情熱の本箱
『横しぐれ』は、次々と生じる謎を追いかける文学的推理小説だ:情熱の本箱(372)

  

情熱的読書人間・榎戸 誠

横しぐれ』(丸谷才一著、講談社文芸文庫)は、次々と謎が生じる文学的推理小説といったら、人々はどのような作品を思い浮かべるだろうか。

今は亡き父が実に嬉しそうに語った一つの思い出話が、謎の発端である。

「病中の父がいかにもなつかしさうに語つたのは松山での出来事であつた。道後の茶店で休んでゐると、居合せた坊主に馴れ馴れしく話しかけられ、そのうち三人で酒を飲みだして、結局すつかりこちらで持つことになつたといふのである。『たかられたの?』。『まあ、早く言へばさうなる』と父は微笑して、『ちびりちびりと、よく飲む奴でね。坊主と言つても、てくてく歩いて廻る乞食坊主だが、しかし話が上手だつたな。おもしろい話をたてつづけに、あんなにたくさん聞いたことはなかつた。将棋さしの手拭の話なんか、腹をかかへて笑つた』。そして思ひ出し笑ひをしながら、その手拭の話は紹介せずに、『猥談もうまくてね、あいつ』」。

「『三時間くらゐ飲んだんぢやないか。もつとかもしれない。おれよりずつと年寄りなくせに、むやみに酒が強い坊主だつた。何しろ、きりがなくて』。『黒川先生も好きだから』。『うん。でも、とうとうおしまひに、二人が喧嘩をはじめたんだ。それでお開きになつた。喧嘩といつたつて、言ひ争ひだが』。『何のことで?』。『坊主がシナ事変万歳みたいなことを言つたもんだから、黒川が怒つてね。あいつは戦争ぎらひだから』」。戦争の始まるちょっと前に、古風な産婦人科の町医者の父が、親しくしていた官立の高等学校の国語の教授の黒川先生に誘われて、先生の郷里を訪れた時の話である。

「『それで、どうなつた?』。『天気が悪くなつてね。それでまあ、何となく終りになつた。坊主が出て行つたんだ、雨のなかを』。『勘定は払はないで?』。『うん、すたすた行つてしまつた』。『お父さんと先生は雨宿り?』。『それはさうさ』。「それぢや払ふしかないよね』。『うん』。わたしは笑つたが、父は笑つたかどうか、はつきりした記憶はない」。

父の通夜の時、わたしは黒川先生に四国旅行のことを訊ねる。「『急にお天気が崩れましてね。雨まじりの風と言ふか、横なぐりの時雨と言ふか。その時雨を見てわたしが横しぐれだとつぶやいたら、坊主がえらく感心して・・・』。『風流な坊さんですね』。『しきりにうなづいてゐましたよ。まさにその通りですな、とか、それでいいわけですな、とか、何度もくりかへして』。『なるほど、横しぐれ。きれいな言葉ですものね』」。

父の死後、五、六年経った頃、当時、ある女子大学の国文学の助教授だったわたしは、種田山頭火の<うしろ姿のしぐれてゆくか>という自由律俳句に出会い、父たちが出会った乞食坊主は最晩年の山頭火ではないかという思いに囚われる。

これ以降、わたしの「父たちが出会った乞食坊主=山頭火」仮説を証明しようという、異常と言っても過言でないほどの証拠捜しが延々と続けられる。

この証拠捜しの経過は、著者・丸谷才一の文学に関する知識が総動員されていて非常に読み応えがあるが、ここには一々記さない。

高校学校で地学を教えてもらった八木沼先生に、碁会所で偶然出会い、わたしは先生から驚くべきことを聞かされるのである。「これだけ衝撃の強い話を聞いた以上、家に帰つてもすぐに仕事ができるものではなかつた。わたしは机に向つてやたらに煙草をふかしながらあれこれと考へつづけた。たとへば、親孝行のつもりで冗談半分にはじめた謎とき、ないし推理の遊びが、結局、父の秘密をあばくかたちになつたのはどうもをかしな話だ・・・」。

本作品を一気に読み終わって感じたことが、3つある。

1つ目は、山頭火に対する、何とも言えない親近感。

2つ目は、丸谷の国文学に関する豊饒な知識に対する畏怖の念。

3つ目は、入念に幾重にも張り巡らされた小説技法を存分に味わえたという充実感。

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