合の消滅、野党の質の劣化、PR会社による世論の誘導、そして国民に事実を知らせることのないままに進められる政策によって引き起こされている格差拡大と外国資本への屈服などが、まとまってここへきて表面化していることの本当の意味なのかもしれない。

これに対して有効な反撃の手段があるのか?あるとオーウェン・ジョーンズは書いている。労働組合も反緊縮財政を軸に再びストライキで戦う姿勢を明らかにしている。また平和的な市民的不服従のUKアンカット(良心に基づいて正しくないと考える法律や命令に非暴力的手段で違反する運動)や学問の世界すらがエスタブリッシュメントに支配されている現状に対して知的に飢えている現状に反体制的な理論を提示できる人材を持つこと。新自由主義からの脱却のために資本家の力、いわゆる金融界の論理に引きずられることなく、民主主義に立ち返ることにつながると著者は書いている。

これを日本に当てはめるとどうなるだろうか?野党の姿勢はグダグダで、新たな勢力が出現するのを待つわけには行かないだろう。労働運動の再建は急務だろうが、地道に組合運動に携わる若者が今や見受けられない。いや少数の組合にはその動きも見られるとはいえ、東京一極集中の運動では意味を見いだせない。地方からの地道な運動が中央政局を左右しかねないものになることを願うばかりである。

日本の現状に警鐘を鳴らす本であることは事実である。読まれることを期待します。

魔女:加藤恵子