情熱の本箱
被差別部落で私生児として生まれ、数々の軛に束縛されながらも生き抜いた女がいた:情熱の本箱(313)

被差別部落で私生児として生まれ、数々の軛に束縛されながらも生き抜いた女がいた


情熱的読書人間・榎戸 誠

書斎の書棚から引っ張り出してきた『鳳仙花』(中上健次著、新潮文庫)を、12年ぶりに再読して、作品に対する印象が前回とは異なっていることが気になった。

紀伊半島の潮ノ岬の隣の古座で、私生児として生まれたフサは、15歳の時、働きに出た新宮で、勝一郎という若い人夫と結ばれる。

「勝一郎の唇がフサの唇に押しつけられ、帯から着物のすそをめくり手がフサの太腿に触った。それが羞かしい事だと分っていたが、フサは唇に触れた勝一郎の唇、着物のすそをはだけようとする勝一郎の手が、草むらの中を何日もかかって歩きつづけくたびれ傷だらけの人間のもののようで、愛しくさえなった。勝一郎は草のにおいがした。勝一郎の唇がフサのツンと固く張った小さな乳首に触れ、手が太腿の奥に触れ、フサは体が熱くほてったまま勝一郎が自分を呑みつくす潮のように思い、勝一郎の固い体に身を擦りよせた」。

「昭和七年、初めて他所で正月をむかえ、まだ松飾りが取れない頃、フサは丁度正月に重なり合うようにあるはずだった月のものがとまっている事に気づいた。フサはごく自然に、日を受けて細かい光をまいている山の方から川を横切り渡って自分の腹に勝一郎の子が入った気がした。・・・勝一郎に子を孕んだと言った。『一緒に暮らそら』。勝一郎はそう言った」。

勝一郎との間に五人の子を儲けたフサの、貧しいながら幸せな生活は長続きしない。

「熱に浮かされながらも男気のある勝一郎が(肺病で)死んだのは、(昭和十六年)九月十七日だった。フサは葬儀の日中、ただ声もなしにあふれてくる涙に茫然と坐り込んだままだった。知らせを受けて古座からやって来た母や(異父)兄の幸一郎に普段と変らぬ様子でまといついている子供を叱る事もせず、いまとなっては短い夢のような勝一郎と暮らした日を振り返った。フサは二十五だった。勝一郎の子を五人産んでいる。フサはいまさらながら、勝一郎が男気のある優しい男だった事に気づいた。フサは乳を口に含み勝一郎に似たくっきりしたまぶたの眼でみつめる泰造の柔かい髪を撫ぜてやりながら、これからどういうふうに暮らしていこうかと涙にくれた」。

何人もの子供を抱え、行商で日々の糧を稼がねばならなくなったフサの前に、正体のよく分からない男が現れる。

「フサがその男に魅かれたのは、子供のころの貧乏な暮らしを想像させる骨のごつごつした体つきにある妙な快活さだった。その男がフサの知っている誰よりも背が高くて粗野な力があるように見えたし、そのいかつい顔も格別にめざわりというものではなかった。たとえ空襲が人の想いを超えるほど激しく起ころうと、他に頼るもののないフサら母子五人は、爆弾からのがれ息をし生命をとりとめている限り、食べてゆくために、行商を止めるわけにはいかなかった。そのフサを見るに見かねて待ちうけでもするように、朝、仕入れのために顔を出した駅裏の谷口に男はいた。男は用もないのにフサに従いて一緒に朝の町を歩いた。フサが得意客の家へ入っていくのを外で立って待ち、また次の得意客まで歩く道筋を従いてくる」。

「フサの胸元をはだけにかかった男の手が服の上からあたる度に、硬くなった乳首を男に知られてしまうようで羞かしかったし、男の荒い息が耳にあたるのが苦しくて眼に涙さえあふれてしまうのだった。はだけられた胸に手がさしのべられ、乳房が男の熱い手の中にすっぽりつつまれるので息が出来ず、フサは抗いでもするように濃い息をたて、男の胸に救けてくれと言うように顔をよせて、坐ったままでいる事が出来ず崩れた。男がフサの体を支えて唇を吸いながら畳に横たえた」。

この男、背中から尻にかけて刺青があり、「イバラの龍」と呼ばれる博奕打ちの龍造は、博奕仲間を半殺しにしたため、刑務所に三年間、入れられてしまう。

龍造との間にできた私生児の秋幸は、中上健次がモデルである。フサは健次の実母がモデルとなっている。

龍造は、同時期に、フサを含め三人の女を孕ませてしまうような、女にだらしない男であった。

フサは、龍造が刑務所に入っている間に、復員してきて土方をしている繁蔵と親しくなる。

「繁蔵に肌を許したのはそれでも随分経ってからだったが、所帯を持とうかと思っていると繁蔵が言いだしたのは、秋幸が二誕生をむかえた頃になってからだった。・・・繁蔵には思ったよりも男気がない」。

フサは、繁蔵との間にできた子を二度までも堕ろしてしまう。

「秋幸と二人、死んでしまえばなにもかも解決」すると、秋幸を道連れに入水を図るが、失敗に帰すところで、この物語は終わっている。

著者が「路地」と呼ぶ被差別部落で、フサの母もフサ自身も私生児として生まれ、フサも私生児を身籠ったこと、路地という閉鎖的かつ因襲的な宿命の地に縛り付けられ、そこでの複雑に絡まった血縁関係に取り囲まれていること、どうもがいても極貧生活から抜け出す有効な手段を持たないこと、字が読めないこと――これらの重い軛に束縛されながらも生き抜いていくフサは、私が足を踏み入れたことのない世界の住人と言えるだろう。

12年前に読んだ時と、今回とで印象が異なるのは、なぜか。3年前に衝撃を受けた『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉著、文春文庫)の影響が大きいことに思い至った。両作品の底流に横たわる、精神より肉体、思考より行動、飛翔より沈殿、開放より閉鎖、洗練より猥雑が優先される世界への親近感が、私を揺さぶり、衝き動かしているのだ。