情熱の本箱
最後の陸軍大臣・阿南惟幾は、降伏を受け容れようとしていたのか、それとも、飽くまで本土決戦を目指していたのか:情熱の本箱(307)

最後の陸軍大臣・阿南惟幾は、降伏を受け容れようとしていたのか、それとも、飽くまで本土決戦を目指していたのか


情熱的読書人間・榎戸 誠

ふと、図書館の書棚に並んでいる『一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾』(角田房子著、ちくま文庫)が目につき、阿南惟幾(あなみ・これちか)という名前は聞いたことがあるが、どういう人物なのだろうと、何げなく開いのがP.211だった。そして、目に飛び込んできたのが、「陸相秘書官であった林三郎大佐は『阿南さんの欠点は何かと聞かれて、私は、<知性が高くなかったこと>と答えた』と語る。『阿南さんは程度の高い本はお読みにならなかった。しかしこれは軍の中で阿南さんがウケのよかった理由の一つでもあります。西欧の軍隊では勇気とともに、意志、人格、知性の3つが重視されますが、日本では<学問のある人間は勇敢でない><知は優柔不断に通ず>などといったものです』」という一節である。俄然、阿南という人物に興味が湧き、借り出して、一気に読み終えてしまった。

1945年8月15日の朝、昭和天皇の終戦の詔書がラジオから流れるより前に、最後の陸軍大臣・阿南惟幾は、割腹自殺を遂げる。本書は阿南の伝記であるが、著者。角田房子の最大の関心は、1945年に入り、連合軍の日本全土に対する空襲が激化の一途を辿る中、「平凡な人間」と自覚していた阿南が陸軍大臣として、どういう考えを持っていたのかにある。

「原爆投下の8月6日から終戦までの10日間は、日本が亡国の瀬戸ぎわに追いつめられた、民族の歴史にかつてない危機であった。それはまた、『降伏か、本土決戦か』の選択の中心に位置した阿南にとっても、死の直前に生命を燃焼し尽した時期であった。彼は58年の生涯を、この10日間のために生きたともいえよう」。

この時の阿南の心境については諸説があるが、下記の4つに大別することができる。「①一撃説――阿南の公的発言の通り、本土決戦で敵に一撃を与えて日本の発言力を強め、国体護持その他の条件を認めさせて終戦に導こうとした、とする説。②腹芸説――本心では本土決戦を否定しながらも、陸軍の暴発(内乱、暴動など)による国家の致命傷を防ぐため、部内の強硬派に対するジェスチュアとして本土決戦を主張し続け、無血終戦をなしとげた、とする説。③気迷い説――ポツダム宣言を受諾して戦争を終結させるべきか、あくまで本土決戦を目指して進むべきか・・・阿南はそのいずれとも決しかねて迷い続けた、とする説。④徹底抗戦説――阿南は、日本国民の最後の一人まで闘うべきだと主張した、帝国陸軍の軍人らしい石頭で狂信的な男であった、とする説」。

資料を渉猟し、多くの関係者に聴取し、丹念に考察を重ねた著者は、このような結論に達する。「本土決戦について――。昭和20年初め航空総監になった時から陸相の初期にかけて、阿南は沖縄を最後の戦場とし陸空軍の主力を注ぎこんで敵に痛打を与え、そこで終戦にもちこむ考えであったと想像される。しかしその機会もなく沖縄は占領され、6月22日には天皇が『戦争終結』の意思表示をした。天皇の心について阿南は特に敏感であったと想像されるし、それに添うことが彼の思考の基本であったろう。そのうえ、日本の国力、戦力について厳秘扱いの調査報告書を読みよく知っていた彼は、遂に本土決戦を断念したと思われる。・・・阿南が本土決戦を断念した時期には、おそらく決定的瞬間はなく、熟慮に熟慮を重ねてそこへゆき着いたのであろう。心情的には最後まで闘いたかったであろう阿南にとって、勇気のいる決断であったはずだ。しかし最後まで国体護持の問題が阿南を悩ませた。ポツダム宣言を拒否して本土決戦をやり失敗したら、国体問題はより苛酷な条件に落ちるであろうし、宣言をそのまま受諾すれば、それはそれで確約のないままの終戦である。『本土決戦はやらぬ』と決意した後も、彼は最後までよりよい方策を求め、あらゆる可能性をさぐり続けたのではなかったか。・・・この仮説は『気迷い説』に近いが、本土決戦をやるべきか否かと迷ったのではなく、『やらぬ』と決意した上で、よりよい方策を模索し続けたと見る点に相違がある。一方に阿南は内、外地の大軍隊を、即刻終戦という天皇の意志に従わせねばならない困難な責務を負っていた。閣議をはじめあらゆる発言の機会に阿南が継戦を主張したことは、全陸軍の代表者である彼として当然であり、またそうしなければ収まらなかったであろう。阿南は8月14日の最後の御前会議の時までも、継戦を主張している。本心では本土決戦を否定する阿南がこうまで強く継戦を主張したのは、彼は天皇の和平への決意の固さを知り、自分がどれほど継戦を主張しても天皇によって否定されることを知っていたからではなかったか」。

「クーデターについて――。五・一五事件、二・二六事件に対する厳しい批判と、忠誠心の強さから、阿南は初めからクーデターを否定していたと想像される。彼の態度があいまいであったのは、『腹芸説』の人々がいう通り、頭ごなしに抗戦派将校を押えることの危険と、さらには彼らの将来を思う愛情であったろう。どのような形にしろ、終戦は必至の時であった。阿南が第一に考えたのは国家のために軍の暴発を防がねばならぬということであろうが、それと同時に、青年たちを無傷のまま無事に戦後の世界へ送り届け、日本の再建に力を注ぐ後半生を送らせたかったのではないだろうか。この点、阿南の心境は、思慮の浅い息子たちを善導しようと腐心する父親のそれに近いものかと想像される。・・・『情の人』である阿南には、西郷隆盛のような立場になる危険性があった。しかし阿南の本心がクーデターに傾いたことはないと想像されるのは、天皇に対する血のかよった忠誠心が、彼の中で何よりも上位におかれていたと思われるからである」。

いつの間にか、角田が言うところの「立派な平凡人」阿南を好きになってしまったのは、阿南の死に方、いや、生き方ゆえだろうか、それとも、角田の筆の力によるものだろうか。

阿南が石原莞爾や今村均を高く評価していたこと、私の母方の遠い親戚である迫水久常や左近充尚正が登場すること、私が子供の頃の掛かり付け外科医であった出月三郎が、自決した阿南の臨終に立ち会ったこと――など、個人的に興味深いことにも言及されている。

力の籠もった、説得力のある一冊だ。